オリンピックが終わった。楽しませて貰った10数日間。次回は4年後。ブラジル。4年・・・。長いような短いような。4年後のオリンピック。日本からどんな競技にどんな選手が出場するのか。選手にしても、観客にしても、4年に一度しか味わえないスポーツの祭典・・・。
4年と言う歳月。だいたいからして、書いている本人がどうなっていることやら。
4年後、今回は仮設で見たオリンピックを、彼らはどこで見るのか。見られるのか。
被災地はどうなっているのか、原発処理はどうなっているのか。
そして福島をめぐる様々な問題がどう展開されているのか・・・。
オリンピックの閉会式。ロンドン五輪の組織委員長はオリンピック精神に触れ、尊厳という言葉を使った。その中で、「敗者にたいする尊敬。尊厳」、それをこの大会で見たというような事を言った。
スポーツであっても、いやそれであるから、勝利するために選手は戦う。勝者は喜ぶ。歓喜する。スポットライトは勝者に当たる。でも、勝者があるということは敗者がそこにいると言うことである。
人類の歴史。それは勝者によって書かれたものである。勝者の記録が歴史となる。概ね。
敢えて言うなら、原子力発電は勝者を生んだ。科学の勝利とされた。その勝利の恩恵に多くの人が浴してきた。そして、敗者を生んだ。事故による犠牲者。避難するためにさまよえる民。流民。それは敗者の群れのようにさえ見える。
尊厳死という言葉がある。死に際しての人間としての尊厳。自らの意志を含めて。それは医療の中での意味を持った言葉。
突然大津波で亡くなった多くの人々。彼らの人としての尊厳とは何だったのか。死者への尊厳を理由の一つとして、被災地に突如横たわっている死体の映像はメディアには露出されない。死者の尊厳は、死体を遺体と呼ぶように、守られようとする。
原発事故後の避難所。郡山のビッグパレット。8千人もの人が身を寄せた。それが出来る時の一部始終を見ていたわけではない。それを見た時の現実。畳2畳ほどの段ボールで区切られた空間。そこに身を置いてみた。横たわってみた。見える光景。すぐ脇を土足の人達が行来する光景。ビッグパレットはもともと土足で出入りする場所。靴を脱いであがる体育館とは違う。新宿西口にあったホームレス達の光景。そこには自らの意志でその暮らしを選択した人たちが多くいた。
避難所、ビッグパレット、それは自らの意志による選択ではない。強制された“居場所”。眼の高さにある靴と足・・・。
あの場所に、食事を求めて列をなす人々に、生きている人間としての尊厳は保たれていたのか。人間としての尊厳を失う究極のところまで追い込まれていたのではなかろうか。
それでも彼らは尊厳を守った。維持した。仮設の中にあっても、かつて高度経済成長期、羊小屋と揶揄されたあの小さな家にもとても及びもしない狭い空間で、尊厳を維持しようと“敗者”達は生きている。彼らの中には憲法25条は届かない。無縁の憲法。
だから思う。彼らこそは実は真の勝者なのだと。尊厳を維持している勝者なのだと。人間としての尊厳を限りなく踏みにじられてきた人々。そう、見た目にはそこには尊厳と言うものは無かった。しかし、彼らはそれを保ってきた。
死者への尊厳、死者自身の尊厳。生者の尊厳、いきとしいけるものの尊厳。それへの回答や結論は、たぶん、何年の時日を費やしても導き出されない課題。
原発事故が産んだ“敗者”。それの尊厳を、それへの尊敬の念を誰が語りうるのか・・・。
お盆、死者と生者が対話する日に・・・・。
2012年8月13日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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