2012年8月1日水曜日

出発点としてのフクシマ

郡山市内で毎月発行されているタウン誌に、5年以上コラムを書いています。この出発点としてのフクシマというタイトルは今月号のタイトル。
きょうそのタウン誌が発刊されているはず。は出回っているはず。だから、ブログにタイトル転用を解禁して・・。

内容は違います。コラムの方は別次元の話ですが。

大手メディアが取り上げるようになってから、ますます“盛り上がって”いる官邸前の大飯再稼働反対デモ。国会議員が登場したり、したり顔の有名ジャーナリストが登場してみたり。

あの集会を否定するものでは決してありません。しかし、そこに感じる、一つの“違和感”。

福島の事故。「フクシマ」があったから、この集会が生まれたのではないかということ。
主催しているのは「反原発首都圏連合」という“組織”だという。彼らは組織ではないと言うだろうけれど。
「叫び」は大飯再稼働反対に限るとされているとか。言いがかりかもしれないが「首都圏」なのだ。

大飯再稼働を決めたのは政府。そこに「抗議」するのは当然。何もしない国会。そこに抗議するのは当然なのだけど。

「ふくしま」はもう過去のものとされているのか。反原発運動の原点は、出発点はフクシマであるべきはずなのに。

福島隊と書かれたのぼりも見た。福島から来たという人がテレビのインタビューに答えているのも、新聞記事になっているのも見た。しかし・・・。

ファミリーコーナーみたいなゾーンが設けられているという。
「福島の子供を守ろう」と声が上がる。子供連れだ。なんで、子供を連れてくる。子供は大人の“運動”のための道具ではない。そこに何の意味があるのだ。

「子供をダシにして」。福島にも現実にある自主避難者の一部の人たちの例。

過日、東京に行った際、デモの現場に行っていた知人の話を聞いた。
「福島の子供を疎開させろ!」。そんな声があったぞと。

どこにどうやって疎開させろって言うのか。ま、すべては政府の責任と言われてしまうのだろうけど。

「福島から首都圏に避難、移住してきた人だという人が言っていたぞ」。

「私たちは移住してきたからよかったです。なんで、あんな怖いところに子供を置いておくんでしょうかね」。そんな人も居たという。

福島県人は200万人余り。いろいろな考えの人がいるのは当然。一言で、福島という言葉でくくれるはずはない。

夏休み。郡山では子供たちが普通に遊んでいる。夏祭りが始まる。子供の出番もある。
それぞれの家庭で、さまざまな配慮はしているが、怖いところではない。

警戒区域、避難区域。そこの子供たちは、避難先の学校に通うなど辛い思いをしている。どんなに辛くても不便でも、この地にとどまりたいと思っている。

そんなこどもたちもいる。

大飯原発がもし事故を爆発を起こしたら、それこそこの国は終わりだ。再稼働反対。同意する。あってはならない。事故は。

でも、あの集まりの中からは、フクシマに対する“思い”は感じ取れない。ダシにされているようだ。

そして敢えて言う。あの運動は権力側に、すでにして、その中身が見透かされている。

フクシマのあらゆる現実を前面に打ち出さないかぎり、自己満足、自己陶酔の運動になりかねない。それを危惧する。

すべての出発点は「フクシマ」なのだと。

今朝の新聞に載っていた。市民運動出身の菅直人が市民運動家の集会主催者と歓談している様子。「野田に取り次ぎます」。

菅よ、お前はいったい何だったのだ。鳩山は原子力規制委員会の人事に抵抗しているとか。「原子力ムラ」の出身だからと。お前だって、言ってみれば、金は貰っていたかどうかはしらないが、「ムラ」の周辺居住者だったはず。CO2削減の話はどうしたんだい。

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