2012年8月27日月曜日

「ビッグパレット」の今昔

今とは、つい昨日の話。昔とは一年数か月前の話・・・。

ビッグパレット。正式名称は福島県産業交流館。多目的イベントホール。
原発事故後、ここは県内でも最大の避難所だった。30キロ圏内に避難指示が出されて以降、ここには富岡町と川内村から、2,700人の人達が避難してきた。

建物は地震で半壊していた。使えるスペースをフルに使っての避難所。そこは人であふれ、段ボールで仕切られてわずかな空間に、人々が身を寄せ、身を横たえていた。

ビッグパレットが出来たのが10数年前。よくイベントで使わせてもらった。よく、そこのイベントにも通った。

通路にまで人があふれている。ホールの大半が閉鎖状態になってしまったから。地震で。靴のままでしか歩けない狭い通路には人が行きかう。

裏の入り口のドアをあけて入ると、そこは・・・。壁には消息を訪ねる張り紙やお知らせ。犬や猫の一時預かり案内・・・。人いきれ、匂い、埃・・・。3月半ば。まだまだ寒い時期。多くの人が為すすべもなく横たわっている光景。

地獄とはいわないが、人間の尊厳がことごとくうち砕かれるような光景。

狭い事務室の一部が富岡町と川内村に割り当てられた役場スペース。機能するわけがない。

やがて、屋外の広場に仮設の役場が出来、自衛隊の風呂が出来、徐々に「整えられて」いったのだが。

7百台収容できる駐車場も、避難してきた人達の「いわきナンバー」の車で埋まっていた。

毎日のようにそこに足を運んでいた。特別に何をしたわけでもないが。

そこに時々音楽が流れていた。友人夫妻のフォークデュオがいた。友人のフルート奏者は片隅でリクエストに応えていた。

演奏者も、気遣い、気を配り、邪魔にならないように心がけて。

避難場は去年の8月末、そう、ちょうど一年前に閉鎖になった。ビッグパレットの北側にあった空き地と、富田町に仮設住宅が出来たから。

避難所閉鎖と同時にビッグパレットも閉鎖。改修工事に入った。今年の4月に再オープン。

昨日と一昨日、そこを会場にした24時間テレビのイベントが行われていた。土曜の夜はオレンジレンジというバンドのコンサート。

大音響。会場は熱気に包まれていたという。遠くでその大音響を耳にしていた。
そして思う。あの北側の仮設に住んでいる人達は、あの「音」をどう感じているのだろうかと。主催者側はもちろん仮設への連絡はしていただろうが。

きのう、仮設に行ってみた。なんとなく聞きたくて。その光景の印象を。顔見知りはほとんどいなかった。もしかしたら、もしかしたら、どこかに“避難”していたのかも・・・。

その24時間テレビイベントに知り合いがブースを出展していた。子供が楽しめるスペース。近所の子供を誘う。

ビッグパレットには久しぶりに入る。会場のホールに向かう途中、ボクは彼に声をかける。
「マナトくん、ここね、去年の地震の後は大勢の人が寝ていたんだよ」。彼が歩く足元を指さす。
「だって、ここはあるくところじゃないの」。怪訝そうな彼。
「ここにしかいるところがなかったんだよ。遠くから避難してきた人達は」。

その光景を知らない彼は、半信半疑で自分の足元を見つめていた・・・。

「愛は地球を救う」。24時間テレビの永遠のテーマである。番組もいきおい、“被災地”がテーマであった。
多くの人が足を運んでいたようだ。そこを訪れた人たちが、そこが、一年ちょっと前まで段ボールハウスの群れだったことを知っているのかどうか。

会場に向かう途中、どこかボクの足はその運びを躊躇していたようだった。
プレハブの役場があり、自衛隊のテントで作られて風呂があった広場。そこは、何もなく。中継車が一台、すっくと立っていた。

あの光景をマナトくんにもっと話してやった方がいいのかどうか。二言三言のやりとりで彼が何かを感じたか。

きょうから新学期。学校が終わって彼は家の前でバスケットボールに興じていることだろう。

ビッグパレットの東側は線路。貨物列車が停まっている。夕方、時々汽笛が鳴る。
去年、夕方、日の暮れかかる頃、避難してきているばああちゃんと、煙草を吸いながら聞いた汽笛・・・。

形だけは姿を変えている。

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