2012年8月3日金曜日

「ムラ」と「村」と

人は物を語る時に、とかく、ひとくくりにしたがる習癖を持っている。

3・11以降、原発事故以降、「ムラ、原子力ムラ」という言葉が定着し、それは悪の総本山と位置づけられ、さまざまな立場の、考えの人たちが、口々に「ムラ」「ムラ」「ムラ」といい、そこの住人を忌避し、そこにすべての敵意が集中した。

メディアの人間もこの「ムラ」という言葉を好んで使い、定着させ、常に非難の対象にすえた。

いや、過去形ではない。今もそれは続いている。

この「ムラ」の定義。それは一体何なんだろう。「ムラ」である以上、そこには「ムラオサ」がいるはずである。その「オサ」は誰を指すのか。
およそ原子力発電に関わったすべての人、電力会社の社員、関係者、行政を推進した役人、研究に知見を提供した学者、そして推進の、あるいは、「反」を唱えなかったマスコミ人・・・。その「ムラ」には多くの住民がいたことになる。

それらをひとくくりにした「原子力ムラ」という位置づけ。いわば「エリート」と呼ばれ、そう自負もしていたであろう人たちが、敢えて「ムラ」という呼称を、かつては誇らしげに使い、そこの住民以外を排斥し、つとめて「ムラ」の存続を維持しようと腐心した・・・。

なぜ「ムラ」なのか・・・。それについての論考にお目にかかっていない。それぞれの人が「ムラ」をそれなりに解釈し、そこに人を当てはめ、日夜言辞を戦わしている。

少なくとも東京への一極集中の時代。中央政府。東京「都」というところから言う「ムラ」。「ムラ」とは“蔑視”の対象であり、ある種の“差別”であり、自虐的に使うことによって、おのが存在を高からしめようとしていた呼称のように思える。

確かに、原子力発電所は、行政単位として、その場所の在り様として、多くが「村」と表記されるところに多い。
地理学的に言えば、近代日本に於いて「村」とは過疎の代名詞のようなものとされてきたし・・・。

その過疎の村から大量の若者が金の卵といわれ、集団就職で上京し、今の東京の繁栄に“寄与”してきた。

東京の永田町という「町」に巣くう住民。彼らも好んで、いや誇らしげに使っていた「ムラ」という集団、その呼称。今は“派閥”という言葉をあまり使わなくなってけれど、かつては政策決定も含めて、中央の政治の決定権は「ムラ」、派閥にあった。「村に帰って相談してくる」。それが普通の形の政治家の意思決定過程だった。


政治家は、選挙にあたって、その常とう句を今でも使う。票田を耕す、肥やす、田を掘り起こすなど。政界用語。田畑は村に存在する。国会議員とて、多くはその出自は、どこかの県のなんとか村だ。政界とは村の集合体。そんな比喩とて成り立つ。

そして今、「ムラ」が語られる時に必ず付きまとうのが「カネ」。政界の「村」がその存在価値を保てたのも「金」。

反原発を、いわば狂信的に唱える人達。少しでも冷静に原発を見、放射能汚染の事を語る人がいると、いきなり「あなたはムラの人間だ」と、罵詈雑言の類を浴びせられる・・。

ひとくくりで物事を語る風潮、その「定義」も明らかにされないまま、まさに風潮として。

原子力ムラには“隠ぺい”という掟があった。ある。それを含めて、「ムラ」の定義を知りたいと思う。福島県の、被害を受けた「村」はその存亡の危機に立たされている中で・・・。

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