2012年12月26日水曜日

あらためて、「ヒロシマ」と「フクシマ」。

風邪は、どうも“長期滞在”になった模様。なかなか帰ってくれない。
きょうも「おこもり中」。事務所の様子も気なるものの。
気合を入れて起きだしてきての、きょうの当店。

「風邪がうつる」と言って客足がどうなるか・・・。

「ヒロシマ」と「フクシマ」。去年も書いた。「ヒロシマ」にはナガサキも包含されているものとして。「フクシマ」には原発被害を被っている、その他の県のことも包含されるものとして。

広島と福島の相似性、共通性、その歴史的意味合いも含めて。

島と島だよ。被爆と被曝だよ。原爆と原発だよ。

そして、その中心には居なかったものの、その両方をボクは“体験”しているとうこと。

広島への原爆投下時。ボクはたまたま兵庫県の姫路にいた。大人たちはそれを「ピカドン」と呼んでいた。
伝聞、風聞含めて、伝えられるその惨状。そして言われ始めた「放射能が移る」という認識。

「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんが亡くなった。ほとんど同世代。しかし、彼は限りなく爆心地に近く居た。

放射能は移るーいわれなきその風聞。直接被曝死した人、ケロイドになった人はいないが、あの「ヒロシマ」で生まれた噂、デマが「フクシマ」でも生きていた。

「はだしのゲン」は、漫画としての形はとっているが、やはり文学の領域に入るものであろう。栗原貞子の「生ましめんかな」も、詩と言う形による文学だと思う。

そん物語の中に、思想的な問題が入っていても、それをして、それらを排するものではない。

根底にあるのは、人間にとっての「死」、「生」、その「在り様」。そして、人間に巣食う「差別」という、する側にとってはある種の優越感をすら伴うぬぐい難いその意識。

辺境の地としての、そうされた東北。

原爆があらゆる角度から捉えられ、語られるように、原発についても、それはあらゆる角度から捉えられ、語られなければならない。
そして、学問としてではない「新たな東北学」を我々は学び、探究しなくてはならないとも思う。

その事を来年の塾の課題にしようと彼らには告げた。

そのための準備に時間を割きたい。だから、風邪だと言って寝てる場合じゃない。焦る。それが良くない事はわかっていても。

ヒロシマがそうでありように、フクシマも語り続けられねばならない。それを語るのは当事者の我々だと。

それにしても、このところ「戦争」を知る“文化人”が亡くなって行く。吉本隆明、新藤兼人、丸谷才一、小沢昭一・・・。そして、中沢啓治。

戦争を知らない人達が世の中を形作っていく。それは、それで当然のことだが。やがて原発事故を知らない人達が世の中を形作っていくことになりのだろう。

その他の問題も含め、「犠牲のシステム」によって人類社会は成り立っている。それを“命題”とした東北学が展開できるのかもしれない。

中沢啓治は、去年の原爆の日、平和記念式に初めて行ったという。「首相が核兵器廃絶の決意をどんな言葉で語るか見届けたい」と。そして「原発事故に、広島、長崎の教訓は生かされていない」と憤ったという。

彼は自著を「遺書だ」と言ったとか。重い言葉だ。

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