原発事故による避難区域以外でも、県内の23市町村に住んでいる人に対して大人は一人4万円、妊婦と18歳以下の子供には8万円が追加された「追加賠償」が払われる。
そんな通知が来て、しばらくはそのままにしておいた。去年の一人8万円の時もそうだったが、これには逡巡する。
「このカネで無かったことにしよう」、そんな魂胆が行間ににじみ出ているようだから。
投函と言ってもポストに入れたわけではない。郵便局に持って入って、「発送証明」みたいなものを貰う仕組み。
郵便局に行った時、窓口は、これにかかわる人たちで混雑していた。郵便局員も大わらわだった。
その数日前、若者と、何かがきっかけでこの話になった。彼のところにはその請求書類が送られて来ていないという。
「多分、前回、去年、出さなかったからでしょうね」と彼は言う。
去年、彼は、8万円を貰うことに限りなく疑問を感じ、その“権利”を放棄した。貰ってしまえば、東電を許すことになる。それは自分の心情が許さないと。
彼の気持ちが痛いほどわかる。しかし、ボクは去年8万円を受け取った。受け取ることにした。受け取りを拒否しても、その抗議の意思が東電に伝わるわけもない。臨時雇用の職員が機械的に処理しているだけだから。だったら、それを受け取って、有効に使おう。
その8万円は、もちろん「私」に使わなかった。自分で考えられ得る“有効”な使途に使った。飯舘村を書いた「までいの力」という本を大量に買い、それを県外にいる知人に送ることも含めて。
今回もそうするつもりだ。例えば放れ牛を飼育している牧場への餌代だっていいし、動物シェルターにだっていい。それがボクが出した結論。
署名するのにさんざん迷った挙句の。
結局、何があろうとも、「カネ」以外に、誠意だとか責任だとかを取る方法はないのだろうか。やはり「カネ」なんだろうか。
「カネ」を貰うことにこんなに悩んだことは無い。
「カネ」でしか解決できないこと、「カネ」で解決すること。それがほとんどすべてのような・・・。
安倍がきのう県内を視察した。原発現場から始まって、川内村、そして、郡山にある川内村の人が住む仮設。
すぐそばには富岡町や双葉町の人たちが住む仮設には行かなかった。仮設を回るなら“公平”に回るべきだと思う。川内は帰還出来る目途がある。富岡にも双葉にもそれは無い。
どこかの新聞に書いてあった。富岡町民の不満。
「首相が来るのは嬉しいニュースだろうが、富岡側はシラーとした雰囲気だった」。「川内は温厚なひとばかりだから、首相に不満は言わない。富岡だったら、責任を問われ、突き上げられていたはず」と。
首相動静では郡山駅を午後6時の新幹線に乗っている。時間の余裕はあったはずじゃないかと。
良かれと思ってやった事が、同じ仮設の中でも、感情的な「亀裂」を引き起こしかねない。いや、もうそれはすでに始まっているのだが。
政治が「亀裂」に拍車をかけることがあってはならないと思うのだが。
前述の、東電を“拒否”した若者、年末ジャンボ宝くじは買ったという。仮設にも買ったという人がそこそこ居た。亭主も3千円投じた。当たりはしないだろうが、もし当たっても誰にもとがめられず、自分を責めずにいられる運。
当たったら正直に申告します。どこかであるような「付け替え」しないで。