2012年12月20日木曜日

彼我の投票率を見て・・・~選挙余滴~

お隣、韓国の大統領選。初の女性大統領が誕生した。
その選挙、投票率は75%を優に超えると言う。それが、朴氏に投じられた票ではないにしても、どちらかというと相手側の文候補の投じられた票が多いとしても、若者の多くが選挙に「参加」しうたということ。

50%台と言う“お寒い”日本の選挙の投票率の差。

そこには“インターネット選挙”が「解禁」されていると言う環境が大きく作用しているのかもしれない。

選挙への参加という「民主主義の基本」。そしてネット解禁。そういう意味では韓国の方が、はるかに「先進国」なのかもしれない。
「数字」と言うことで言えば。

昔の人は律儀だ。東京の初台に住む91歳の老婆は、かなり足が弱っているにも関わらず、指定された投票所に行った。なんと、延々100メートルにも及ぶ列。寒い中、彼女は待つことにした。寒い。見かねた近くの人は彼女の「消極的棄権」を勧めた。渋々彼女はそれを聞きいれて家に帰った。

ネットには「投票所に人が並んでいる」という書きこみが、16日に多々あった。それにしてはあの投票率は何だということになる。ネット族の嫌なところは、それを「不正選挙」と叫ぶところ。

少なくとも日本の選挙で、投票数を偽る「不正選挙」はあり得ない。

選挙後、若者と話し合った。選挙について話し合いたいというかねてからの約束だったから。彼は、ほとんど“完璧”と言っていいくらいのネット族である。
ネットの信奉者である。システム構築くらい平気でやってのけるツワモノ。
そして、彼の実家はいわき市。被災地の人間である。

彼は言う。「なぜ、20代30代の若者が投票所に行かなかったかと思いますか」。
彼の持論が展開される。

若者も選挙に関心が無いわけではない。しかし、ネット環境の中に身を置き、それの利便性を享受している身にとっては、今の選挙の在り方ではダメなのだ。
候補者がどういう政策を掲げ、どういう実績を積んできたか。ネット以外ではそれを知るすべが無い。

新聞は見ない、テレビでは政見放送はよく伝わらない。ホームページを政治家は候補者は持つべきだ。
例えばアマゾンを思って欲しい、アマゾンで、買いたい商品のレビューを見て、若者は購入するかどうかを決める。

候補者とネットを介して“対話“が出来るようだったら、若者の投票行動は変わるはずだ。投票もネットで出来るようにすべきだ。事前に住基ネットで、投票番号みたいなものを割り当てておいて、それを入力して”投票“する。

具体的なイメージさえも伴った“提案”。

当然、亭主は反論する。それって余りにも受動的な意思表示じゃないかい。選挙とは、民主主義とはもっと能動的なものであるはずと。

彼は認める。受動的というある意味での「批判」を。しかし、それでいいのだという。

投票所に行く、その前に何らかの、例えば個人演説会にまで足を運ぶ、そんなことは面倒なのだと。時間と労力の無駄なのだと。若者はそいういう「無駄」を忌避するのだと。

ネット選挙にしない限り、地縁、血縁に結ばれた旧態依然とした選挙結果しか出ないとも。

そんな受動的な若者を誰が作ったのか。親の世代だと言う。団塊の世代だという。それらの人々の老後を支える若者が、制度の問題だけに矮小化して投票行動を決めるという“違和感”。

もちろん、彼はそれらを十分承知の上で、ネットの意義を、意味合いを説く。

彼の話を聞きながら、会話しながら気づくことも多々あった。

そうなのだ。もはや時代はネットを抜きにして語れなくなったのだと。

ネット環境を持たない人達は・・・。彼はそれを持つようにすべきだと言う。
ネットがある程度の、“知識”というゲタをはかせているかどうかはともかく。

韓国を知悉しているわけではないが、ネット選挙といい、投票率といい、あの国が「先進国」であるのではないかという思い。それを埋めなければ。
亭主のスマフォ。残念ながら(笑)サムスン製・・・・。

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