雪が舞っています。予報だと午後からは止むらしいけれど。
うっすら積もる雪。今冬、郡山では初めてです。
本来なら雪は「風情」なのでしょうが、いまだ雪を、それも降り殴るような雪を見ると、あの日のこと、あれから始まった恐怖と騒乱と狂気と破壊と。
さまざまな事が思い出されて嫌なのです。
すべてを雪が運んできたような気がしてしまう。雪さん、ゴメンナサイ。
多くの被災者や非難している方も同じ思いをしているのではないでしょうか。
もちろん、仮設にしても暖房設備は一応整っているから、寒さをしのぐことには不便はないでしょうが。
雪は、心を“寒く”しているかもしれない・・・と。
テレビでも、新聞でも、選挙一色。原発政策について、全く的外れな議論とか、見当違いだったり、ありえない話が語られていますが、被災地そのものについては殆ど語られない。狭隘な考えかもしれないけれど。「語られない被災地」は、もう過去のことにされてしまっているかのような思いさえします。
時々書いている知人のこと。警戒区域の一時帰宅の人達の「検問所」の受け付け作業に携わっている人の話し。
先日も行ってきたようです。たまたま、帰宅者が少なかったため、時間を割いて富岡や楢葉、大熊、双葉の一部を見る機会を得たとのこと。
一部の道路は簡易補修されているものの、車窓から見る光景は、「あの日のまま」だったということです。駅舎は壊れたまま。車はひっくり返ったまま。あの双葉の老人ホームの前には、ひらひらと揺れるシーツが、からまったベッドがそのまま放置されている。街に時間を知らせていた時計は午後2時47分で止まったまま・・・。
涙を流しながら、それを凝視する以外になかったとか。携帯のカメラを向けるなんてことは思いも及ばなかったとか。
壊れていない家もありました。周りの破壊された光景との対比。誰もいない街。でも、そこに一時帰宅する住民。その気持ちを思うと、例え受付で、時たま罵詈雑言を浴びせられても、我慢出来る、その人たちの身になれると痛感したそうです。
その現場を、そこにある現実を見てみないと、真実は分からない。そこにしかない、人間がある日まで、生活していたはずの、変わり果てた異様な光景が訴えることが。
テレビはなんとしても、今の、あの光景を撮り、放送すべきだと思う。安穏とした郡山の生活に帰ってきて、そこにいる自分と数時間前に見た光景とが、気持ちの中で消化出来ない。どっちも現実だけど、時間と距離が埋められない。
そんな話を長い時間聞かされました。
選挙の公示日、民主党の代表も、自民党の総裁も、福島の地で第一声を上がると言う。スピーカーの音量をいかに上げようとも、その声は荒涼とした元あった街には届かない。
国会議員は、その権力を行使して、バスを連ねて、そう、その「死の街」の光景を身に行くべきだ。たまに1Fに視察に行ったということではなく。一年八カ月前までは、そこに「国民」が居たと言う街へ。
その光景を脳の襞に刻みこみ、現場を見て、現実を見て、原発政策を論じなさいと。
学者や評論家が、しったかぶりで政治を語る時代は終わった。そこを見て語る時代になったはずなのだ。
メディアやネットの政治論議、選挙論議が熱を帯びれば帯びるほど、なぜか、ボクの心の中では「虚しさ」だけが支配しているような感覚にとらわれるのだが。
雪の日、あなたは何を思っていますか・・・。