2012年12月19日水曜日

福島県民が自民を選択したわけ~選挙余滴~

東北は、特に福島県は、中選挙区の時代から「保守王国」と言われてきた。保守王国は北陸にもある。言ってみれば自民党の牙城だった。たしかに、かつて宮城県で佐々木更三という日本社会党の大物を輩出したりはしていたが。

往時、田舎は保守。革新は都会というようになんとなく決めつけられていた節がある。

今の選挙制度、小選挙区比例代表併用制という制度。その制度は「民意」といいうものを的確に反映しない。

いずれ、学者や専門家が、数字をもとに「検証」するだろうが。

比例区、自民の獲得票は全国平均27,6%、前回の26,7%と大差が無い。
投票率はさておき、有権者の27、6%しか支持を得ていない。惨敗した前回とほぼ同じ支持率。

福島県は支持率というか、獲得票は26%。でも、3区の自民候補は惜敗率で、かろうじてすべりこんだ。その3区の玄葉を除いて、選挙区を制したにはすべて自民。浜通り、原発がある5区も自民。それらに対して、ネットではいわれなき“非難”が浴びせられる。「反」という人達を中心に。

大いなる勘違いだ。被災地だからと言って、即、「思想」としての反原発にはなびかない。もちろん原発事故に直接遭遇している。極端にいえば、“悲惨”な日々を送っている。反原発を言わない、むしろ推進といわれる自民の候補に票を投じた。なぜか。

今までの民主党政権では、いわゆる“復興”が何も進んでいないということにたいする不満。長年付き合ってきた自民党の、ある種の“安定”さに望みを託した。
「原発を思えば、その被害をもろに被った身にとっては、自民にいれるのは抵抗感があった。自民党の積極的支持ではないが、とにかく現状を少しでもよりよいものにしてほしい。自民に“期待”するしかない」と。

それが、5区の人達の大方の本音。
自民が、福島を「無視」した途端、それは怒りの感情を伴って、来年の参院選で投票行動を逆転させるはず。

福島1区で返り咲いた亀岡偉民はこう「総括」している。
「敵失と風で交代した。それに安心していてはどうしようもない。自民党が前回の反省をどういかせるかが大事だ」と。そして安倍が言っている国防軍や憲法改正についても「被災地、被曝地で困っている国民を助けるという眼の前の課題を優先すべき。まずやるべきことをやってからだ」とも。

自民の候補者は、「脱原発」を訴えた人達もいるという。

福島県も投票率は低かった。あげく、避難している人達には、選挙公報や投票所入場券が届くのも遅く、投票所も不明確なままだった。

とにかく、福島県民の願いは、政治に対しての願いは「今」なのだ。だから、もう一回言う。党を超えて、福島県選出議員は結束して県民の願いに応えるべきだと。永田町の大勢に流されていたのでは、キミ達に明日は無いと。

新政権発足に向けて、人事含め、金融政策や財政政策についての議論が始まっている。閣僚人事も云々されている。

何にも聞こえて来ない。復興大臣をどうするのか、原発担当大臣を置くのか。復興庁をどうするのか、どれだけの権限を持たせるのか

せめて副大臣の一人でも福島県に常駐させるような気構えはあるのか。

選挙制度の故もあるのだろうが、余りにもの「大勝」に自民党ですら戸惑っているとか。戸惑っていると、見るべきものが見えなくなり、見ようともしなくなってしまう。

株価が上がった。8か月ぶりに1万円を突破した。それを伝えて悦に入っているようなマスコミではだめだ。

福島県民の苦渋の選択の、本当に苦渋の選択をした人達を、少なくとも県船室議員は、喚き続けて欲しい。あの「おぼっちゃま」達に聞こえるように。

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