きょう、安部と根本が1Fを視察している。そして川内村も見ると言う。
それはそれで結構。でも、それで「原発事故」を視察したことには決してならない。
警戒区域、立ち入り禁止区域の中にも入って欲しい。そこには「見るべきもの」「見なくてはいけないもの」が山のようにあるのだから。
今日から1Fも年末の休みだという。現場で働く人たちを激励というが、その多くは、休みで各地に散っているはず。
でも、前にも来ているが、その形状だけでもいい。しっかり目に焼きつけて欲しい。東電や役所のおぜん立てに従った視察で無く、主体的意志を持って視察して欲しい。そして国会で石破が取り上げた「牛」達も見て欲しい。そこで働いている人たちの声も聞いて欲しい。
見たものをどう咀嚼するか、それが政治家としての力量。
今朝、NHKが「釜石の奇跡」という番組をやっていた。津波が来たら、とにかく逃げる。その「防災教育」と叩きこまれていた子供たちは、大人を説得して高台に逃げて助かった。
その子供達の一人が言っていた。「スマトラ沖地震の津波の映像を何回も授業で見ていたから、その恐ろしさがわかっていた。それを思い出した」と。
逃げること、それは敗北ではない。むしろ、大きな決断と勇気を必要とする行為だった。
そして、見るべきものを見ていた。その焼き付けられた映像が、彼らの行動を後押しした。
3・11の津波の映像を流すことをテレビは戸惑っている。意見が分かれている。やむおえず“使用”する時には、見ることに注意を喚起するようなスーパーを流す。
津波で肉親を亡くした人達にとっては「トラウマ」として、それを見たくないという人もいるだろう。それもよくわかる。そうだとも思う。
NHKの津波警報時の避難呼びかけ放送が議論になっている。「思い出してください」という緊迫したアナウンサーの呼びかけが。
「経験を生かしてください」でも通じるのではないかと勝手に字句を考えたりしている。
津波の映像を思い出して逃げて助かった子供たちがいるという事実。
見るべきものは見る。いろんな観点から考えられること。これまでも書いて来たが。
戦争だってそうだ。原爆だってそうだ。悲惨な事実は見るべきものとして見ると言う姿勢は必要なのではないだろうか。目を反らしていてはいけないことなのではないかとも思う。
年の瀬、多くの人が一年を振り返る。振り返ることの中に「見るべきもの」が含まれていることを願う。
あの日の、あの映像の数々。死者こそ映し出されていないものの。そして自分の目で見た避難所の惨状。
それが頭にこびりついているからだろう。こうやって毎日書いている・・・。止めることが出来ないのだ。