それはある意味「原発」と同じことなのだ。
中央高速道、笹子トンネルの天板落下事故。
崩壊。破壊。
原発も高速道のトンネルも、高度経済成長がもたらした「負の遺産」なのだと。
急造、急ごしらえ、手抜き、点検ミス、安全への過信・・・。
人間の欲望とは言いたくないけど、社会システムとしてのインフラ整備。卵が先か鶏が先かの論議ではないが、不可欠のものとして作られてきた物達。
昨日見た、首都高の橋架を見てもつくづく思う。地下の鉄道網を見てもつくづく思う。
それの破壊を想像させるのに十分な光景なのだと。
たぶん、破壊は次の破壊を呼ぶ。歴史を見てもそうだ。
破壊と建設と。人間の歴史はそれの繰り返しかと。
物理的な物だけではない。選挙。話題をさらう、いわゆる第三極。特に維新。
まさに、彼、橋下のアジテーションは、政治システムの破壊だ。
そしてそれは、人間の奥に潜む「破壊願望」をこよなく刺激している。
石原のセリフとてそうだ。
「政策なんてどうでもいい、“既成”をぶち壊せ」というそれ。
閉塞感という、実態の伴わない、いわば「既視観」に支配され、デジャブとしての破壊願望。
破壊された原発は、現地の人たちはもとより、多くの日本人の人間性も破壊した。破壊させられた。あらゆる意味で。
科学は信を失い、ゆるやかだった人間関係を尖鋭化させ、新たな差別意識まで作った。
「維新」は、まさに、平成の“破壊”なのだ。既成政党を破壊し、何かを生み出したいという単なる空気。そして、なによりも「空気」に弱い日本人・・・。
選挙の時だから敢えて言う。破壊というのは大げさかもしれないが、今の選挙制度を壊そう。小選挙区比例代表並立制をやめよう。
中選挙区が一番いいのだ。政党の名簿順位で当選が決まる選挙はおかしい。短絡的だが。
選挙がもたらした破壊は、何を生みだすのか。たぶん、新たな混乱だけが話題に供せられ、雄叫びの後には空虚さだけが残るのではないか。
破壊に続くのは破滅か。破壊の連鎖がもたらすものは。
流行語大賞とやらに、「ワイルドだろ~」というのが選ばれた。この言葉のイメージも破壊的な感覚。
そして、この種の言葉を認知していくことは、日本語の“破壊”につながっていくのではないかという危惧。
流行語大賞というわけにはいかないが、日本人が心にとどめておくべき言葉は、津波が破壊していく中で、防災無線で叫び続けた、あの南三陸の女性職員のアナウンスではないか。
津波の傷跡にも、放射能が降った後にもあった光景。NHKのシンパではないが、「花は咲く」ではないだろうか。
「破壊」の後には何がある。破壊の責任をどこかに求める。責めて攻めまくって、犯人探しをする。誰かを悪者にして、かりそめの“正義”を名乗る者達は溜飲をさげるに違いない。