いよいよ、そう、そうしか言いようが無い。大晦日。2012年の締めくくりの日である。
穏やかな陽気の年の瀬。何かと気ぜわしい方々も多いかと。たしかに慌ただしい。街の雰囲気や人の動きが。
ゆっくり1年を振り返っている余裕はないが、ちょっとだけ「風」について。
亭主の体内に風邪が住み着いてしまっているからではないけれど。
仮設にちょっと寄ってきた。正月用のお届け物含めて。部屋の中には孫やひ孫の写真が。
きっと2年前の正月は、自宅のぶち抜いた部屋で、家族や親戚が集まって盛大に正月を祝っていたのだろう。やはり田舎は“大家族制”なのだ。
離れ離れになった家族、親戚。集まる場所も無い。
「ま、しょうがないんだけど、寂しい正月だよな」。持って入った果物を亡くなった相方の写真に備え語りかける。「瀬川さんが持ってきてくれたぞ」と。
返事はないけど、語りかけることでいくらか寂しさを紛らわすと言う。
ビッグパレット脇。その建物は設計当時から“欠陥”が指摘されていた。風よけが考慮されていない。常に、強い風が吹く。風が生まれている。
「ここは西風が強いからな」。“住み慣れた”ばあちゃんは一人ごちる。
そう、風・・・。いつも思っている。
あの日、原発が爆発した時、もし、東からの強風が吹いていたら・・・。50キロ以上離れた郡山にも、大量の放射性物質が、プルームに乗って、雨か雪とともに、撒き散らされていただろうと。
もうスピーディーの画像でお馴染みだろう。風は北西に吹いた。だから飯舘や霊山の一部に大量の汚染が発生した。
スピーディーのグラフィック画像が公開される前から、テレビの天気予報で風向きを見入っていた記憶。
風で人生は変わるのだ。単に同心円の距離だけではない。
今年もいろいろな風が吹いた。逆風もあれば順風も。
政界では民主に、結果論として逆風が吹いた。自民は「風よけ」に成功した。
民意と言う風が自民に吹いたわけではない。
脱原発、反原発という風がところどころで吹いていた。
「民意」という風を自公政権は、うまく取り入れようとしているかに見える。
しかし・・・。「原発」については、福島は福島という収め方のように見える。
新増設に向けての風を起こそうとしているかにも見える。
同じ自民党支持でも、福島と永田町では、その風は違う。
福島を治められなくて、この国を治められるのか。6万にも上る“原発難民”を救済出来なくて、1億国民を“救済”出来るのか。
被災地でも、警戒区域住民の間でも、すでにして、さまざまな風が吹いている。そして、そこの人達は政治と言う「風」に身を任すほかない。しかし、政治は風の通り道をすら作れない。
あと数時間で「今年」が終わる。来年はどんな風が吹くのか。
「2年、正月様(正月飾り)をつけてねえな、もう忘れっちゃうかもな」。
仮設に家のカレンダーは、まだ今年のままだった。暦を繰ることに戸惑っているのかもしれない。
あの日以来、2回目の大晦日に寄せて・・・。