2012年12月23日日曜日

天皇誕生日に

きょう12月23日は平成天皇の誕生日。皇居には祝意を表する人が訪れている。

祝意に対して陛下はこう言ったという。
「これからも東日本大震災の被災者のことを思いつつ、国民皆の幸せを願って過ごしていくつもりだ」と。

陛下の頭の中からは、あの大震災の事がきっと片時も離れないのだろう。

誕生日に先だって行われた記者会見でも、「3・11」の言及されている。
「1年9カ月が経ち、被災地に再び厳しい冬がめぐってきています。放射能汚染によりかつて住んでいたところに戻れない人々、雪の積もる仮設住宅で2度目の冬を過ごさなければならない人々など、被災者の事が深く案じられます。震災関連死を含め、犠牲者は2万人を超えました。
 また、被災地の復興には、放射能汚染の除去や、人体に影響を与える石綿が含まったがれきの撤去など、危険と向き合った作業が行われねばならず、作業に携わる人々の健康が心配です。
放射能汚染の除去の様子は福島県の川内村で見ましたが、十分に気をつけないと事故が起こり得る作業のように思いました。安全に作業が進めららるよう、切に願っています」と。

陛下が国のありようについて具体的に言及するのは稀有である。陛下としては、かなり突っ込んだ発言でもある。
許された範囲の中でのぎりぎりの意志表示とも受け取れる。

少なくとも天皇、皇后両陛下は、「私たちとともにいる」。そう受け取った
被災地の人達も多いのではないかと。

あの忌まわしい「3・11」は、両陛下と我々を、近づけた。

天皇論を語ろうと言うものではないが、天皇という存在があったから、そして、両陛下が「動いた」から、被災地のどこにあっても、暴動のようなことは起きなかった。そして両陛下から「力」を貰っていたはず。

避難所を回られた時の、あの真摯な姿は、この亭主の心さへ打った。

昭和天皇とて然りだった。と思う。昭和天皇の存在が無ければ、日本人同士が血で血を争うことだってあり得たはずだと思うから。

なぜ、日本人は天皇なのか。歴史のある時期から、日本人は農耕民族であった。
五穀豊穣を願う天皇は、その祭主としての、“頂点”にある立場だったから。

昭和を長く生きてきた亭主の時代にあっては、天皇誕生日とは4月29日であった。その「祝日」が「緑の日」と名を替えられた。違和感がある。

国民の祝日に関する法律。それを云々するのも本義ではないが、あの法律ほど“政治色”の、それは、いろいろな意味で、強いものはなかった。

終戦直後にあっても、家々の軒先には日の丸が掲げられ、昔からある記念日、祝日を祝った。だから、昔の人は、それを「旗日」と呼んだ。
天皇誕生日を含め、皇室にかかわる祝日に於いては特に。

いまだもって、“君が代、日の丸論争”が絶えない。少なくとも天皇の存在については、あの時代とは違っているはずなのに。

憲法は占領軍の押し付けだったという。そうだ。しかし、あの天皇を国民の象徴としないかぎり、もしかしたら、昭和天皇も“戦争犯罪人”とされていたのかもしれないのだ。もし、仮にそうであったら・・・多分、今の日本は存在しなかったのかもしれない。
あの「憲法」が天皇と日本を守ったというのは間違えか。

憲法を押し付けと言い、改憲を言う。理由は「押しつけ」。ならば、同じ「押しつけ」の日米安保はどうだというのだ。改定ははかられたものの、それは、未だ片務条約であり、双務条約ではないと思うのだが。

天皇誕生日に、ふと思ったこと・・・。

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