2012年12月4日火曜日

「古い」とか「新しい」とか~時々選挙の話~

きょうは衆院選公示。「選挙列島」となるのでしょう。少なくともマスコミはそう呼ぶのでしょう。

「古い政治よさようなら、新しい政治よコンニチハ」のような連呼が、こだまですか・・みたいに流れてくるのでしょう。

政治の世界に於いて、何をもって古いとし、何をもって新しいとするのか、さっぱりわかりません。

旧態依然の政治、それは古いということなのでしょうが。新しいを掲げる人達も旧態依然の選挙戦やっているじゃないですか。
ま、それは手法の問題なのですが。

とにかく政治家は「新」という字がお好きらしい。「信」であるべきなのに。

新自由クラブというのがあった。自民党を飛び出した人達。
新進党というのもあった。これとて同じようなもの。
もはや、これらは古い話か。

国民新党ってのもあるな。古色蒼然とした顔ぶれだったような。他にも・・・。

古い政治とは、かつての自民一党支配の頃のことをいうのか。官僚政治を言うのか。

革新勢力という区分けがあった。革新とは何だったのか。民主党が目指したものは“新しい政治”だったのか。

新党なるものが林立している。新党ブームは「新しい時代」の萌芽なのか。

「古人の跡を求めず、古人のもとめたるところをもとめよ」という言葉がある。
松尾芭蕉の言葉。元は空海の教えであったともいわれる。書道の心得とも。

新しい言葉が生まれていく。しかし、それらは、瞬く間に消えていくような。
そして、人は「古語」の「古人の教え」にいつの時代も惹かれる。
新し物に人は飛び付く。にわか仕立てのような“新しい物”に何の価値があったのか。

新しいもの。それは使い捨て時代を象徴しているような。ある時代から、生活の中で誕生した新しいものは、すべて「使い捨て」文化だったということ。

子曰わく、故きを温(たず)ねて新しきを知る、以て師と為るべし。論語の有名な一節。本当に良い古いものは新しいと。

“新しい中国”は、今、日本人が敢えて学ぼうとしている中国の古典を捨てた。
古典を捨てたことによって荒廃をもたらしてはいないのか。

日本人にとって古い時代とはいつのことで、いつからが新しい時代なのか。

一部の党首は公示の第一声を福島で上げた。悪天候の中御苦労さま。野田はいわき、安倍は福島市から県内数か所、福島瑞穂も、笑えるのは嘉田。第一声飯舘村。村のどこでやっているのか知らないが、基本、あの村には人はいないはず。

福島にくれば原発に触れにわけにはいかないだろう。触れるために福島を選んだ。選挙が無ければ、たぶん「見向き」もされなかったはず。

どいつもこいつも“世間向け”のアピール。熱烈な支持者はともかく、にわか仕立ての、とってつけたような「福島」。どれだけの県民が“歓迎”するのだろうか。

福島に来て原発を語るなら、反とか脱ではない。今も、その時も苦しんでいる人達を、東北の被災者をどう救済するのか。その具体策なのだ。

彼らが福島の地で何を語ったか、語るか。まだ知らないが。「フクシマ」が無ければ、反原発運動は起きなかったはず。少なくとも今のように、政治の“焦点”とはならなかったはず。

さまざまな意味で福島県は「利用」されている。選挙が終わったあと、また福島はもとの福島に戻る・・・。

それら全てを「許容」しなければならないのか。・・・と。

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