2012年12月9日日曜日

「有権者」の”正体”

雪の郡山。駅前では「あぐり市」という地元産の野菜の直売イベント。そこに登場してきたのは「投票に行きましょう」の啓発ボランティア。寒空の中、ティッシュ配って・・・。

こと選挙にかんする限り、選挙期間中だけは「有権者」は主役に躍り出る。
有権者は“神さまです”と言われ、かっては“清き一票を”と懇願された。
清い票と、清く無い票、なんの区別もないはずなのに、有権者におもねっての言葉だったのだろう。清き一票は。

そして、選挙が終わる。主役であり、神さまであった有権者は、当選した権力者、センセイたちの“奴隷”と化す。
奴隷解放を訴えたリンカーンにしても、「人民の、人民のための、人民による政治」という名言を残したものの、誰しも、それを“理想”と掲げるものの、その「現実」を体感したものはいないはず。

不成熟な民主主義。

だから、一瞬だけは主役であり、やがて奴隷と化す有権者の在り方。常に、どの選挙でもそれが問われているのだが・・・。
期待と落胆の繰り返し。行ったり来たりの繰り返し~。♪かもめが翔んだ♪。

だから、奴隷解放を願って、有権者が政治を見放しても、政治は放っておいてはくれない。政治は我々の生活にいやおうなくかかわってくる。
好むと好まざるとに関わらず、我々は“政治”なしではやっていけないということ。

余りに皮肉な民主主義。

有権者の気構え。政治不信を嘆くのみではなく、それを培養したのは我々であるという気構え。
奴隷となることへの覚悟。その気構え。

ポピュリズム政治といわれ、ポピュリズム選挙と言われる。目新しいのが「小泉選挙」。自民党をぶっ壊す。その一言に酔った人達がなんと多かったことか。
そして、自民党はぶっ壊れたのか。
壊れていない・・・・。

ポピュリズムという言葉の定義は難しい。大衆迎合と訳すか、衆愚と訳すか。
橋下維新はまさにポピュリズム政治を目指しているかのような感がある。弁舌さわやかに事を論じる。それに惹かれる有権者もいる。
脱官僚政治。まさに有権者受けするスローガン。

反、脱、卒、原発。そのスルーガンはよし。しかし、それとてもポピュリズムの範疇にある。
将来を語るのではなく、今を語っていない。眼先の「原発問題」。それの解決策は誰も示さない。示せない。福島を語れない、語らない。

ポピュリズムとはアンチ既成政党ということか。しかし、安倍自民党もポピュリストと呼んで差し支え無いのではないか。かつて「美しい国日本」を売りにしていた時から。

我々はポピュリスト達の好餌となるのか。それを「否」とするのか。

有権者の正体が試される。

選挙すること。それは国民の権利であり、義務である。投票するのは、いうまでもなく「正しい」ことである。それが、どういう投票行動をとるのか、有権者が持つ「正義」とどう合致するのか。

有権者の正義とは何か。またもやの“難問”を塾でぶつけてみたいとも。

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