2013年3月14日木曜日

不自由な言葉達 続き

今朝、宅配便が届いた。東京に住む知人から。段ボールの中には、10個に余るイスターエッグと携帯ストラップのような細工物、そして手編みのショール等。全部手作り。
手紙が添えられていた。「遅々として進まぬ復興の様子を見ていてイライラしています。かける言葉もありませんが、誰かに差し上げてください」と。

そう、かける言葉もないのだ。でも、言葉は無くていい。懸命に作ってくれたであろう品物の数々が、言葉を補って余りある。

彼女は一昨年、原発被害以降、手作りの品物、時にはセーターであったり、身にまとうものであったり、定期的に送ってきてくれていた。「避難所の人たちに、役立つなら届けて欲しい」と。

避難所は仮設に変わった。仮設に届ける。それを身にまとったばあちゃんは、見る限りでは、すごく嬉しそうだった。そこに「言葉」は無かったけれど、人の心が感じられるものがあったからだろうか。

東京で、福島に知人がいるという理由からだけかもしれないが、「復興」なるものの様子を見ていて、心を痛めている人もいるということ。

その品物、好意を仮設の人に届ける時、ボクは敢えて言葉はかけない。黙って渡すわけじゃない。「似合うよ、色っぽくなったよ」と言った程度か。

2年の歳月。避難区域は変わり始めている。区域見直しという形で。例えば川内村のように、帰村宣言が出されてところもある。戻った所は、そこに、以前と同じように家があっても環境は全く変わった。
生き甲斐であり、楽しみであった畑仕事は出来ない。仲間もいなくなった。
また仮設に戻ってくる。
村の様子を様々語る。そして最後に言う。「何を言っても仕方がないんだよね」。
そう、「仕方ない。仕方ない」。そんな言葉で自分の心を静めている・・・。

別の人は言う。仮設暮らしは辛いと。
「でもな、こんなことに、負けてはいらんね。東電には怒りたいけど、怒ってもしょうがないべさ」と。
「仕方ない。しょうがない」。そう、諦めの言葉だ。
去年はそれでもまだ、「帰る、戻る」という言葉が多く聞かれた。カラ元気とも思われる自身を鼓舞する言葉が聞かれた。

それはまだある。人前では。他人を気遣っている中では。本心は明らめに変化していっている。

3年目・・・。明らかに、被災者の口からでる言葉は変化している。そして、習い覚えた言葉でしか、今の自分の感情を表現するしかないことにもどかしさを感じているようにも見える。

「もう、何も言うことはないべさ」と。

そして、これらを書いているボクも、3年目を語る「的確な言葉」を見つけられない。

もしかしたら、言霊は日々思っているのかもしれない。「言葉の無力さ」を。

あちこちで「復興」の名を冠したイベントが行われた。行われている。それに“参加”した人達は一様に言う。「元気をもらいました」と。

本当に貰ったのだろうか。元気を貰いましたという言葉の裏には、東北人特有の“感謝”の気持がある。まれ人。稀人。客人・・・。

自分たちのためにわざわざというような。

その場で貰えた元気はいつまでつづくのだろうか。

一昨年ボクが聞かされて言葉。「前を向けって言ったって、どっちが前だかわからない。頑張ろうって言ってくれたって、もう十分頑張ってきたよ。これ以上何を、どう頑張れっていうのかい」。

その言葉が、いまだ脳裏にこびりついている・・・。

3年目、ブログのデザイン、色を変えてみた。何かが変わることを期待して・・・。

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