じょうえひかん しんすいしょうご。法華経にある言葉らしい。
何故か好きな言葉であった。それこそ、何時も懐に温めていた。
深い悲しみも、じっと耐えて、自分の心の中に常に温めていれば、やがて心が覚醒し、悟りの気持ちになる。そんな風に解釈して。
「3・11後」にも、この言葉を多分、何回か使わせて貰った。
毎日伝えられる多くの人の死。伝えられる家族や知人の悲しみや苦しみ、悔しさの言葉。
それらをどう受け止めるか。ボクはこの「常懐悲感 心遂醒悟」という言葉に“逃げた”。
亡くなった方は「見知らぬ人」ではあったが、どこかに、not as a Stranger、「見知らぬ人で無く」という思いがあったのだろうか。
多くの人の死に関わって来た。それまでも、それ以降も。両親の死、犬の死、事故死、自死・・・。それに関わっている時間はボクにとっての、やがてボクにも来る「メメントモリ」、「死を想う」時間だった。
一昨年の今日、3月12日。家のほとんどの家具や家財が壊されて中、もちろん家そのものもそれなりの損壊を被っていたが、とにかく「片づけ」を始めていた。大型テレビはもちろん落下して壊れていた。かろうじて床に落ちてはいたものの、映る小さなテレビを持っておりて、多くの人が亡くなっている”ニュース“を聞きながら、多くの食器のカケラを拾い、壊れた酒びんを集め、その酒でびしょ濡れになった本の取捨選択をしていた。
思い出の品も壊れた。結婚式の引き出物出したグラス。一対だけ記念の品としてとって置いたものも見事に壊れていた。
「形あるものは壊れるさ。せめて“心”だけは壊さないようにしよう」。そんなことを誰ともなしに言いながら。
きょうも新聞には、2万人に及ぶ死者にまつわる話が数多く書かれている。未だ悲しんでいる人もいる。そこから脱却して行こうと心に決めた人もいる。「忘れよう」と努力している人もいる。悲劇を出発点とした「美しい物語」も沢山書かれている。それを読むと尚、悲しさが湧いてくる。
もちろん、亡くなった人達一人一人の死に寄り添い、想うこは出来ない。ただ、それがどんな形であろうとも、どんな形で報道されようとも、その“事実”に対しては、自分の心の中に刻む以外に無い。
生きているということは、多くの死者との出会いでもある。それは“魔法”にかかっていたことなのかもしれないが、天童荒太の「悼む人」を読んでいてよかったとも思った。悼むこと、それは忘れないこと。そう作者は書いていたような気がする。
多くの2年目の節目の震災、原発事故報道。やはりというべきなのか、流れてくる情報では、テレビの視聴率はあまりよくなかったようだ。
それも「風化の証」というべきなのかどうか。あの報道の数々を、一番御簾必要があった人達。即ち“政治”に携わっている人達。たぶん、ほとんどの人が、それと向き合って凝視していたとは思えない。
新聞で見る限り、昨日の国会論戦の主流は「憲法改正問題」だったような。
そして思う。数日にわたった節目の報道。それは、東京のテレビが東京の人達のために作った番組ではなかったのかという皮肉。
被災地の人達に多くが知っている事実の数々が、それは死者のことだけではなく、いわゆる“復興”なるものに関しても。それらがどれだけ受け入れて貰えたのだろうか・・・。
今朝の新聞にあった小さな記事。食品の安全に関しての消費者庁のアンケート調査結果。多くの人が福島はじめ被災3県の食物の安全に関して“疑念”を持っていると。想定外でないが。
驚いたのは、その食品に関して、生産地が「安全検査」をやっていることを22%もの人が知らなかったということ。これは想定外だった。
だから、一昨年も書いたけど「風評被害」なんて言うまい。被害があれば、被害者がいれば、その加害者は喜ぶことになるのかもしれないから。
きょうもメディアは言っていた。書いていた。「風化させまい」と。その”風“は風潮は、たとえ一過性のものであろうとも嬉しいが、すでに、忘却という風が吹いている以上、その風を風潮をメディアが止められるものなのか・・・。
戦後間もなく、ファッションとして「真知子巻き」というマフラーの付け方が流行った。ラジオドラマであり、映画になった「君の名は」。ヒロインの岸恵子のファッション。
その「君の名は」の冒頭に出てるナレーション。主題歌の前振り。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。
古い”セリフ“が、今、ボクの中では蘇っている。