思い立ってアーカイブを開いてみました。
当、からから亭、2011年の3月15日が“再開”でした。
震災当日はすでに“営業”していました。あの揺れが来る前に作業を終えていたようです。
「本音と建前」、そんなタイトルで人の世の批判を書いていました。そのタイトルが図らずも、その後も使うことになり、今も生きているということ。
地震の中で、自宅のパソコン環境は“破壊”されました。無線ランはもちろん機器まで。
当時、すでにだいぶ前からツイッターはやっていましたが、まだ“爆発的”ブームにはなっておらず。いわば仲間内の「お遊び」。
店のお客様に安否を知らせたいと、やっと、今日15日になって知人のipad
を借りて数行。「ご心配、ご迷惑おかけしています」と。
そしてやって通信環境が完璧とまではいかないまでも、やや回復した19日から、すっかり装いを変えた「からかた亭」が営業を再開しました。それから連日の“営業”。
19日に書き始めたのが「この国の姿」。何回続けたことか、このタイトルで。
そんな表現でしか語りえなかった事の多さ。大きさ。
小さなノートパソコンを台所の片隅に持ち込み、テレビ、新聞、ツイッターでの情報を頼りに、そこから見えてくる物を書きまくりの日々でした。なにしろ無線ランは復旧せずで、モデムと直結させての作業でしたから。
よくあんな環境でキーボードを打っていたもんだ。ノートパソコンと携帯とメモやら何やらの紙や切り抜きが積まれた1メートル四方の“戦場”。
事務所が再開出来たのは確か3月末。ひきこもり状態だったのかも。なにしろ水を始め、生活必需品の確保にも専念しなければならなかったし。
ガソリンも無かったし・・・。
行数は増え、内容も理屈っぽく、以前からの常連さんには、もしかしたら敬遠されたかもしれません。
19日から書き始めたことの数々は、その固有名詞やちょっとした環境、例えば避難所を仮設に置き換えてみれば、3年目になった今年の、今のこの国の姿とほとんど変わってないことに気付きます。
そうなんです。何にも、ほとんどが、「変わってない」のです。
でも、変わったものもあります。人の心の動きです。そして「失ったもの」の多さと大きさに気付きます。
失った富や財産は、もしかしたら「カネ」の力で、元通りになるかもしれません。もしですよ、仮にですよ。
失った健康は、一般的な病気の話ですよ。それは医者や薬で元の身体に戻せるかもしれません。
しかし、失われた時間だけは、永遠に帰ってこない。
失った2年と言う時間は、帰ってこない、戻ってこない。
去年、あるところに「止まったままの時計」という一文を書きました。
あなたの時計は動いていますか。止まったままですか。
あなたの時計は今、何時何分ですか、少しはその針を進めていますか・・・と。
止まったままの時計の人もいます。どうにかして針を進めたいと思っている人もいます。
時計という奴は困ったもんだ。言うことをきかない。なかなか人が思うような時の刻み方をしてくれない。
あなた方の「こころの時計」に聞いてみてください。問いかけてみてください。
「おい、動いているのかよ」と。
動きたくない時計を無理矢理動かそうとしている人達もいます。失われた時間がなかったかのように。
もう一回、「この国の姿」を連日書いてみたいような気になります。でも、出来ないしやらないでしょう。
ボクの時計も止まったままなのだから。ゼンマイ仕立ての柱時計の時代ならともかく・・・。