去年の今日、ボクはここに書いた。
「去年の今日生まれた虎ちゃんへ」という題名で。
瀬川虎という子がいる。2011年3月11日に地震の中で仙台の産院で生まれた子。瀬川虎ちゃん。
それを何かで知って、同じ名字のよしみで彼に一年遅れの誕生祝いのメッセージを書いた。
あの日、被災3県で100人の命が誕生している。多くの命が失われた中で、多くの命の代わりのように。福島県でも、30人が生まれていた。その次の日、また次の日、放射能が降り注ぐ中で何十人もの子供が生まれている。
自らが癌に侵されながら、南相馬の病院、原町産婦人科医院に一人留まり、医師としての使命を全うして先頃亡くなった高橋享平さん。たしか74歳だったと思う。震災後80人の赤ちゃんの出産に立ち会い、その後も、続々と病院が閉鎖される中、その地に留まり、抗がん剤を投与しながら、衰え行く自らの体と闘いながら、地域医療を守った人。
先日、虎ちゃんがテレビに映っていた。両親に手をひかれ、公園の中を走っていた。なぜか嬉しかった。去年、虎ちゃんの事を書いた後、母親からフェイスブックで、それも、お母さんがどこかで、虎ちゃんの事が書かれていると言うのを聞いてメッセージをくれた。それだけの縁だったが・・・。
虎ちゃんには言葉を二つ送った。「ひこばえ」と「ゆずり葉」。お母さんは、虎ちゃんが大きくなったら、その言葉の意味を教えてやりますと言ってくれていた。
あれから丸二年。2年後の3・11。今日を語る言葉は持ち合わせていない。2年目の今日を語るに相応しい言葉が見つからないのだ。
昨日、NHKの特別番組でNHK仙台の、あの津田喜章アナウンサーが“被災地の声”を、全国に向けて伝えていた。彼が静かに語る、被災者を代弁し、フォローして語る言葉の一つ一つが胸に刺さる。なぜ、彼はそうなのか。そうなのだ。彼は「背負っている」からだ。石巻の被災者として。だから、彼の言葉は「生きて」いる・・・。
言葉は難しい。ここ数日、テレビで語られた、被災者の口から出た言葉の数々。
被災者の言葉は、その一語一語が胸を打つ。それをボクは刻む。
そして「虚しい」言葉も・・・。
今もなお語れる言葉。そのほとんどすべては、すでに、その殆どをここに書いて来た。書きつくした感さえある。
流浪、漂流、棄民・・・。書いても書いてもそれは無くならない。
復興、復活、復旧・・・その意味合いは時の経過と共に、その意味や背景を変えていく。
絆。それは生きることだけに必死だった、悲しみに心を奪われた人達同志の中で、意味を持っていた言葉ではなかったのかとも思う。
2回目の3・11。きょうは祈りの日であり、考える日であって欲しいと思う。
考える一つのテーマ。それは「真の豊かさ」とは何かということ。便利と豊かさは違うと言うこと。経済成長が豊かさの“証明”ではないということ。
本質的には“違う”と思うが、経済成長と原発がリンクしているのだとすれば、求めた経済成長、物質的豊かさを希求した結果に何がもたらされえたのかということ。
かりそめの豊かさを求め、それが当然だと思っていた人々。それが、結果失ったものは余りにも大きい。
真の豊かさ、それは、心の豊かさ。それがあれば、もしかしたら、絆とか頑張ろうとか、そんな「言葉」は必要なかったのかもしれない。心の豊かさの中には、それらはすべて包含されていたものであり、ちょっと水を差してやれば甦る言葉であったかもしれないのだから。
じゃ、心の豊かさとは何なのだろう。豊かさの意味や基準は、人それぞれによって違うのだから。
家族がいることが「豊かな心」の根底だと思う人もいる。では、家族を亡くした人の豊かさとは何か。
人それぞれが、「真の豊かさ」を探す旅に出る日が、2年目の今日なのかもしれない。
たまたま歌を耳にした。旅先のナイロビで紡がれた歌という仕立ての。さだまさしの「風に立つライオン」。そこで彼は歌っている。家族や恋人への想いとともに、こう歌っている。
♪ぼくたちの国は、残念だけど、どこか、大切なところで、道を間違えたような気がする♪
ボクにとっての豊かな時間、それは一人、本を読む時間。そうだった。その“豊かさ”は奪われた。読むべき本が違ってしまったから。文学を読んでいたかったのに。
それとは別に、月に一回、一時間余り。豊かな時間を与えて貰っている。ボクの話を聞いてくれる、そのために集まってくれる若者がいる「塾」だ。
明日が、その塾の日。真の豊かさについても話しあってみたい。テーマは「東北学」だけど。
手前勝手な“豊かさ”のために、サムネイルを変えて見る。そして塾へのリンクを貼る。今日と言う日を一つの節目とするためにも。