2013年3月29日金曜日

「だって東大なんでしょ」

東京立川の活断層の話題、そう、話題としか言いようがなくなった。工事跡を、地中にあったコンクリート片を断層が動いた結果と誤認したという、なんとも「お粗末」な話し。

誤認が発覚したのは、一般公開で、土木関係者の見学者が断層とされたところを人工物に見えると指摘したことだという。

誤りをすぐ発表したことは、それを嘘の上塗りをするのでなく、謝ったことは是とするものの、なんとも頼りない「東大地震研究所」と。

その活断層の上に住んでいる住民、年配の女性が言っていた。「だって東大なんでしょ」。思わず膝を叩いてその女性に拍手。

東大、東大、天下の東大。それが東京帝国大学と言われていた時から、まさに東大は最高学府であり、大方の人は、信頼を寄せていた。
「東大の偉い先生が言うのだから間違いない」ってな具合で。

原発事故後、東大に対する、そこの研究者に対する信頼は著しく損なわれた。
原子力工学から始まって防曝まで。言うことはことごとく外れる、世間を惑わす。大いなる権威の失墜。

普通の年配の女性が切って捨てた。「東大なんでしょ」。その一言はこの国の権威を真っ向から否定した言葉とも受け取れる。学者の“権威”はその座を保てなくなったような。

言い訳けがふるっている。「催眠術にかかったようだった」。言うこと無し。

とかく世間は、なんでもかんでも「学者」に頼る傾向大。それが、時には危ういことに福島の人はすでに気付いていた。学者の論を信じなくなっていた。

「日本は地震列島であることは間違いない。巨額な予算を使って、いくら予測したり、調査しても所詮無駄。何時来るかわからないって覚悟を決めるっきゃないさ」。そんな一般の、普通の人の言うことが“真理”なのかもしれない。

この活断層誤認、与える影響が怖い。学者への不信だけならまだしも、多くの原発立地地域で行われている調査結果そのものへの不信。それは電力会社を勢いづかせる。再稼働への疑問を消してしまうような空気が出ることへの恐れ。

多分、彼らには「利用」されるだろう。

学者とは離れるが、東大法学部出身の官僚。たしかに優秀である。一を聞いて十を知る。まさにそんな具合の人も。

その東大出の官僚が、事あるごとに謗られるのか。普通の言葉で言おう。「頭でっかち」だからだ。頭は優秀だけど、手足がついて来ない・・・。

手足とは何も“部下”を指して言っていることではない。その人の全体像だ。

現場を知る。現場を経験する。それが、今、被災地に携わっている官僚に要求されること。

福島県にも国から優秀な官僚が“出向”で来ていた。定期的な人事異動で彼らは本省に戻る。戻らないとポストが無くなるから。出世が出来なくなるから。

国、県、市町村。公務員の交流をもっともっと計らねば。まともな高級官僚には、仕事に対して熱意とこころざしを持っている人には地方の役人もついて行く。手足となるはず。寝食を共にするという事がいかに大事なことか。

様々な「規制」の執行者として、権威として官僚が存在する限り、この国は動かない。

学者、官僚。権威、権威。それに寄りかかっていたことの危うさに人々は気付き始めている。そうなんだ。「倚りかからず」なのだ。いかなる権威にも。

茨木のり子の詩が痛い。

もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ。

冒頭の女性と茨木のり子が重なって見えた。

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