2013年3月18日月曜日

顕在化する“分断”

昨夜あった町内会の集まり。
役員が説明する25年度の“事業計画”。除染の話があり、新たな線量計の貸し出しの話がある。市の通達によるものだろう。
出席者の反応は、ほとんど無表情。遅々として進まない除染なるものへ、もはや無関心という心情になっているのか。
線量も大方の人は知っている。今更計ってもという空気が読みとれる。
住民それぞれが「自衛策」や「自主判断」をしてしまっている。そんな「空気」を読み取る。

総会が終わって懇親会。近くに仮設があるせいか、話題は避難して来ている人達のことに及ぶ。
「朝な、仮設の前を通ると人がぞろぞろ出てくるんだ。近くのパチンコ屋に一直線。パチンコ屋は儲かっているらしい。パチンコ屋は避難している人達に“義捐金”を送ったっていう話しだぜ」。
「まるで遊んで暮らしているようだ。なんかおかしいぜ」とも言う。

話はいわきであった“事件”にも及ぶ。「あっちは大変らしいな」と。

いわき市で避難して来ている人達の車が壊されたり、避難民は帰れという張り紙が車や仮設に張り付けらていたという“事件”。
いわき市の住民は言う。「家は津波で流された。どこも補償はしてくれない。途方に暮れている。避難して来ている人達は東電から賠償金を貰い、遊んでいる。おかしくはないか」と。

難しい、本当に難しい。どちらの立場に立って良いものかも含めて。

原発立地で「カネ」を貰い、事故があれば補償という「カネ」を受け取る。それを、ある作家は、現地に在住していた人は言う。「シャブ中」にさせられてしまっているからなと。

そのシャブ中患者もボクは責められない。

とにかく「カネ、カネ、カネ」の世の中を、そんな国を作ってきてしまったのだから。
“カネが全ての世の中さ”、そんな昔の嘆き言が、まかり通ってきてしまたのだから。

福島県民同士、お互いさまの精神で・・・。たぶん、それは無理なんだろう。事ここに至っては。

福島県とは、ある時、明治政府が決めた単なる行政区画。「県民」という言葉でくくるのには無理がある。

避難者を時には非難するような目線。潜在的な意識。差別とは言わない、あえて言うなら区別か。それは、もう以前から存在していた。
それが時日の経過とともに顕在化している。

疎んでいるのではない。隙間が出来たのだと理解したいが。
れを人間だれしもが持っている「欲」という卑近な事例でとたえるのか、災後に出来あがってしまった社会システムの、社会構造の、その根源の問題として捉えるのか。

そして、それは、避難している地域の人達の間でも、本来はあってはならない“分断”が、意識や行動でも、顕在化し始めた。

刹那的な憂さ晴らし。たぶん、その人達は、それがわかっているから、尚更辛いのだろうなと思う。

立場は違うがボクも辛い。国や政府や東電を謗り、非難し、時にはののしってさえいる。しかし、それは、それを言うことで、ボクが“溜飲”を下げているわけではない。

彼らの無策、無能を書くたびに、思うたびに、ボクのこころはより辛さを増してきている。

ボクは根っからの福島県人では無い。たまたま、この地に住んでしまっただけの人間にしか過ぎない。だから、「他所者のたわごと」と誹謗されるかもしれないが、黙ってない。たぶん、「福島」について折に触れ書き続けるであろう。
いろんな角度から。感情論も含めて。

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