2013年3月5日火曜日

福島に生きることの“ストレス”

いつの頃からか、一般化して、多くの人が思っている概念である“ストレス”なるもの。いわゆる“ストレス”とでも言おうか。

ボクは今、激しく“ストレス”なるものの中にいる。ストレスを抱えている。
福島県に生活しているものとして、それは尚更・・・。

仮に東京に居て、そこで世の中を見ている時に感じるストレスとは、たぶん、大違いだろう。

福島に生きることのストレス。それはボク自身の「放射線被害」のことでは全く無い。どちらかと言うと、放射線に対して、甚だしく無頓着な方である。

だからボクが受けるストレスというものは、自分の健康被害がどうだこうだというものでは決して無く、「被災地」としての福島から、身近な人や、周りの人、毎日、見、聞きする被災者の様子や国や県の在り方。
この国の人達の在り様から来るものだ。

朝、新聞を斜め読みし、テレビを見るたびにストレスは募る。見なければいいのだろうけれど、そうはいかない。

そして、間もなくやってくる「あの日」に向けての新聞、テレビ、雑誌の報道。企画や特集。それを見ているとまたストレスが倍加する。

福島は蛇の生殺しにあっている。そう思ってしまう。

16万人の避難民に対して、その場しのぎのような説明と対応で、何も解決策が示されていないこと。
先の目途は全く立っていないこと。その人達が、まるで「居なかった」と思わせるような見方をする人・・・。

ネットでは、相変わらずの「デマ」や「恐怖心を煽る」何文字かの“つぶやき”が絶えない。
「人の噂の75日」。あの諺は嘘だね。もう2年が経とうとしているのに。
よく飽きもせずに・・・。もちろん反論もしないし、無視を決め込んでいる。不愉快極まりないが。なぜ、それを見ているのか。どんな人がいるのかを知りたいから。日本人にどれだけ、越えられない壁を持った「バカ」がいるかを知りたいから。

地元の新聞にこんな記事が載っていた。一昨年の出来ごとだが。
双葉町から避難したお年寄り。102歳。子供さんがいる東京に避難。具合が悪くなり救急車要請。「スクリーニング受けてきた」というと救急隊員が怯んだ。
都内の病院に救急搬送すると、出て来た医者は防護装置を身につけ、挙句、「被ばくしている人は診察したくない。私にも家族がいる。被ばくしたら困る」。
診察拒否。他の埼玉県の病院に搬送された時は意識不明。やがて亡くなったという。

自社取材の記事なのか、配信物なのかはわからない。そして一昨年の事が何故、今だとは思うが。今、遺族が明らかにしてくれたのかもしれない。
こんな話は多分、もっとあるだろう。

医者だよ、医者。職業としての医者。倫理観も使命感も無いのか。
北海道では猛吹雪の中、子供をかばって凍死した父親の事故があった。普通の人でも、弱いものはかばう。

福島では、弱いものはそのまま放置されているようだ。心を寄せてくれている人達も大勢いるというのに。

敢えて言う。「棄民政策」は変わらない。そして、原発の事故処理は、いつ果てるともわからない。40年後の廃炉。無理だろう。
「百年河清を待つ」ということか。

国会での代表質問。原発に関する安倍の答弁は余りにも他人事のような。担当大臣に指示しているところであります。


一事が万事、ストレスの種・・・。
だからと言って「ストレスが溜まっている」と弱音を吐いているわけじゃない。ストレス大歓迎だ。ストレスと対峙しようとしても、それは吐き出された放射能の如く、対決不可能だ。
極限まで「ストレス」を受け入れる。ストレスの塊になった時、始めて見えてくるものがあると思っているから。これ、なぜか持論なんです。

悲しい時には、もっと悲しい詩や小説を読もうというのも持論。そうしてきた。
どん底まで行くと這い上がるすべが見えてくるから。

そして、ボクは決して強い精神を持った男ではなく、どちらかというと弱虫なんです。

当事者ではないのに、物理的には、今や、日々平穏な日々を送っているのに、当事者のようなふりをしている“偽善者”のようにも自分が思えるけど。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...