若い時に観た映画の題名。映画のあらすじとはもちろん違うけれど、今、いや、いままで、我々は、社会システムとして、欲望と言う名の電車に乗ってきたのではないだろうか。
映画の中にこんなセリフがあったと思う。
「欲望という電車に乗って、墓場という電車に乗りかえて、六つ目の角でおりるように言われたのだけどー極楽というところで。」
電車を乗り間違え、降りる所を見失い、もはや、元に戻ることすら叶わず。
途中で気がついて降りたのだろうか。極楽なんて無いということに気付いて。
いや、まだ、多分、その「欲望と言う名の電車」に乗っているのだろう。そして電車は走り続けているようだ。
その電車には降口が無いのかもしれない。
乗り合わせた人の思いはそれぞれだろう。そして、その電車を止めるべく線路に横たわる”デモ“の人達の姿も少なくなった。
制御不能のようになって、ひた走る電車。それは、あの原発の爆発時のような様相。
電車も時代も、ある時から道を間違えてしまった。
欲望には果てしが無い。欲望は欲望を呼ぶ。電車の運転席は見えない。不透明なガラスで遮断されているから。見えないように作られているから。
電車のスピードは上がっているようだ。電車に乗り遅れた人達もいる。置き去りにされた人達も。
ブレーキの効かない電車。せめて、だれか転轍器を動かしてくれないものか。
古い映画の題名を思い出すなんて、なんか、昨夜の夢見が悪かったのかもしれない。
思考回路は春に背いている・・・。