さだまさしの曲に「風に立つライオン」というのがある。
もちろん、大震災以前に作られた曲ではあるが・・・。
その歌詞の一部に「君と歩いた千鳥が淵公園の夜桜」って個所があったからか。
国際医師団として世界各国を回り、アフリカのナイロビに居る時に、その恋人から届いた結婚報告の手紙。それに対する返信として書かれたような詩。
その中にはこんな言葉が書かれている。
「この偉大な自然の中で病と向き合えば、カミサマについて、人について考えるものですね。やはりボク達の国は、残念だけど、何か大切なところで道を間違えたようですね」。
さだまさしは、すでにして気づいていた。この国が道を間違っていることに。
だけど多くの日本人は、道を間違えていることに気づいていなかった。気づいていても気づかない振りをしていた。そうなのかもしれない。
そして、今も「間違った道」を歩き、走りしているような気がする。間違ったナビが告げてくれる道を進んでいるのかもしれない。いや、進んでいる。
道か・・・難しいな。他人が作った道。自分が踏み出した道。道は一本まっすぐな方がいい、そう言った人もいれば、まがり道くねくね~と歌った歌手もいる。“迷い道”という歌。
風に立つライオン、それは、ナイロビの医師だけではない。福島にも、被災地にもいる。年若いライオン達が。子供たちだ、小中学生だ、高校生だ。
風に立つ子供たち。彼らが立ち向かう風とは・・・。放射性物質のプルーム運んだ風ではない。世間という風なんだ。
こんな子供の言葉を聞いた。読んだ。卒業にあたっての言葉だったか。
「何のために学ぶのかを考えた。これまでは自分のためだと思ってきた。しかし、今は違う。自分自身に知識がないことは、人を傷つけることだと知った。人を傷つけないためには、そこにある痛みを知らなければならない。そのために学びたい」。
被災地に、若きライオンが育っていると思う。
福島県二本松市にJAICA、国際協力機構の青年海外協力隊の訓練所がある。そこで研修を終えた若者は、海外に活動を展開している。
その彼らの“必携”の歌が、この風に立つライオンだという。
貼って置きます。さだまさしの歌を。
きょうは所用あって早くから出掛けます。ちょっと遠出。
道を間違えないように気をつけます。