2013年3月6日水曜日

復興とは・・・

3・11からしばらくして、「復興」という言葉が氾濫した。その時も書いた事だが。
復興。言葉のアヤをいうつもりはないが、それは「ふたたび盛んになること」と辞書にはある。
かたや復旧という言葉がある。元通りになることという意味だとある。

今、東北の被災3県に求められているのは「復興」なのか「復旧」なのか。そして、この二つの言葉は福島に関しては、少なくともあの強制避難させられた地域に関しては、まったく当てはまらないということ。

3・11直後、関東大震災から“奇跡的”な復興を遂げた東京の都市計画、再建策。わけのわからない「復興構想会議」なるものを尻目に、メディアにも論壇にも「後藤新平出でよ」の文字が踊った。

後藤新平。岩手県水沢市の出身。復興院総裁に任命され、土地の私権制限や、道路建設に手腕を発揮したとされる。多くの反対を押し切っての施策。
事の経緯には紆余曲折があっただろうが、彼の“手腕”をもってして、東京は復興した。再び盛んになった。いや、それ以上の日本一の「都」になった。

一昨年、このことを書いた。津波で流されてしまった多くの町。高台移転が議論され始めた時。
「既存の法律では対処出来ない。新たな災害特別立法を作って対処しなければ復興なんてあり得ない」と。
全ての事柄が既存の法律の枠内で行われていた。その多くが“規制”を伴った法律。

その数年前から国の中枢では規制緩和が言われていた時だったのに。役人は、法の下にしか動かない。動けない。法律が、当時、どれほど、被災者の支援を困難な物にし、混乱を招き、結果、何も進まなかったことを。

政治家の間からも特別立法の話は出なかった。水沢出身の小沢一郎にしてからも。すでにして、政治家が政治家たる所以のものを持ち合わせていなかった。

こころ無い官僚は「法律」を盾に、敢えて言わせてもらう。復興を阻害した。
例えば高台移転の話しにしても然り。浸水地のかさ上げ問題にしても然り。区画整理事業のやり方にしても然り。

復興を阻害しているのは、既存の法律なのだ。それを官僚は気付いているが口には出さない。

土地の所有権、私権を守ろうとする限り、新たな町づくりは出来ない。国の管轄である道路はかなり復旧した。道路沿いは空き地のままである。

農地転用、これも大問題だ。もう耕作出来ない農地であっても、“転用”は難しい。

復興庁が出来た。福島にも本部がある。そこが、関係する役所、環境省から農林水産省、国土交通省、文部科学省、厚生労働省・・それらの上に位置し、網をかぶせられない限り、既存の既得の範囲で物を考えている人らは動かない。

そして、3・11後の復興という意味には、現実との齟齬がある。被災地だけにはとどまらず、この国は少子高齢化社会に突入していた。
人口減が予測されていた。それは現実のものとなる。

被災地は、その多くが3・11前から“過疎地”に堕ちいっていたはず。そこに震災が追い打ちをかけた。

その社会構造を直視した政治が無いということ。政治と社会構造が極端に離反しているということ。

被災地の住民が望んでいるのは「元に戻る」ということだと思う。当然だ。
しかし、そこに「復興」という言葉が持ち込まれると、その地域社会の在り様をめぐる議論に混乱が生じる。

国会はすべからく「前例主義」である。国会対策も含めて、彼らの必携品は“先例集”という本である。

未曾有の災害と言いながら、法律は未曽有の域に入り込まない。それは原発事故についてもあてはまる。
前例踏襲という慣行を打ち破らない限り、復興も復旧も、ましてや再生もあり得ないという事。

「こころ」だけは復興出来る。復旧できるはず。せめて「こころよ、こっちにおいで・・・」と。

こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここが いいのだに
八木重吉の詩。

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