2013年12月31日火曜日

「開かずの踏切」、そして「おやすみ」

ある世代の方で、音楽好きな方ならきっと覚えておられると思う。
井上陽水のアルバム「氷の世界」を。

アルバムの最初の曲名は「開かずの踏切」、そして名曲、“心もよう”や“氷の世界”などを挟みこんで、最後の曲が「おやすみ」。


今年一年、開かずの踏切の前で立ちすくんでいたのではないかと思う。歌詞にある「行き先を隠した電車、調べる余裕も無いボク。次々と駆け抜けて行く電車、思いもよらぬ速さの」・・・。

そう、それは今年一年のことであり、3・11後の世界であり、ある時代からのこの国のこと・・・。

思いもよらぬ速さは、時間であり、スピードを求める、求められるさまざまなこと・・・。

歌詞の一部を抜く。

♪目の前を電車がかけぬけていく 想い出が風に巻き込まれる
思いもよらぬ速さで 次々と電車が駆け抜けていく
ここは開かずの踏切

電車は行き先を隠していたが 僕には調べる余裕もない
子供は踏切のむこうとこっちでキャッチボールをしている
ここは開かずの踏切♪


開かずの踏切の経験がある。ずっと以前の小さい子供だった頃。
住んでいたところは、アメリカ軍の焼夷弾で焼けつくされた。母親と祖母、弟妹。逃げまどっていた。焼死体がある中を安全だと思われる場所を目指して。

渡らねばならない線路があった。踏切の遮断機は下りたまま。長い、長い、軍用列車、貨物列車が走りぬけて行く。逃げまどう人達の渦が踏切の前にたまる。
ただひたすら開くのを待つしかない。その時の光景、うろたえる大人たち。そのセピアな光景は消えることがない。

やがてその踏切は開き、線路の向こうの畑に身を隠し、一晩明かしたこと。逃げる途中で祖母の防空頭巾に火が付き、用水路に突き落とされて一命を助かったこと・・・。

たぶん、このことがあったからだろうか。今でも踏切は嫌いなのだ。嫌なのだ。


歌はその時代の合わせ鏡だという。
氷の世界というアルバムが出されたのは1973年。若者たちは安保で挫折し、全共闘で疲れ、新宿西口でフォークゲリラという“集会”を持ち、その時代を生きているということを確認したかったのだろうか。

なぜ陽水が「氷の世界」と名付けた曲を作ったのか。たぶん、彼らの世代には、生きている今が氷のような世界に見えたのだろうか。

傘がない、心模様。それよりも問題はきょうの雨、傘が無い。君に逢いに行かなくちゃ・・・。世の中の動きにまるで「個」を優先させるような。

使い古されたようで、今も生きている漠然とした言葉「不条理」。そう、あの頃の若者はそれに敏感に反応していたのかもしれない。

そして、開かずの踏切のままのように、不条理は今も行われている。


「おやすみ」の歌詞を拾う。

あやとり糸は昔切れたままなのに
想い続けていればこころがやすまる
もうすべて終わったのに みんなみんな終わったのに

深く眠ってしまおう
誰も起こすまい あたたかな毛布でからだをつつもう
もうすべて終わったから みんなみんな終わったから


氷の世界の陽水は、あの時代で終わっているのかもしれない。おやすみは自分に向けたメッセージだったのかもしれない。でも、陽水は、氷の世界を引きずったまま、今も生き続けている。

だから、また、「終わりと始まり」という言葉を使わせてもらう。

一年があと数時間後には終わる。同時に新しい年が始まる。まるで連結器をつけた電車のようだ。

いろいろなことを考え、思い、疲れ切った心身。そうだ、きょうははやく休もう。温かい毛布にくるまって。せめて寝ている間は何も考えないでいられるように。深く眠ってしまおう。

すべてを終わりにさせないために。みんな終わりにしないために。

明日、目覚めたら、また何かを書き始める。綴る。妄言を吐く。

2013年12月30日月曜日

AKB48に見る“同調”

どうも年末のテレビ欄を見ていると、やはり今年もAKB48という若い女性のユニットが“主役”のようだ。NHKを筆頭に。
明日の紅白でも“活躍”するらしい。


このユニット、それに類似するユニットは全国に広がっているとか。なぜ、いわゆる「ブーレーク」をして一世風靡しているのか。
未だに理解出来ないままなのだ。

決して悪口を言おうとしているわけではない。が、なぜ彼女たちが受けるのか。その世上を考えてしまうのだ。秋元康というプロデューサーが作り出したものだとしても。

秋葉原というところはボクにとっては電気街。無線街。狭い路地の中に入り、なにやらラジオを組み立てる部品を買っていたところというイメージ。
いつの間にかオタクと呼ばれる人たちが生まれ、メイド喫茶なるものが生まれ、サブカルチャーという言葉が生まれ、わずかな電車賃を親から貰い、路地に出かけていたあの頃のこどもには縁遠い街となってしまった。

単なる郷愁・・・。

きのう、終わりの始まりという言葉を使った。
それは一つの時代が終わり、一つの時代が始まるという意味でも。

AKB48というグループが誕生し、多くのフアンを勝ち得、歌謡界を席巻する。いや、時代の象徴ともされる。
何かが終わり、何かが始まっていたのか。

その兆しはモーニング娘というグループが大流行をしていたこととつながるような気がするのだ。

同じような顔立ちをして、同じ衣装を着て、同じ振付をして、もちろん、個々の“役割”は違っているのだろうが、歌は全部「ユニゾン」。

日本の歌謡界というか、ポピュラー界というか、ザ・ピーナッツという双子の歌手が3度のハーモニーで登場した時は衝撃的だった。ある種の「革命」だったような。
そしてアリスの登場。いや、フォークのグループでもあったか。二人以上で歌う時は、聞かせるハーモニー。

同じメロディーを多数が歌う。なんか違うんだな。

で、モー娘も、AKBも、その歌から、姿から感じるのは、ユニゾンから感じるのは「同調」。
ハーモニーをなんていう日本語にすればいいのか。通常ある言葉では「調和」。

歌は時代を反映するという。流行り歌とはそれこそ流行り歌。時代の反映。

歌の有り様が、世間の有り様に重なってきたり。

いつの間にか、「同調」がこの国の姿の一つなのかとも。

街を歩いていると出会うのは、皆一様な格好、化粧。男とて、サラリーマンの制服は皆黒色。

区別が付かないかのような人々の行き交い。「個」が見えないんだな。見えないからみな「個」を求める。「個」を口にする。

AKBのメンバーには被災した娘もいる。家を流されたはず。あの震災を体験している。
そして一昨年、彼女たちは被災地支援にかけつけていた。避難所や仮設の人達は喜んで彼女たちを迎えた。励ましを受けた。

テレビで見たことだけしかないタレントがそこにいる。それは突然に襲ってきた非日常を埋めるにいささかは足りる別の非日常だったのかも。

「3.11」を挟んで、この国には「同調圧力」とか「同調行動」「同調意識」という表現が目立つようになった。

皆の中に身を置くことの安堵感。皆の側に付くことの安心感。皆と同じだったら何も恥ずかしいことも、とやかく言われることもない。

AKBがそうだと言うのではない。彼女たちの意志とは無関係に、彼女たちがスターで居る限り、トップの座を占めている限り、そこに「同調」が見えてしまうということだけ。

漠然とした言い方だけど、彼女たちが僕にはワカンナイ。その歌を聞いていても、何も楽しくも嬉しくも無い。
だから余計に歌のこと、音楽のことを考え、時代と無理やり結びつけようとしているのかもしれない。

2013年12月29日日曜日

テレビの「都合」、新聞の「言い訳」

何十年もその世界でメシを食ってきた者が、なにを言うのかといわれそうだけど・・・。

年末年始、この時期ほどテレビがつまらない時期は無い。年末・年始特別編成。
ゴールデン、プライム。どの局も言い合わせたように長時間の特番。
どれもこれも同じような。

要するに見るものが無いのだ。見たいものが無いのだ。視聴者はそれを望んでいるのだろうか。

ニュース番組はとっとと無くなり、ローカル局も“年録”と称する一年間の振り返りをやって、昨日からはほとんどニュースの時間は無くなった。

特別編成だからこそ、大震災のこと、原発事故のこと、今の日本のこと、これからの日本のこと、それを多くの人が見ている時間にやるべきだと思いうのだが。

多くの番組は、いわば「撮り溜」。正月になるともっとひどい。前年に収録していたものばかり。晴れ着を着て、実感の無い正月番組。

テレビ局の「都合」が、そう、誰もが人並みに休みたいという、休めせねばならないということで、「作られていたもの」ばかり。
内情を知っているだけに余計にイライラする。

年末年始であろうともニュースは駆け廻っている。伝えなければならないニュースは山ほどあるはずなのに。と思う。

NHKに至っては、あまちゃん、紅白、来年の大河ドラマ。それにご執心だ。

見るものがないのについているテレビ。それも視聴率のうち・・・。

テレビ局の都合を押しつけられたような視聴者は、その狭い選択範囲の中で、ひたすら“リモコンに操作されている”ような。

新聞の休刊日なるものもそうだ。勝手に休刊日を作っているし。休刊日であろうとも、伝えなければ、論じなければならないことは多々あるはずなのに。

しかも最近は、増えた休刊日の「言い訳」「口実」すら告知しない。

少なくとも知り得る限り、政治の世界では常に念頭に置かれていたのがNHKの夕方7時のニュース。それを目指して、意識して、たとえば組閣が行われていた。

新聞休刊日を意識して、それを“利用”して、ある種の“意図”を持って“情報操作”が行われていた。
読者は、一日遅れの新聞記事に関心をそがれる。


そして年明けの新聞記事は、多くが年内に書きためておかれたもの。


それらこれらが「ネット族」を台頭させるんだよな・・・。

テレビの年末、年始特別編成だけではない。4月と10月の番組改編期にも、長時間のスペシャル、ほとんど無意味な、バカげたバラエティ番組を垂れ流す。

誰が考え出したのか。こんなテレビの在り方に現役時代も「異」を唱え、「排斥」されて来たものだが。

知りたいことはたくさんある。無意味な時間はすごしたくない。3・11後、テレビは変わるだろうと淡い期待を持った。でも、結果、変わっていない。あの時以前と。

伝えなければならないことは山ほどあるはずだ。伝えるべきことを伝えない、伝える時間を持ち得ないテレビってなんだい。そう言いたい。

デジタル化によって基本的にはBSも見られるようになった。でも、BSだってどこか手抜き。

あさって大晦日が怖い。「国民的番組」、紅白歌合戦なるものが控えているから。
紅白に出場できるかできないかで一喜一憂している歌手や事務所。

「くだらない」。その一語でテレビを忌避している人もいる。でも、元テレビ屋はやはりテレビが気になる。

いい加減に「マンネリ」から脱却してはいかがかと。

他言を使いたくはないが、テレビの終わりの始まり。そう言ってみたくもなる年の瀬・・・。

例えばね、年末年始で特別の宿泊許可が下りた原発避難民の人達の生活ぶりを追ってみろよ。もちろん取材拒否だって在り得るだろうが。

小さな家族の物語の中に、小さな安堵を味わっている人の言葉に「真実」が隠されているはずだと思ったりもするのだが。

2013年12月28日土曜日

それも一つの区切りなのだが・・・

先日書いた「最後の避難所」。双葉町の人たちが住んでいた埼玉県加須市の旧騎西高校にあった避難所がきのう閉鎖された。
最後まで残っていた人は3人だったとか。

当初は1,400人。町民の5分の1が暮らしていた場所。町役場も同居していたが、それもいわき市に移転。それを機に“住民”は減った。
日本の災害史上、最長となった避難所。

「最後の避難所」。そういうタイトルの番組をNHKはやるべきだと書いた。期せずして昨夜、同名の番組をやっていた。番組の最後に「近く閉鎖される」と紹介されていたが。

「一つ屋根の下」で暮らしていた人たちは、それぞれ、個々の生活の場を求めて去っていった。

「これまでは町役場と一緒に行動してきた。もう、これからは別にする」。残った高齢者の人がそう言っていた。避難所の近くのアパートで独り暮らしをはじめるという。たし

か88歳となっていたと思う。

去って行く人、見送る人。「どこかでまたきっと会えるさ」。そうそれぞれが言い交わして。

福島に戻ることを断念した人も多かった。思いを断ち切り、新生活に向かわねばならない。必死に賃貸物件を探している光景。

“集団”から“個々”への転換。

加須市に新居を見つけた人は住民票を移すのだろうか。現住所だけにとどめるのか。

残っていた高齢者は、やはり医療施設がある加須を選んだようだ。

町は、移った“個々”にどう対応するのだろう・・・。

一眼レフのカメラを常に携行し、双葉町を撮りつづけ、避難所の日常を撮り続けていた84歳のご婦人。加須でのアパート暮らしを選択した。加須を撮り続けると言う。

校舎に一礼して去っていく人もあった。いわきナンバーで、高齢者マークを付けた軽トラックが去っていく後姿。

最後の避難所の閉鎖。それは一つの区切りなのだろうか。そこから出て行った人の今後を新しい生活のスタートと呼べるのだろうか。

「原発さえ無ければ・・・」。発せられる言葉は、やはり重い。

「その後・・・」をやはりテレビは追い続けなければならないと思う。昨夜の番組に出ていた全ての人の「その後」を教えて欲しいと思う。


沖縄の普天間基地移設問題でも、一つの結論が出された。辺野古の埋め立て。併せて普天間の基地機能を5年後に停止。

それも「一つの区切り」と言えるのだろうか。言えないと思う。

5年後の“普天間停止”。アメリカがその交渉に乗るのか。そんな保証はどこにも無い。知事と首相の間で交わされて「手形」の交換。空手形になる可能性も否定できない。

一年間に3000億円の沖縄振興費。それは空手形ではなかろう。


現実を見据えた上での現実的な“解決“策だったのかもしれない。しかし、県外移転という“理想”とは大きくかけ離れている。

普天間の在り様は多少は変わっても、米軍沖縄基地、それは“固定化”を逃れることは出来ない。

国際情勢も含め、驚天動地のような事態の展開が無い限り。

“痛みを分かち合う”。言葉としてはそれは在り得る。しかし、事実として現実として、分かち合いは無い。


福島に作られる“中間貯蔵施設”。それも固定化となるであろうことは想像に難くない。

“沖縄”と“福島”。その犠牲の上に立ってこの国は成り立っている。沖縄の苦悩、沖縄にある人間模様のさまざま。それは、いま、まさに福島が味わっていることと同じよう

な。カネが絡む全てのことどもを巻き込んで。

騎西高校の校舎の脇に花壇を作り、毎日水をやり育てていた人がいた。引っ越した県営住宅でも、入口の脇に小さなプランターを置き、花を植えていた。

だから何かを言いたいということではなく、どこにあても「小さな人の営み」があるということ・・・。

2013年12月27日金曜日

どうにも止まらない、安倍の乗った車は。

どうにも止まらない。そうはやり歌の題名。そんな歌にもなぞらえたくなる。
“暴走”する安倍。秘密保護法の強行採決といい、きのうの靖国への強行参拝。
与党の公明党も反対だといい、側近の何人かが自重を求めたにもかかわらず行ったということでの強行。アメリカからも反対の意向が伝えられているにも関わらずに参拝したということ。

きのう数行書いただけだが、もう、この男のことを書くのはほとほと疲れたけれど。

英霊に尊崇の念を。決まりきったように発せられる言葉。全くの個人感情。それを押し通すことで、それを「国益」とまで言い切る厚顔さ。
まさに「神聖喜劇(大西巨人の大作)」だ。

靖国問題をとやかく言いたくはない。靖国のことは知っているから。
政教分離という人がいる。たしかに今は宗教法人であるが、そこに祀られている「神」はいない。”英霊“、それは神ではないし、幾多の戦争で命を落とした人は、その魂は、個々人の墓に眠っているはず。

軍神といわれる人たちが祀られているからだという。その軍神とは誰か。戦争指導者ではなかったのか。

A級戦犯が合祀されているから。極東軍事裁判の正当性を論じる気はない。しかし、きのうも書いた。昭和天皇は、その天皇陛下万歳を言って死んで行った兵士たち、そこに、天皇陛下が参拝しない。それは、靖国の意味を承知されているからだ。今上天皇に於いても然り。

昭和天皇を”戦犯“から守ったのは吉田茂だ。臣 吉田だ。その盟友白洲次郎だ。吉田は参拝している。昭和天皇が参拝しなくなったのはそれ以降。

靖国で会おう。それを合言葉に多くの兵士は散った。その合言葉も、英霊も、軍神も、太平洋戦争に限って言えば、軍部が洗脳、教育、天皇の名を借りて作りあげた虚構。

東京招魂社以来、靖国神社に至るまで、そして今も、幕末、明治維新で亡くなった「官軍」の兵士は、そう安倍の出身地である長州の兵士は、祀られる対象になっている。賊軍とされた会津藩士、二本松藩士、いや、奥羽越列藩同盟に加わっていた兵士はそこにはいない。西郷隆盛までも。

靖国論を長々述べるつもりは無い。靖国の“重要性”は認識している。そう、そこには何回も通ったし。血こそつながってはいないが、特攻で亡くなった親族も多々いるし。その親族たちは靖国にはいない。鹿屋にいる。

安倍は言った。「韓国や中国の人たちを傷つけるつもりは無い」と。いじめをした子がいじめのつもりではなかったといった類のロジック。
「誤解がある」という。あなたにとっては「誤解」であろうと、他の当事者からすれば誤解ではない。
「いやあ、それは君の誤解だよ。ボクの言いたかったことはね・・・」。そんな日常交わされる“言い訳”にも似ている。

「国益」だという。あなたにとっては国益かもしれないが、そう「誤解」しているようだが、単なる「私益」だ。

アメリカ大使館が即座に「失望」という声明を出す異例の対応。それは大使館だけでなく、アメリカ政府の見解にもなった。
中韓はもとより、他国もこのことについて大きな関心を寄せ、異論を述べ、遺憾の意を表している。

国際的に孤立する道を選んだ。国益なのか、それが。自分の“信条”を通すために孤立化もいとわない。70数年前と酷似している。
負けるとわかっている戦争に突入していったあの時と。

今、日本という国はアメリカ国債を5兆円も買っている。債権国の言う事なら聞くのだろう、許されるのだろうという驕りがあるのかも。
中国はもっと多額のアメリカ国債を買っている。“同盟国アメリカ”がこれから本気になってどういう方向に持っていくのか。

参拝後。外務省は抗議に訪れた中国大使に在留邦人の安全を求めた。在中国大使館には在留邦人の外出など、身の安全を確保するよう指示した。

もしかしたら、中国にある日本企業が暴徒に襲われる可能性だってある。在留邦人が身の危険にさらされる可能性もある。
それを予見しながらも、己の“信条”を優先させ、自己満足に浸っているというこの国のリーダー。

その暴走はもう誰も止められないだろう。暴走を煽っているのは、政治家だけではない。在野の“有識者”にもそれは多い。
安倍一人の問題ではない。この国がそういう方向を望んでいるかの様な気さえする。

マイケルサンデル教授の「これからの正義の話をしよう」というハーバード大学の白熱教室の議論が思い起こされる。暴走する機関車。誰もとめられない。
転てつ器がある。それを右に切るか、左にきるか。こっちには轢かれる人が5人、あっちには1人。正義という倫理感に立った時、その転てつ器の操作をどうするかと言った命題の話。

サンデル教授は考えることを教えたが、正解は出さなかった・・・。

2013年12月26日木曜日

「人類は消費社会にコントロールされている」

見せ掛けかどうかはともかく、日本経済は成長を取り戻しているようだ。
株価は上がり、少なからぬ人が、景気は回復していると実感しているともいう。
物が売れ始めているという。消費が拡大されているという。

この国の財政が破たん寸前にあるかどうか、借金がどうなるかと言った議論は置いておいて。

「私たちは間違いなく無限の消費と発展を求める社会をつくってきた。マーケット経済がマーケット社会をつくり、グローバリゼーションが世界のあちこちで、原材料を探し求める社会にした。
人類はこの消費社会にコントロールされている。
昔、古代の民族はこんなことを言っている。“貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人では無く、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ”と。
発展は幸福を阻害するものであってはいけない。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはならない。愛情や人間関係、子供を育てること、友達を持つこと、そして、必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのだ。幸福が私たちのもっとも大切なものだからだ」。

ウルグアイという人口300万人ほどの小国の大統領が去年の地球サミットで述べたこと。

今年、一時全村避難していた福島県の川内村の遠藤村長はこう言っていた。

「我々は便利な生活に慣れきっている。もはや電気の無い生活なんてありえない。それは意味をなさない言葉だ。あまりにも非現実的である。しかし、ちょっと考え、一歩踏みとどまれば、自然の美しさ、有難さと、科学文明、物質文明との関わり合いが見えてくるのではないか。
限りなく利便性を求めるのではなく、どこかでライフスタイルを変えることを考えなくては」。

重なり合うものを感じる。

資源を大切に、物を大切にと言いながら、消費は美徳であるといわんばかりに、使い捨て文化をよしとする社会。次々と新しいものを作り、売らなければ成り立たない経済システム。失われていく環境、資源・・・。
増えるローン、労働時間。一部の富裕層、広がる格差。

こんな社会システムを考え直す時。

年末。歳末商戦たけなわ。あきらかに一昨年の年末とは違う光景、風景。いったい何を求めているのだろうかとも。

こんなことを書いている時、飛び込んで来たニュース。安倍の靖国参拝。絶句する。
参拝をされていない天皇陛下はどう思われているのだろうか。

そして当然予想される中国、韓国の反発。理解を求めていきたいと安倍は言う。秘密保護法の時も、説明が足りなかったと反省していると言った。

既成事実を作った上での反省とか理解とか。

昨日沖縄をめぐる問題に一区切りが付いた。それもきょうの参拝のきっかけになっているのかもしれない。
中国や韓国だけではない。アメリカだって安倍の“暴走”を懸念している。

もしかしたら、“国際社会”の中で、日本という国は孤立化を深めていくのかもしれない。アメリカはもはや日本にさほど眼が向いていない。中国だ。

そして、前段に重ねれば、靖国に眠るとされる英霊は、はたして、今のこの国の有り様、消費社会にコントロールされている国をみて、そんな国を目指してまい進しているような安倍の参拝をこころよく受け入れているのだろうか。

“英霊”が殉じた国は、決してこんな姿の祖国ではなかったのだろうと思うから。

2013年12月25日水曜日

「借金」も慣れてしまえば・・・

国の来年度の予算案が決まった。早めの年内編成。政治は順調に進んでいる・・。めでたし、めでたしっていう事なんだろう。

譬えは悪いが・・・
ある人が背に腹かえられず借金をする。年末までに返さなければと思いつつ、年を越す。借金取りは追いかけてこない。また借金をする。どんどん膨らんでいく。そのうち借金していることに慣れてしまって、返そうとする意欲すら失う。「借金も財産のうちさ」とうそぶいて。

公金横領に手を出す。最初は穴埋めしようと思っている。でもバレない。また公金に手を付ける。バレない。びくびくしながらもそれに慣れてくる。感覚がマヒしてくる。そして気が付いた時にはとてもじゃないが、返済、穴埋め不能。やがてその“事実”すら忘れそうになる。

30年をはるかに越える前。この国の財政が、予算が、借金に頼らざるを得ず、赤字国債、建設国債を発行するに至った時、国会はそれを巡って喧々諤々の議論が交わされていた。政府だって国債発行、借金することをかなり逡巡していた。

今は借金は当たり前。借金棚上げ、さらに上積み。出来た予算は96兆円。予算の4分の一が借金だ。その借金は誰が弁済する・・・。後代だ。先送り、つけ・・・。

原発事故による被ばく。その影響があるのかどうか。何十年先でないと因果関係はわからないという。それを待つのに30年・・。

廃炉。30年から40年。流れ出る汚染水。そのうち皆な慣れてくる。あっても当然だとして。

30年間の中間貯蔵施設。出来てしまえば皆慣れる。そこにあってあたり前の如くに。最終処分場、そんな話があったことは忘れる。
たとえ法律に何かが書かれたとしても、その時になれば「解釈」が変更され、そのままにされるのが関の山。

消費税増税を前にして、うまく口車に乗せられて人たちは買いまくる。家や車を。その人たちをテレビのワイドショーあたりでは「賢い消費者」と持ちあげて。

なにやらわからぬ診療報酬の改定。だれが得したのかも。

復興予算は大幅削減。予算つけても人や資材が足りず、使いきれないからがその理由。それはある意味“正論”かもしれないが、予算削減ということは、そこに目がいかない、手が届かないという心理的影響を与える。

人や資材が足りないと言いながら、国土強靭化法なるものが出来、国土をコンクリートで固めようとしている。たぶん自然は怒っているのではないだろうか。

津波を防ぐために巨大な10メートルを超える防潮堤工事や、その計画は進められる。そういうところには復興予算が充当される。

高台移転や避難道路の拡充、避難所の建設にカネを回す方が利口だと中高生までが言っているというのに。

海が見えない、猟師町。それって有りなんだろうか。

防潮堤8メートルにしない原発は認められないと規制委。防潮堤が守れるって保証はどこにもないのに。囲う事を辞めるほうが利口だと思うけど。

で、結局は予算編成、すべてが“利権”の道に通ず。圧力団体に支援されて、いわゆる族議員。跋扈、跋扈。いかにぶんどるかが自分が生き残れるかどうかの分かれ道。

膨大な借金、返すあての無い借金。

普通の家なら「夜逃げ」だぜ。

大体ね、30年後には日本の人口は激減しているはず。いくら税金上げてもおっつかないんだぜ。収める人口がないんだから。

今がよければすべてよし。なんだろうね。
30年先を見据えた、想像力を働かせた政治家なんてもう望めないようだし。

目出度さも中くらいなりおらが国。そんな戯言も成り立つはずも無く。

2013年12月24日火曜日

メリークリスマス・・・

車のキーをまわしてエンジンをかける。カーナビから声が。
「メリークリスマス、きょうは12月24日です」。

パソコンを開ける。グーグルのトップページ。
デザインはクリスマス。サンタクロース。サンタさんはいまどこに?グーグルカップで追いかけよう。

一昨年のクリスマスイブ。つまり今日。教会に行った。東日本を襲った大災害、惨事。多くの死者、残された生者。
人間の作った文明が科学技術が、原発事故と言う悲劇をもたらした。一昨年のクリスマスは多くの人にとって「特別なクリスマス」ではなかったかと思ったから。そこで、どんな話が宗教者から語られるのか。それを聞きたかった。

でも、残念ながらボクが行った教会では、ほとんど何も語られなかった。


大船渡市に山浦玄嗣という医師がいる。その人は震災前から聖書を訳していた。ケセン語の聖書。その土地の言葉、方言でなければ、聖書に書かれていることの意味が伝わらないと。
その聖書が発刊寸前、書店に届けられる前に、倉庫に置いてあったその聖書は津波に襲われた。
津波が引いたあと、その印刷所の倉庫に行ってみると、その一部は流されず残っていた。

ケセン語訳の聖書、“お水くぐりの聖書”は日の目を見ることになった。「ガリラヤのイェシュー」。その聖書のタイトル。
まさに方言で綴られた物語としての聖書。

多くの人が手にすることが出来るものではないが、その山浦さんという人のライフワークは、この時のためにあったのではないかとも思った。
幸いなことに、知人がその聖書を入手し、それを見ることが出来た。それは、一昨年のボクにとっては最高のクリスマスプレゼントだった。

その後山浦さんは「イエスの言葉 ケセン語訳」という新書を書いた。その帯封にはこう書かれている。
「2011年3月11日。大津波が東北の太平洋岸を襲い、万をもって数える人びとが亡くなったり行方不明になりました。わたしのふるさと(岩手県気仙地方)も甚大な被害を受け、陸前高田市は市街の全域が壊滅し、大船渡も市街地の半分が流されました。・・・・
でも、我々の魂までは流されません。日本中のふるさとの仲間にイエスの言葉をつたえようという望みはひと時も消えることはありません」。

きょうをピークに街にはサンタクロースが溢れている。スーパーの店員さんもサンタさんの帽子をかぶり、あちこちでクリスマスパーティが行われていた。いる・・・。

サンタさんは子供たちにとっての夢だ。今の時代は。ボクが子供の頃はそうでは無かった。マセガキの子供は母親がサンタさんだということを知っていた。枕元に靴下を置いて寝た、翌朝、些細なプレゼントが靴下に脇に置かれていた。

サンタクロースは一人しかいない。母親や父親は、サンタクロースからの”指令“を受けて、代わりにプレゼントを届けるのだ。

街には酔っ払いのサンタが溢れていた。泥酔したサンタ。どこかの飲み屋でかぶらされたであろう帽子、付け髭。終電に間に合うよう千鳥足のサンタは、駅の構内で売れ残り寸前のケーキを買っていた。

奇妙な光景だった。子供のころに垣間見ていたクリスマスイブの光景。

そして、増幅されていくクリスマス狂騒曲。大人になりかけの頃からか。クリスマスを忌避するボクがいた・・・。

だから、ボクにはいろんなクリスマスが“同居”している。ちょっとだけクリスマスを考え、自分の中にあるクリスマスへの“矛盾”と向き合っている。
時流に逆らいたくなる、いや、なって来た。
早く、この時期が過ぎ去ってくれればなとも。

災後、あらためて聴いたさだまさしの♪遥かなるクリスマス♪

http://www.youtube.com/watch?v=SCWryWdCd5s

貼ってみておく。

ボクは多くのクリスマスソングを知っている。教会で歌われるのものも、ジャズのスタンダードナンバーも。その荘厳な歌も軽快なリズムも。

でも、今、心に響き、涙ぐむのは、さだまさしの曲。
「メリークリスマス、僕たちのための平和と、世の中の平和とが少しずつずれはじめている。メリークリスマス、誰もが正義を口にするけれど、二束三文の正義。十把一絡げの正義、つまり嘘・・・・」。

日本の内閣は南スーダンの韓国軍に銃弾1万発を送った。クリスマスプレゼントではないだろうが・・・。

2013年12月23日月曜日

天皇誕生日に想うこと

僕らの世代は二つの天皇誕生日を持っている。
今は“みどりの日”から“昭和の日”と名付けられた昭和天皇の誕生日。
4月29日。

そしてきょう12月23日は今の天皇誕生日。

田中角栄がこんな事を言っていた。「我々は天皇陛下がおられて助かった。もし、昭和天皇がおられなければ、敗戦後、クーデターも含め、同じ国民同士が血で血を流すようなことが起きていたかもしれない。天皇の存在はそれを防いだ」という趣旨のことを。

「3・11」。あの大惨禍の後、日本人の、東北の人たちがとった行動。およそ外国からは信じらないとして称賛を浴びた日本人の行動。略奪も暴動も起きず、助け合い、秩序を重んじた。

そこには、伝えられた天皇陛下のメッセージがあり、天皇、皇后両陛下の被災地への思いがあったからだと。

美智子皇后は、3月12日にしてすでに被災地、被災者を気遣う電話を関係者にかけられていた。

東京が停電騒ぎになった時、御所の中で両陛下は、暖房を使わずに暮らされていた。

そして被災地に向かわれ、海に向かって頭を下げ、鎮魂のまことをささげられていた。避難所には何回通われたことだろう。その姿、在り様は、明らかに駆け足視察の政治家とは違っていた。時には素足で、膝まずき、被災者と同じ目線で言葉を交わされていた。

「天皇陛下がいて助かった」。そんな思いをボクも抱いた。

国民の象徴としてのあるべき姿をそこに見ていたから。


天皇陛下はきょうで80歳。いわゆる傘寿。高齢であることは誰もが認める。

でも、長寿を祈る。今のこの国には天皇・皇后両陛下は不可欠の存在だからだ。


両陛下の、思考の基軸は、やはり戦争にある。と思われる。
きのうの会見でも戦後復興に触れていた。
「平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って今日の日本を築いた」と振り返られる。

そして、東日本大震災についても、それは現在の日本の状況として、「人と人との絆を大切にして、復興に向かって尽力する人々が育っている」とも言及された。


平易な言葉だが含蓄ある言葉だと思う。


今年10月、79歳の誕生日を迎えられて皇后陛下は、貴重な発言をしている。
自由民権運動家たちが、明治政府に対して求めた憲法の制定、その内容。
基本的人権尊重や教育の自由などに触れた「五日市憲法草案」について、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けたと述べられていた。去年、その地を視察されての感想だが。


おりしも改憲論議が連日マスコミを賑わしていた時期。美智子皇后のこの発言も、今日の(正確にはきのう)の天皇陛下の発言、憲法に言及されていること、それは「改憲」の動きを憂慮されての事ではないかなと思量する。


「天皇という立場は孤独だ」とも述べられた。孤独の意味する具体的なことは定かではない。後段で述べられている「私は天皇としての活動を律しています」というお言葉を重ね合わせると、自らが思いをなかなか口に出来ないということからくる“孤独感”なのかもしれないとも思う。

日本という国は面白い国だ。明治維新まで「国」はあった。しかし「国家」はなかった。「国歌」もなかった。

明治政府が宮内庁楽部に依頼し、芸大の人達も参加して作られて「国歌、君が代」。その君とは天皇を指してのものではない。出典は読み人不詳の古今集から。
いわば“恋歌”。君とはあなただ。人を恋ふる歌だ。曲も作者不詳のイギリスかスコットランドだったか、外国の民謡のアレンジ。

しかし、いつの時代からか、君が代は天皇の「代名詞」のようにされてしまった。それが「天皇家」へのあらぬ“誤解”も招いていた。

きのう福島県民の歌ということを書いた。「高らかに歌え君が代」。

他国の国歌は多くが「戦闘的」だ。メロディーも勇ましい。君が代は荘厳だ。

反戦歌も労働歌も歌ってきた。君が代も歌う。それはボクの中では矛盾は無い。


そして・・・。今の天皇・皇后両陛下と、もうしばらくは“一緒”に居たい。

2013年12月22日日曜日

福島県 県民の歌

昨夜、もう20年も続いているだろうか。親しい仲間たちの月に一回の会があった。日本酒を飲んで、時には他愛も無い話、時には誰かの話をきっかけに議論を通わせたり・・・の集まり。


先日、「福島を返せ」と題して書いた時、福島県民の歌を書いた。昨夜の会のメンバー、笹の川酒造の専務、山口恭司という男がそれを読んでいたらしい。

出席者分の譜面をコピーして持ってきた。
「あれ読んで、県民の歌を思い出しました。あれってけっこういい歌なんだと思い返しました。“返せ”はどうでもいいけれど、皆んで歌おうと思って」と。

彼は学生時代吹奏楽部にいた。楽譜を持っている。もちろん歌詞付き。

宴もたけなわ(よくあるセリフだな)、彼がそのコピーを配り、イントロを口ずさんで参加者全員の合唱となった次第。もっとも9人の集まりだったけど。

この県民の歌を知っている人は意外に少ない。歴史も浅いせいもあるだろう。昭和42年に公募で採用されたものだから。


♪しゃくなげ匂う山並に 呼びかけよう 若い理想はざして
あしたの夢がはてなく伸びる 明るいふるさと福島を作ろう
みどり光る この空いつまでも ああ福島県♪

時にどうっていう歌詞じゃないし、メロディーも特筆されるようなものではない。でも、県民の歌を持っているということ。
それを知っているひとも知らない人も仲間が一緒に歌うということ。

郡山市民の歌というのもある。地元の小学校では覚えると思うけど。これもなぜか多くの市民は知らない。
毎日、防災無線で正午にはメロディーが流されているのだが。

♪明けゆく安積野希望の汽笛、あの町、この町、みなぎる力 ああ奮い立つ・・・♪


県民の歌の“合唱”を聞きながら、もちろん歌いながらだけど、脳裏をよぎっていたのが小学校の校歌。渋谷区立幡代小学校。
♪桜咲き満ちうららかにこころもなごむ春風よ 街道広く人通い・・・♪
そう、小学校は甲州街道に面していた。

渋谷区立代々木中学校校歌。

♪ああ秀麗の富士近き 代々木の丘の学び舎に 楽しき三年(みとせ)すごしつつ・・・♪

小中学校の頃の記憶は、とっておくべき記憶はあまり無い。だけどなぜか校歌だけはよく覚えている。今でも歌える。歌う機会は皆無に等しいが。

中央大学。卒業生の集まりは白門会という。郡山にも支部がある。一年に一回は集まりがある。必ず行く。なぜか。知らない同士の卒業生。
でも、校歌・応援歌を一緒に声高らかに歌えるから。

一昨年、4月の塾は休講にした。しかし、集まりだけは持った。災後の余韻、重苦しい空気がまだまだ実感できた時。

皆で歌を歌った。被災地の自衛隊員を泣かせ、避難所にいる人たちの共感を得た、長淵剛の歌を歌い、坂本九の歌を歌った。

仲間同士で同じ歌を歌うということ。なんかいいんだよな。

カラオケは好まない。まして人の歌を聞いているのは苦痛ですらある。

でも歌は大好きだ。

長野県選出の羽田孜という代議士がいた。よく彼の後援会のような集まりに呼ばれた。居るのはほとんどが長野の人。会の終わりには全員が必ず合唱していた。長野県の県歌を。
♪信濃の国は十州に境連なる国にして・・・♪

しらずしらずにその歌を覚えてしまっていた。そしていつも思った。
「自分たちの歌を持っている。歌える歌を持っている。羨ましいな」と。

昨夜の会が今後毎回県民の歌を歌うのかどうかはわからない。とりたてて“福島県”に愛着がある身でも無い。
でも、皆で歌える歌があるっていいことなんじゃないかなと。

唇に歌を持て、こころに太陽を持て。そんな誰かの詩に親しみながら来た世代だからだろうか。

2013年12月21日土曜日

「東京オリンピック」という“怪物”

今朝も茨城や千葉方面で震度4の地震。政府の地震調査推進本部は、30年以内に震度6弱以上の大地震が関東で発生する確率上昇しているとか。

一昨日は国の有識者会議がマグニチュード7以上の首都直下型地震が30年以内に起きる確率70%、死者2万3千人。経済被害95兆円という想定を発表。

東京の小笠原地区にある西之島で噴火が続き、新しい島が出来、今日も溶岩を噴き上げている。

領海が広がると“よろこぶ”NHKのキャスター。何らかの前兆、影響はと懸念する民放キャスター。
たしか安倍も領海に言及していたような。

2020年東京オリンピック。その招致合戦の中でも「地震」の事は懸念材料とはさほどされてはいなかったようだ。でも十分に懸念に値するはずなのだが。

2020年東京オリンピック、それは、この国にとってどういう意味があるのだろう。
あのプレゼンテーション以来、なにやらこの国はオリンピック一色に染まってしまったようだ。そしてそれは悲喜劇すら巻き起こす。

猪瀬東京都知事の“疑惑”をめぐる辞任。そう、あれだけ執心したオリンピック招致。オリンピックのためだけに都知事に選ばれたわけではなかろうに。

辞職会見でも、後任にオリンピックの成功に向けた努力を託すという。
安倍も、辞任、後任について「オリンピック」を絡ませる。

完全にブロックされているはずの汚染水問題。きのうもまた新たな汚染水ルート、地下水脈が見つかっている。シルトフェンスは時々破損する。

「おもてなし」という言葉が意味不明のまま巷に満ち溢れ、流行語とされ、オリンピック商戦が当然のこととして始まっている。

何よりも不可解、不愉快なのは「神宮の森」が壊されること。高さ70メートルに建築制限が変更され、20階だてのビルに匹敵する競技場が作られる。
往時を懐古するわけではないが、日本青年館、明治公園、外苑のイチョウ並木。それらが無くなる。

8万人を収容する巨大な競技場は、「宴のあと」どう使われていくのだろうか。
カネのことを言いたくはないが、当初予算をはるかに上回る3千億円が必要とされる。

東北に住む者として、東北に暮らすものとして、釈然としないこと。それは、すでに「復興」の遅延要素となっている資材や職人。その「不足」には拍車がかかる。オリンピックを口実に、ハードとしての「復興」は大きな影響を受けるだろう。

僻みかもしれない。だが、オリンピックのために生活再建が阻害されるということ。それも国の威信、名誉のために耐え忍ばねばならないことなのだろうか。

巨大競技場は、その後のメンテナンスなどのために、大きな後世への負担を残す。ただでさえ、たとえば国債発行にしても、大きな「ツケ」を残しているのに。

あの神宮外苑の景観が大きく変えられ、そこの歴史が消し去られる。

「おもてなし」に対してこう言おう。「もったいない」と。

猪瀬は、オリンピックのためにその地位に付き、オリンピックのために、その地位を追われた人なのかもしれない。

オリンピックに老いの執念を燃やす石原慎太郎。それを“妖怪”と呼ぶ人もいる。妖怪なんてしろものではない。
慎太郎の進言に乗り、猪瀬を切る決断をした安倍。

あらゆる意味で、2020年東京オリンピックには釈然としないものを覚える。

選手の気持ち・・・。それはわかる。ボクだったオリンピックは大好きだ。
そして思い出す。1980年のモスクワオリンピックの「ボイコット問題」。
そこにあったのは明らかに政治とスポーツが合体していたということ。選手個々人のこころとは無関係な。

2013年12月20日金曜日

「最後の避難所」

原発事故後、県内外に多くの避難所が出来た。
いわゆるダンボールハウスの避難所。
埃、臭気、喧噪・・・。
そして食事の時間になるとただ黙って列をつくり、とりあえずの飢えをしのぐ行為。

およそ二カ月、通い詰めた避難所。ビッグパレット。そこで見たこと体験したことをグダグダ書くつもりは無い。一言。

そこは人間の尊厳が根こそぎ奪われてしまっていたような場所だった。ということ。

昨夜、友人と飲んだ。そして「今の東北」を話し合った。その実情を話し合った。疲労感に襲われるのだ。
家に帰り、沸かしてあった風呂に入る。狭い浴槽だが、その中に身を沈め、手足を伸ばせるだけ伸ばし、大きなため息をつきながら、風呂の快感に浸る・・。

そして目を閉じるとまた浮かんでくる避難所の光景。自衛隊の風呂が出来るまで、テントで作った風呂が出来るまで、避難所にいた人は風呂に入っていなかったということ。
そして「自衛隊さんのお風呂」を心待ちにしていたという事。


やがて、夏が来るころ、ほとんどの人は仮設や借り上げに住宅に移った。そんな中、双葉町の人たちの多く、1,400人の人たちは、川俣町に行き、そこから埼玉スーパーアリーナに行き、“落ち着いた先”が埼玉県の加須市にある騎西高校の空いた校舎だった。7,000人いた双葉町の住民のうちの1,400人。介護が必要な人も含めて、多くが高齢者。まさにほとんど仕切りの無い段ボールハウスで暮らすこと2年・・・。

もちろんそこに暮らす人たちは徐々に減っては行ったが。
町役場も一時はそこにあったが、いまはいわき市に移り、町長も替わったが。

その、双葉町の人たちが“住んで”いた最後の避難所の閉鎖が決まった。

最後まで残った人は6世帯7人。なんらかの介護を必要とする高齢者。今年中に退去が決まり、片づけを終えて来年早々には“閉鎖”となる。
埼玉県内の借り上げ住宅に移るという。

最後の避難所の閉鎖。それが、何かの終わりを指すものではない。
騎西高校、その名は永遠に双葉町の町史に残るのだろう。

その避難所にはいくつもの物語があった。物語が生まれた。物語、それは事実。

その暮らしぶり、そこに居る人同士の軋轢。近隣住民とのいさかいの数々。
それらをボクは列挙できない。

災害関連死というのがある。福島県内のそれは1605人になった。地震や津波による直接死者1603人を上回った。
関連死とは避難などによるストレスや環境の悪化、劣化が原因とされるもの。
さらには、避難に関連して自死を選択した人も含まれていないようだ。

避難所の中で死を迎えるという事。

なぜ騎西高校の避難所が仕切りを敢えて設けなかったのか。
皆の姿が確認できるからだと、そこに居る人は言っていた。

敢えてNHKにお願いしたい。すでにその避難所の事は番組にし、実情を伝えていたのだから。足りない映像や声があったら民放の協力も得ればいい。
そこは一時はマスコミの殺到していた場所でもあったのだから。

最後の7人が“退去”する姿を捉え、そこに居た人達の声を拾い、避難所というものがどういうものだったのかを、永遠の記録として、そう、「最後の避難所」という番組タイトルで作って欲しいのだ。

そこで、人々がどんな暮らしをしていたかを、3年をやがて迎える時に放送してほしいのだ。
あの避難所に取材者として、一度でも足を踏み入れた人には、その後を伝える義務があると思うから。

そこには、“コミュニティーがあった”という。コミュニティーという言葉を使いながら、それは何かという答えの無い自問の中で。
地域社会、共同社会・・・。

何もカタカナ語を使うことはないとも思うが、それが分かり易いのなら敢えて使う。

コミュニティーとはもともとあったものなのか。同じ環境、境遇にあって、苦楽を共にして、時間と空間を共有して、はじめてできるものなのか。

避難所を出た人達が、コミュニティーなるものをどう作り上げていくのか。

それぞれの人が、それぞれに散っていったあとのコミュニティーとは。

避難所は閉鎖されても、故郷には絶対帰れないという事実は厳然として残っている。

2013年12月19日木曜日

「幼稚園の砂場」のこと

もう20年以上も前か。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」というベストセラー本があった。

こんな一節が書かれている。

人間、どう生きるか、どのように振る舞い、どんな気持ちで日々を送ればいいのか。本当に知っていなくてはならないことを、私は全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。私はそこで何を学んだのだろうか。
                   ・
何でもみんなで分け合うこと。ずるをしないこと。人をぶたないこと。
使ったものはかならずもとのところに戻すこと。ちらかしたら自分で後片付けをすること。
人のものに手を出さないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、ということ。食事の前には手を洗うこと。トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
焼きたてのクッキーとミルクはからだにいい。
つり合いのとれた生活をすることー毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして働くこと。毎日必ず昼寝をすること。
表に出る時は車に気を付け、手をつないで、はならばなれにならないようにすること。
不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。
                   ・

この本のことは、一昨年、幼稚園や小学校の砂場が“閉鎖”された時に書いていたかもしれない。

福島県の子供たちに肥満傾向があるという。外遊びが制限されているからと関係者は指摘する。
逆に、我が家の近所の子供は、運動不足のせいなのか、痩せて来ている様子。
筋肉の成長がその年齢の割には遅れているように思える。
家でゲームに熱中。親は心配してプールなどに通わせているが。

郡山には医者と企業と行政がかかわって出来た「ペップキッズ郡山」という屋内の大遊戯施設が作られている。

そこには、たぶん日本で一番広いだろうと思われる屋内の砂場が用意されていた。
砂場は子供たちにとって、大事な大事な、そして大好きな遊び場なのだろう。
そこには専門のコーチ、トレーナーも配属されており、砂場遊びの“極意”を指導しているという。

時たま、テレビのインタビューに答える県内の子供、幼稚園児。一様に言う。
「お砂場でお友達と思いっきり遊びたい」と。

あらためて思う。この本を読んでいたからと言うだけではないが。
砂場という場所は子供たちにとって、その子の一生を左右するかもしれない重要な場所なのだと。

ボクの記憶の中には砂場遊びがほとんどない。終戦後、一年間だけ幼稚園に通った。でも、そこに砂場があったかどうかの記憶が無い。
小学校には小さい砂場があったが、そこで遊んだ記憶もほとんど無い。校庭を駆け回っていた、日暮れまで、帰りなさいと怒られるまで遊んでいた遊戯は覚えているが。その追いかけっこに様な遊び。戦争の名残のあるような遊びだった。

海の砂浜に寝そべったり、山を作ってみたりしたのはもうかなりの年齢になってから。
寝ている友達に前身砂をかけるといった他愛も無い“遊び”。たしかにそれも面白かった。

ゴルフ場の砂場、バンカー。とても嫌いな場所だった。とにかく下手くそだった。ひたすらバンカーに入れることを避けるように打っていたっけ。

鳥取県の砂丘。大きな砂場。そこは昼間は子供たちの歓声が響き、大人も楽しげに砂の感触を味わい、夜は夜で、人生に疲れたり、悩みを持つ若者が訪れ、考えごとをしている。

幼稚園の砂場で人生に必要な知恵を学んでこなかったボクは、この年になっても、いまだ「知恵の無い」日々を送っているような。

なんでもみんな分け合わない大人。ずるばかりする大人。
原発事故を起こしても、後片付けを出来ない社会。
多くの人を傷つけながら、ごめんなさいを言えない大人。
少し考えることも避けるようになった大人。

それが、今のこの国の“砂場”。

きょうもペップキッズ郡山の砂場で遊んでいる子供たちがいるはず。空が見えないのは多少窮屈だろうけれど、その子たちはきっといろんなことを学んでいるはずだと。

東北は岩手県が生んだ歌人、石川啄木。最初の歌集「一渥に砂」。読み返してみる本なのだなぁとも。

2013年12月18日水曜日

富岡高校サッカー部のこと

全国高校サッカー選手権大会。福島県代表に決まったのは、郡山の尚志学園を破った富岡高校。県立高校だ。原発から10キロにある。もちろん避難区域だ。

富岡高校は、もちろん、今は富岡にはない。生徒の多くは福島市などに避難し、たぶん、4つのサテライト校に通っている。
サッカー部員は福島市の旅館で共同生活を送り、練習場所を求めて県内各地のグラウンドを転々としていた。

全国大会出場が決まる県大会決勝。その試合を見ながら富岡を応援していた。

富岡高校とは縁もゆかりもない。

東日本大震災の前まで通っていたスポーツクラブ。そこのインストラクターに鈴木綾乃という若い女性がいた。彼女は富岡高校の女子サッカー部員だったという。実家は浪江。
震災前に彼女はクラブを辞めていた。実家の浪江に帰ると言っていた。
原発事故後、手を尽くして彼女の消息を聞いた。川崎にいた。女子サッカー部員と、後輩達と連絡は取り合っていたらしい。京都に避難した部員のこととか、メールで数回“会話”した。

富岡高校サッカー部。卒業すると、優秀な選手は、JビレッジにあるJFLアカデミーに入り、プロへの道を目指す子が多い。
いわずもがな、Jビレッジをホームにするマリーゼは東電の女子サッカー部。社員として勤務してもいた。

女子の日本代表、今、神戸に所属している田中陽子も富岡高校出身。

全国大会出場が決まってからの問題。それは国立競技場への遠征費用。応援団も含め、1千万以上はかかる。
企業も散りじりになった中、寄付は集まらない。一時は出場を断念しようかという空気もあったという。

学校やOBは寄付を募った。その学校のホームページは、ネットで拡散され、シェアされ、日本全国から寄付が集まった。
県外の人も多かった。海外からも。個人で。そして“応援”のメッセージも数多く寄せられた。

東電の福島にいる社員からも100万円を超える募金が寄せられた。

2千万円をはるかに超える額。彼らは、そう、おそらく“サッカー留学生”では無い、地元の子供たちは、心配なく国立に行け、思いっきりプレーが出来るだろう。

富岡高校サッカー部のことに関しては、福島は忘れられていなかった。

「全国からの支えで出場がかなう。今度は自分たちが期待に応える番です」と選手は言う。「試合で恩返しをする」と言う。

一昨年、あれは石巻だったか。津波で根こそぎさらわれた町。ようやく車だけが通れるようになった道路の端に手書きの”看板“が置かれていた。
「ご支援感謝します。きっといつの日か、必ず恩返しをします。ありがとうございました。気をつけておかえりください」。

今年、茨城県で竜巻の大被害があった。三陸の被災者たちは、一番にそこに駆け付けた。泥を掻き出し、倒木を片付け。
恩返しをする時が来た。被災者は笑顔で作業にあたっていた。

台風被害にあった伊豆大島。福島の米250キロが届けられた。浪江の人から。炊き出し用の米。困った時はお互い様と。

フィリピンの台風災害。仮設にいる飯舘の人たちが募金を始めた。
「おすそ分けをしようじゃないかと」。

お互いさま、おすそわけ、恩返し。

日本人は、皆、そうやって生きてきた。

東北の一部には「マレビトという言葉と風習がある。希人と書くのか。外から来た人にありったけの接遇をする。身に着いた風習。
「おもてなし」なんて言葉を“強制”されるまでもなく。

富岡高校サッカー部の選手たち。恩返しと言う。試合に勝つことだけが恩返しではない。支援を受けたという事への恩返し。それは、そのことを決して忘れないということ。そして立派な社会人に育つこと。
奪われた土地、奪われた学校、奪われた日常生活。そこからどうやって這い上がっていくかを身を持って示すこと。

ロンドン五輪。多くの寄せ書きがある日の丸を掲げ、場内を走り回っていたなでしこジャパン。あの時の感動を忘れてはいない。

2013年12月17日火曜日

福島を返せ、福島に返せ。

福島県。原発事故が無ければ、ほとんど“無名”に近い県だった。日本の白地図を出しても、その場所を的確に指す人は少なく、面積が日本で三番目に広い県であるとうことすら知られていないような県だった。

福島県人が描く郷土。というよりも、福島県人ですら、よくその歴史を知らない県。郡山の安積開拓と言っても、その簡単な歴史すら知らない人の多い県。

NHKの大河ドラマが白虎隊をやり、八重の桜をやる。会津がすなわち福島県だと認識している他県の人。

福島県とは明治政府によって、三つの県が“強制的”に合併させられて出来た県。気候、風土、慣習も異なったものを併せ持つ県。

日本の地図上からは抹消されないだろうが、福島県は壊れ始めているという感がある。意識の中から消されてしまいそうな感すらある。

4月28日、主権回復の日という行事が東京であった。天皇皇后両陛下が臨席。式辞すらなく、最後に起こった「天皇陛下万歳~」の大音声。その中を退場される両陛下の表情は曇っていた・・・。“無理矢理の臨席”という“真相”が宮内庁の中からも言外に聞こえてくるくらいに。

それと相前後するかのように、美智子皇后は「五日市憲法」に言及されていた。五日市憲法とは、憲法制定を求める自由民権運動家が、五日市の運動家が起草した主権在民、議会開設を求めた運動。簡単な紹介だが。
その自由民権運動の東北の発祥地であり、起点は福島県だった。運動を危険思想とみなし、弾圧を受けた喜多方事件。

その主権回復の日、沖縄は「屈辱の日」としている。その日、沖縄では県民集会が大規模に開催され、三線に合わせて皆が歌った。

「沖縄を返せ」という歌を。

最後のフレーズ。「沖縄を返せ」の繰り返しの最後、そこを参加者は、「沖縄に返せ」と歌った。

広島。峠三吉の詩。
「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ人間を返せ」。

広島、長崎、沖縄、そして、福島。その間にあった水俣。

それらは同じ「楽譜」に書かれているような気がする。演奏者と指揮者が違うだけで。

しかし、「3・11」は福島にとって“屈辱”の日だろうか。屈辱の思いに捉われている人達もいる。だが、多くの人たちが「忘れていた」、いや「考えてもみなかった」、“原子力発電”の恐怖を愚かさを、県民の犠牲によって目覚めさせることが出来た「覚醒の日」と呼びたい。

「復興」という言葉の意味はあえて問わない。語らない。漠然とした概念の中での「復興」。それを求める福島県人。

福島県歌というのがある。これも県民の多くは知らない。

♪しゃくなげ匂う山並に、呼びかけよう、若い理想をかざして。明日の夢が果て無く伸びる、明るいふるさと福島を作ろう。緑光この空いつまでも、ああ福島県♪

一番の歌詞だ。少なくとも廃炉が成功するまで、県歌の歌詞の一部を替えよう。
福島を作ろうではなく、福島を返せと。「ああ」、を「さあ」に。

二番の歌詞は、“豊かなふるさと福島をつくろう”だ。まさに「福島に返せ」だという思いが横溢してくるのだが。「福島」を忘れさせないためにも。

「3・11」。その日に、一人勝手にこの替え歌を歌ってみることにするかな。

2013年12月16日月曜日

そして新たな“分断”が

除染廃棄物の中間貯蔵施設建設に向けた動きが加速化しはじめた。ずいぶん前から言われていたこと。それが、今になってというのか、予定通りというのか。

時々顔を表す石原環境大臣。県知事や関係町の町長に建設受け入れを要請。県と町にボールが投げられた。
双葉、大熊、楢葉の町長は重い荷を背負うことになる。納得済みの事であっても。
県知事は相変わらず「住民への丁寧な説明」を国に要求するといい、後は「地域住民の合意を得て」なんてことで“逃げ”の一手だろう。

1Fの周りの16平方キロ。2Fの近くの3平方キロ。候補地とされるその土地は国が買い上げる。

双葉、大熊は帰還困難区域。たぶん戻れない地域。建設予定地は。そこの土地は買いあげられる。その土地に隣接する、該当しない町の土地はそのまま。
該当した土地の所有者は、「公共用地取得基準」で買いあげられる。
カネが入る。そうでない地域。同じ帰れない地域であっても買い上げの対象にならない地域の住民はそのまま。

早くも聞こえ始める声。どうせ帰れっこないのに、こっちはそのまま。あっちは買いあげ。不公平だ。そんな、またもや「カネ」の事。そして「カネ」にまつわる地域の分断。
「原発」をめぐるカネ。建設時に巨額のカネがばらまかれた。立地地域の人たちは「甘い汁」を飲まされた。「蜜の味」に馴染んでしまった。

原発事故。多額の賠償金が支払われた。その賠償金をめぐり、今や、それをもらっている避難している福島県民と、例えば郡山のように、賠償金は(一時金はあったが)無いところの人たちの間に“分断”が生まれている。
「あいつら、賠償金で遊んで暮らし、車までも買っている。おかしくないか」と言った類の。

県民の分断。

そして、今度は施設建設を巡っての土地の買い上げ。同じ町の中での分断。
「分断」という悲しい言葉を、何回見聞きすればいいのか。

フレコンバッグのある光景。異様な光景。貯蔵施設が無いと除染もはかどらない。中間貯蔵施設は県内に作らざるを得ない。致し方ないこと。たぶん、だれしもがそう思っている。

一昨年4月、小中学校を再開した郡山。線量の比較的高い小学校の校庭の表土を当時の市長の“決断”で剥いだ。それを同じ市内にある焼却場に搬入しようとしたところ、その焼却場のある地域の住民は「反対」とした。結果、剥された表土は行き場を失い、校庭につまれたまま。その置かれたままの土が、格好のネタにされた。

「汚いものは自分たちのところには欲しくない」。

住民エゴだとなじったが、そんなことはいままでいくらでもあったこと。

中間貯蔵施設は30年。なんで30年か。その間に線量が低下するだろうということ。屁理屈を言えば、逆に言えば30年間は放射性物質がその施設の中に充満しているということ。
永久保管場所は他県に。法で決めろとの要求もある。仮に決めても実行されるか。されない。法改正だって出来る。法の抜け道だって作れる。

除染廃棄物だとしても、それを永久に引き受けるところがどこかにあるのか。

一昨年、何回も書いたけど、沖縄と福島。“固定化”の構図は、60年以上の今、場所を替えて再現されるのだ。
しかも、修復不能な「分断」を伴って。そして「カネ」が絡み合って。

双葉、大熊、楢葉の町長はいかにこれをさばくのか。10万ベクレル以下の廃棄物最終処分場建設の候補地とされた富岡の町長は、どう住民と折り合いをつかえるのか。

町議会で強行採決というわけにもいくまい。「住民合」なるものは不可能だ。
県内のメディアの調査。該当町の住民への。賛成50%余り、反対20%弱。20%強が「わからない」。

強制買い上げ。土地に対する農民の意思は強い。全共闘無き今、あんな「闘争」は起きないと思うが、かつての、成田空港建設をめぐる「三里塚闘争」も歴史の彼方から蘇ってくるような。
買い上げ反対を言う「一坪地主」が出てこないとも言えない。

ほとんど報じられなくなった“汚染水流失”。きょうも続いているはず。

何も変わっていない原発事故の後処理。あと始末。県民は、ただただ精神的疲労感を、徒労感を増すだけ・・・。

2013年12月15日日曜日

それぞれの「都合」、それぞれの「事情」

「都合」、全く持って都合のいい言葉がある。
会合の案内を出す。「都合がつかず欠席」と返事がくる。なんだかわからないが“都合”という一言に皆納得してしまう魔法のような言葉。

またも辞書。都合―。
「その折の状況や事情」。「金品や時間のやりくり、工面」。「全部まとめて合計」。と書かれている。

因みに「不都合」-。都合が悪いこと。道理に合わない事。けしからぬこと。
因みに「好都合」-。条件・要求などにかなっていて、都合がよいこと。
因みに「御都合主義」-。定見を持たず、その場の状況に応じて自分の都合のよいように行動する態度。オポチュニズム。

東京の初台に親しくしていた92歳のご婦人がいる。先日脳梗塞で倒れた。幸い、民生委員のような、町の高齢者見回り隊の人がかけつけ、何時間経っていたかはわからないが救急車で入院。かろうじて一命は取り留めた。たぶん、娑婆への復帰は不可能だろう。いくらか快方にむかっているとはいえ、喋れない、手足が思うように動けない・・・。

親戚がいる。甥か姪か。病院から今後のことについて相談がと連絡する。「都合がつかなく、いろいろ事情があってその日には行けません」となる。病院は最初に同行した“見回り隊”の人に連絡する。「なんとか都合をつけて来てください」と・・・。仕事をやりくりしてその人は病院に行く・・・。

「都合」「事情」。その言葉でしか言えない状況下で、暮らしている福島の人たちがいる。

家族の事情、主人の仕事の都合で、離れ離れに暮らす人達。避難区域にもかかわらず、そこの「ホーム」に居ざるを得ず、また、そこが一番いいという介護老人。避難した家族は、それぞれ「都合」があってこられないし、引き取れない。

それぞれに、それぞれの事情があり、それぞれに、それぞれの都合がある。その都合や事情の内容ははっきりしているような、していないような中・・・。

「都合により、当分営業を中止します」。そんな張り紙が貼られたままの帰還困難区域。なぜ「原発事故により」と書かないのか。
おくゆかしさなのか。

「諸般の事情により、閉店します」。諸般じゃない。原発事故そのものなのに。

そして“被災地”には、多くの政府の「都合」が押し付けられ、その都合に人々は翻弄される。

その都合にはカネの“やりくり”も含まれている。

「あなたがたにとっての好都合は、我々にとては不都合なのだ」。

都合よく使われる「都合」という言葉。その言葉は、使われ方に、きっと戸惑っているのだろう。

そして「特定秘密保護法」。様々な疑問点や曖昧さを内蔵しながら、それはきっと「時の政府」の“都合”により、“事情”により、好都合な法律として運用されていくのだろう。
ごめんだね。こっちにとっては「不都合」なんだよ。道理に合わない、けしからんことなのだよ。

「不都合な真実」。原発事故でも度々言われた言葉。その「不都合な真実」は隠し続けられている。

そして“委縮”し始めた民は、不都合な真実ですら、暴くことに躊躇しはじめている。

晴れた冬空が白銀の世界に眩しい。その空とて、なにか重苦しさを伴って感じられる。

「3・11」がもたらしたもの。それを根本から考えなおさないといけない時なのかも。
自然と人間の営みの“因果関係”含め。

この国はやはり、大きな曲がり角に来ていると思う。何にしても・・・。

2013年12月14日土曜日

「輪」は輪廻転生の輪・・・

まことにくだらないことに意を用いるのもいかがかとは思いながら・・・。

毎度お馴染み「今年の漢字」。「輪」と大書されていた。一年を漢字一文字で現す。なんとも奇妙な風習が続けられている。
そんなどうでもいいことをマスメディアは格好の話題とする。政治家もそれに悪乗りする。

一昨日の夜9時のNHKニュース。トップ項目は延々とこの漢字について。
東京五輪が決まったから。富士山が世界遺産に登録されたからと外輪山の空撮。あげく、指輪に行きつき、“金の指輪”の話にまで。
あの日は与党の税制大綱が決まった日。伝えるべきニュースがあるはずなのに、トップで長々と「輪」。

次の日、つまり昨日の新聞、テレビを見てもこの話。単なる“話題”と考えるべき“ニュース”。

少なくともニュースということでは、NHKは「衆愚」に加担している。いや、その「尖兵」かも。

大本営発表のラジオ放送を思い出し、方言をも標準語化しようとした中央集権思想が浮かんでくるような。

いまだもてはやされている新語、流行語大賞。「お・も・て・な・し」。俺に言わせりゃどいつもこうつも「ろ・く・で・な・し」だ。

やたら指示を連発する上司。部下が言っていたよ。「うちの課内の流行語大賞は“お・も・い・つ・き”ですよ」って。

なんで「輪」という字にこだわるのか。

たまたまきょうあった講演。3・11で奪われた多くの死者。その日に生まれた、東北3県の赤ちゃんがなんと100人。福島県でも30人。あの揺れる中で、放射能の恐怖が言われる中で。

その子たちに「ひこばえ」と「ゆずリは」という言葉を送ったことを冒頭に話した。
多くの死者の「生まれ変わり」だと。そしてその子たちはもう2歳9か月になっているんだということを。
だから復興や支援の在り方も、当時と今とでは変わって来ている。今求められている支援は物ではなく心だという話をしてきたから。

そう、生まれ変わり。別に仏法を説くのではない。そこに「輪廻転生」という言葉が当てはまるのだ。

せめて、どっかのメディアでも、「輪」という字から、被災地を結びつけて欲しかったなと。
たしかに「支援の輪」というのもあると書いていた新聞もあったけど。もっと深く考えて欲しかった。

だから思う、考える。輪と言う感じがもてはやされ、流行語が飛び交うさま。それは一つの「言葉の同調圧力」めいた“空気”が、抜きがたくこの国を支配しているような感覚。

聖書のヨハネの福音書。
「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この
言は神とともにあった」。

その「言」という言葉を、方言としてのケセン語訳の聖書では「神様の思いだった」と訳している。

2013年12月13日金曜日

「公明党」、「創価学会」のこと。

公明党の母体は、いわずもがな創価学会である。
創価学会。1950年代か、その「猛攻」はすざまじかった。我が家は浄土真宗だった。仏壇には阿弥陀さまがかざられていた。
その阿弥陀さまが、いつの頃か、日蓮正宗の“曼荼羅”に変えられていた。

その頃、創価学会の、共産党で言う「オルグ」、学会の「折伏」、それはそれは大変なものだった。正確に言えば「らしい」。僕はその標的にされていなかったから。
横線、縦線と言われていた。縦線は親類縁者。横線はご近所。どうも母親はその横線で、近所の友達の強引な勧誘によって“会員”になったらしい。でも熱心な会員では無かった。家で大声でお題目を唱えているところは記憶に無いから。

戸田城聖という名前の本があった。百蓮華といったか、機関誌みたいなものが運び込まれていた記憶。

折伏と言うある意味強引な言葉が嫌いだった。でも、その創価学会と言うものが何かを知りたくて、子供ながらの「研究」。そして知った創立者の、それは哲学者として、哲学の一つの帰結である宗教者としての、反権力。
治安維持法での検挙、獄死。レジスタンス性を感じた。

そして、池田大作へと続く「創価学会」なるものとの違和感を。

折伏した“友達”とは、なんでかわからぬが喧嘩別れし、その他の近所の人の「攻勢」もあったが、仏壇はいつの間にか元の阿弥陀様に戻っていた。

日蓮正宗、身延山の大石寺。そこを中心に繰り広げられた宗門内の権力闘争。池田がそのトップの座をうかがい、日顕猊下という“法主”との争い。池田創価学会は“破門”のような形になり、池田教とも言うべき学会が出来、今も、その影響下にあるのだろう。池田の顔は見ていないが。

名誉会長と呼ばれる池田は、今でも“信仰”の対象らしい。

牧口の「思想」は無くなっていったようにも思えていた。

国会に出入りするようになってすぐ、公明政治連盟、公明クラブというのが出来、参院議員が生まれた。中道を名乗る政党として、選挙のたびに議席を得、衆院にも進出。“野党”としての地歩を築いて行った。

言論出版妨害事件というのがあった。昭和45年頃か。政治評論家の藤原弘達が書いた「創価学会を切る」という本の出版を巡っての裁判。
公明党の依頼で、出版取りやめに動いたのは田中角栄。

結果、田中角栄と公明党との間に「密接な関係」が生まれた。

公明党はなぜか中国と良好な関係にあった。田中内閣成立後の日中国交回復。その下ごしらえをしたのは竹入公明党だった。

田中が当時「自公連立」を予測していたかどうかは定かではないが、中道として、野党にあった公明党は、その“平和主義”を、その看板を下ろすことなく、その存在感を維持していたが。

恵比寿にあった竹入邸。夜、そこに入る自民党の最高幹部の一人。そんな光景もあったよな・・・・。

いつの間にか竹入も矢野純也も“失脚”していった。いや、させられた。

自公連立。政権入り。権力の甘い汁を吸った公明党は、断固その位置にとどまる。そこには牧口の“苦悩”の歴史は無いものとされた如くに。

福島に来てから、そのきっかけはよく覚えていないが、創価学会の幹部と知り合い、“政局”の講演を頼まれた。数回。創価学会文化会館で。平和文化会館と言われていたかもしれない。
「池田大作の事は悪く言うかもしれないよ。それでも良ければ」。それがボクの条件。なんとそれを受け入れてくれていた。

その時使った川柳。「出て壊し、入って壊す小沢流」。公明党代議士の神崎武則の作だったと思う。
そして六無斉の歌。「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」。林子平の別称、六無斉。版木とは、幕府に没収された、彼が書き溜めた本の原板。

東日本大震災。その被災者支援に学会員は、「横線」をもとに活躍していたと聞く。目立たぬ地道な支援をしていたとも聞く。

そして国会ではあの法案に賛成する。原発反対と言ってもよさそうな団体であるのもかかわらず声を上げない。

なんか不思議な宗教団体であり、政党なんだよな・・・。

税制改正大綱が決まった。公明党はかねがね「軽減税率」の適用を言っていた。それも消えてしまいそうだ。自民にまた“寄り切られる”。それでもいいのかなとも。

2013年12月12日木曜日

「嘘」と「汗」と

「嘘と汗」。それは、ノンフィクションか小説の題名にもなりそうな、そして人間の醜さをテーマに据えた時、それは格好の材料になりそうだ。

そのノンフィクションライターとして名を上げ、その攻撃性、知名度ゆえに石原の寵愛を受け、都知事になった猪瀬直樹。

その男が、まさに醜態を晒らしている。

♪折れたタバコの吸い殻で、あなたの嘘がわかるのよ~~~♪。そんな歌が流行った時代があったが、さしずめ♪流れる汗の無様さで、あなたの嘘がわかるのよ♪ってことか。

この話、別に誰の腹が痛んだわけでもない。強いて言えば政治資金規正法に触れるかどうかの問題。

元東京人だったからというわけでもなく、原発事故問題以降、いやずっと以前から、福島対東京と言う構図で様々語られてきたこの国の姿。
そして、この「カネ」の問題は、政治の断面を如実に物語っているということ。

東京地検特捜部のリークに端を発したこの事件。飛躍するが、日本の首都、その統治機構を揺るがすようなリーク。それも、1年後には特定秘密に指定され、闇に葬られるのかな。

「5,000万円を必要としたのは、選挙後の生活に不安があったから」と言い出し、金に困っているようなことを言ったかと思ったら「知事報酬1年間返上」。生活に困らないのかい。不安じゃないのかい。子供騙しみたいなこというなよ、いや、子供も騙せない。「

その他、転々とする答弁。こんな「嘘つき」がジャーナリストって言われていたということ。政治家になれたってこと。

マスコミ人も含めて、ジャーナリストと呼ばれる人たちは、おおかた、攻撃、攻めにはめっぽう強い。時にはよってたかって攻めていく。逆に「防御」には弱い、いや、からっきしダメ。それが習性。

人間、一回嘘をつくと、もうその後は嘘をつき続けなければならない。嘘の上塗りって言葉があるかどうかはともかく。嘘で固めた人生。そんな人結構多くないかい。

「嘘も方便、ところによっては真ともなる」。オシャカさまもそう言っている・・・それは落語の世界。

「嘘も百回言っているとそれは真実になる」。有名な政界に残る“名言”の一つ。

だけど、猪瀬は“嘘のつき方”さえも知らない。

攻めに強く守りに弱い者が政治家になってはいけないのだよ。政治家は守りに強くなければ。反対勢力すら呑み込んでいく懐の深さを持たなければ。

だいたい、マスコミあがり、ジャーナリストあがりで大成した政治家はいない。
テレビ局の記者やっていたという奴がなんとか大臣になっているが、もうその存在も認識されてない。

ジャーナリズムの世界に身を置いたものは、その対峙する権力の大きさを知る。知ってその世界に入るか、立ち止まってそれを監視する、対立する地位に身を置くか。

分かれ道で、選択を間違えた人のなんと多いことか。いちいち例を引かないが。

猪瀬退陣コールを受けて、またぞろ、その後が取り沙汰され始めている。そこにはジャーナリストを名乗る人の名もある。
やめておきなさいよ。

まともなジャーナリストは権力の頂点には立てない、そんな“能力”は無いのだから。

福島は、多くの嘘に悩まされ、苦しめさせられてきた。いや、それはまだまだ続くはず。原発事故当時の民主党政権の数々の嘘。官僚の大量の嘘。学者の嘘、東電の嘘。

それらの嘘は、それをついた奴らの額からは流れない。付かれた方の福島の“汗と涙”に転嫁されてしまっている。

福島の子供たちがかわいそうだ。そういって泣いてみせた学者もいた。あれはきっと「嘘泣き」だったのだろう。

ジャズのスタンダードナンバーで有名な曲の名。
It’s a sin to tell a lie

日本語訳の曲名。「嘘は罪」。Sinとは宗教上の罪を言う。

「嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれるぞ」、よく言われて来た年寄りからの“伝言”。まだ、舌は残っているけど・・・。

2013年12月11日水曜日

“逆ピラミッド”の発想

社員教育セミナーの講師を頼まれた時、こんな話をよくしていた。
「逆ピラミッドの発想」。

ピラミッドの三角を思ってください。ピラミッドの頂点には社長がいます。
その下には数人の役員がいます。その下には管理職が何十人といます。だんだん末広がりになるピラミッド。一番下の“底辺”の部分には社員がいます。
そして、ピラミッドの下に一番大事なはずの「お客様」がブラさがっています。

この構図である限り、社長の考えはなかなかお客さんには行き届きません。そして位置づけがなによりも一番下。お客さんに不満があっても、それを社長にまで上げるのは大変です。重い大きなピラミッドの上までは。

だから、その三角を逆にしてみましょう。一番上にいるのは大勢のお客様。その下に社員、管理職、重役と続き、一番下にいるのが社長。
一番上の客の意向が社員に上から伝えられ、最後の社長に届く。社長に届いた時には社員や役員全員がお客の意向を知っている。そして、何よりもお客が一番上。顧客サービスナンバーワンていうのはこういう構図と考えてはいかがですか。

これから話はいろいろ展開して行ったのだが、それはともかく。

昨今の世相を見ていて、世の中の動きを、政治の様を見ていて、ふとこの逆ピラミッドを思い出した次第。

昨日の塾で、安積開拓にからんで、その延長線上の事として明治維新の話をした。
明治政府とはつまり、このピラミッド型社会をいかに構築するかにあり、それを構築し、ピラミッドにみられるような中央集権国家を作り出したということ。
それは、平成の今になってもそうだということ。

偽りのような地方分権。お上がどうにかしてくれるという“楽観主義”。それに唯々諾々と従っていれば“安泰”という「思考停止」。

頂点には総理大臣が君臨し、その下に閣僚がいて、議員がいて、役人がいて、底辺で国民がうごめいている。

マスコミはこのピラミッドの枠外に置いておこう。そうだ、スフィンクスにでもしておこう。

底辺の国民は、その重圧に苦しんでいる。閉塞感にさいなまれている。
だから時々、ピラミッドを離れて、声を上げてみる。しかし、声は砂漠の砂にかき消される。
少々の民がその構造、構図の中から離れても、強固に作られたピラミッドは微動だにしない。蟻の一穴にもならない。

壁を穿つものは・・・。

だからこの三角形を真逆にしようということ。
民の声が一番上にあるのだ。それらが各所で収斂されて、一番下部にいる総理大臣様のところに落ちていく。民草の重い声を必死に受け止め、それをどうするか考え、重さに耐えながら、上へと返していく・・・。

民主主義って、この逆ピラミッドの構図にあると思うのだけどな。だけど多くの国民はピラミッドの下にいることに安住し、上からの声を黙った聞き、それを異なるものとしてとらえていないような気もして。

こんなばかげたような話、まさに福島にも当てはめたい。国、県、自治体。そのピラミッドのような構図の再下部にいる住民。

それを唯々諾々とうけいれるしかない住民。逆にしたらいかがかな。
住民の声が、常に下に降りていくという。

そしてスフインクスであるマスコミは、ピラミッドのどこを見て報じていくのか。
目が行くのは常に、往々にして上。だから逆にすれば常に民草に目が行くのかとも。

そしてスフインクスは、時たま通りかける旅人に投げかければいい。スフインクスの謎を。

こんな“奇想天外”のようなことをたまに夢想してみるのも悪くは無いかと。

2013年12月10日火曜日

「再編」の目的、「普通」の意味。

“政局”ごとがあるとなにかと血が騒ぐ。悲しい性(さが)。それを断ち切って一言。
みんなの党の離党騒ぎ。根底にあるのは党首不信、秘密保護法への懸念だと。
14名の離党が「野党再編」をキーワードにしてどこと組むとかなんとか。
江田の動きは野党再編という視点で見てはなたない。まして、それに加担した人たちも、「野党」のことに矮小化するなよ。

野党再編に何の意義やある。今、この国に必要なのは、“政治”を認めたうえで必要なのは「政界再編」なのだ。江田の覚悟を問う。
自民党にまで、手を突っ込んで政界再編の起爆剤になる覚悟はありやなしやと。

自民党の対抗できる野党勢力の結集。おそらく無意味だ。

渡辺善美のメッキは剥げた。「自民党渡辺派で行こう」と言っていたということが暴露されたのだから。
最大野党といわれる民主党。解党の勧めを書いてきたが、そうすべきだ。改憲論者も護憲論者もいる不可解な寄せ集め政党。発信力ゼロの、そう永遠のゼロのような海江田。

なにやら裏で小沢一郎が画を描き、糸を操っているような気配すらある。小沢だって、渡辺だって、維新のメンバーだって、元は自民の脱藩者。一皮むけば同じ穴のムジナ。

政党助成金目当ての新党っていうけど、みんな政党助成金貰っているじゃないか。

だからね、政界再編、選挙制度、政治資金の在り方含めて大改革しないとだめなんだ。安倍の思うがままになっていく。石破がその好例。10年前に地元の新聞に書いたことと今言っていることとは180度違う。

寄って立つ政治信条が無い今の政治家。

再編という言葉を聞くと、言葉を見ると、思考は、すぐ原発避難区域の再編に行く。あの区域再編の意味は、目的は何だったのか。
要は「帰れない地域」を作り、賠償金を打ち切るための一里塚だったのではないかと。

江田離党が政界再編の一里塚になれるのか。自民党だって一枚岩ではない。
本音を言わない人がいるというだけ。手を突っ込んでみたらいかが。
秘密保護法に疑義を持つ人だっているんだから。


賠償金の問題に関しては、避難者は限りなく、一部から「非難」の対象にされてきてしまった。
一人10万円貰い、車を買い、家賃ゼロの仮設に住み、毎日がパチンコ。それが許されるのかといった具合の。

誰も、することがなくて、つまり仕事が無くて、家事をするにも、それをしてあげる相手もいなくて、悶々としながらのパチンコ。自堕落になり、そんな自分が嫌になり、パチンコ台を見ながら泣いていた人がいた。
その「くだらなさ」に気付き、知り合いのばあちゃんはパチンコ通いを辞めたと僕に明言した。でも、彼女はやることがない・・・。庭の手入れも、野菜の世話も何も無い・・・。

再編とは再建に通じないのか。いや、そうあるべきなのだが。

昨夜の安倍の記者会見。くまなく聞いた。見た。
NHKのアナウンサーは言う。「力強い説明があった」というようなコメント。
あの会見にある様々な誤謬。
説明不足を反省している。丁寧に今後説明して国民の理解を得る。すべての秘密は総理大臣が知ることがでくるのだから、なんら心配することはない。
説明不足と言うなら、なぜ「審議は十分に尽くされた。同じ質問の繰り返しだ」なんて数日前に言ったんだい。

審議打ち切りの直前になって「答弁」で持ち出した、情報保全諮問会議や監視委員会や独立公文書管理監。それらの中身も性格も詳細もどこでも論議されていないはず。
そして極め付け。
「普通の人の生活が脅かされることはない。だから安心してください」。

普通の人って誰を指すのか。秘密保護法案に反対した、多くのジャーナリスト、映画人、文学者、音楽家、意味不明な市民団体、弁護士・・・、それらは普通の人では無く、安倍を盲信している人たちが普通の人ということか。

普通の意味は秘密です。てな具合になるのかな。普通の人と言う言葉に、「声なき声を聞け」と開き直った祖父を見る思いすらして。

「普通の生活に戻りたい」「普通の生活の戻してくれ」。被災者は言う。その普通とはなにか。はっきりしている。3・11.原発事故の無かった3月10日以前だということが。

2013年12月9日月曜日

「後の祭り」

後悔先に立たずという。すんでしまったことを、あとから、ああしなければ、ああしておけばよかったなんて悔やむことを言う。
それと同義語か。「後の祭り」。手遅れになること、特に、取り返しがつかなくなること。
同義語じゃないな。類似語かな。

後の祭り。祭りの後とはちと違う。祭りの後の神輿や山車は、用済みになるということから来ている筈。

さまざまな問題を抱えている福島県。その一つが廃棄物の中間貯蔵施設。これがクリアされないと、県内のあちこちにある「フレコンバック(除染廃棄物収納容器)がある光景」は変わらない。

双葉郡の三つの町が中間貯蔵施設の候補地。環境省は、その三つの町を「調査」して、いずれも“適格地”とした。そして具体的な場所を決めるための調査に入る。2年後の搬入を目標に。

三つの町の町長はさぞ苦しいだろう。でも受け入れた。でも、言う。
「調査を受け入れたのであって、建設は別問題」だと。

非情なようだが、この論法は通らない。おそらくこの問題に関しては。原発再稼働にあたって、原子力規制委の調査は受け入れるが建設や再稼働は別という論理とは同一ではない。

調査を受け入れたということは建設を容認したということと同じこと。でも、この論法を掲げる以外に方途はない。住民理解、同意という、相変わらずの「えせ民主主義」を建前にしているが。

そして、中間貯蔵施設を作るということは、永久保管場所になるということ。
30年後には国の責任において・・・。別の場所に・・・。その場しのぎはあり得ないということ。そして、それは、おそらく、首長も住民も理解しているはずだということ。

だから帰還を言っても、それが徐々に後退しいていく。

中間貯蔵施設が永久貯蔵施設になるということ。それを今、あらためて認識しておかないと、とんだ「後の祭り」になってしまう。「後悔先に立たず」になってしまう。

でも、現実には中間貯蔵施設は必要。それは、とりあえず今、人が住んでいないところに持っていくしかない。それを引き受けるなんて“奇特”な他自治体があるわけはないのだから。

県内だって然りだ。

これらの現実。そう厳然としてある現実。それとの葛藤。それが福島の現実。

国有地化計画だって、すでに一昨年打ち出すべきだったもの。今まで店晒しにしておいて、何を今更なのだ。

原発への向き合い方。今が“勝負”の時かもしれない。後の祭りとされないためにも。

後から騙されたと言ってもどうにもならない。そうでしょ。すでに原発が作られる時から、あらゆることは目先の欲を餌にした、すべて「騙しの構図」だったのだから。

双葉郡八町村が抱える、帰還問題も含めた、福島の、「フクシマ」の重い現実。
その重い現実を、県外は福島県の中に押しこめる。それが当然のことと言わんばかりに。
福島県内では、それを双葉八町村の問題として、そこに押し付ける。押し込める。

淡い、はかない“希望”や、ささやかな望みさえ捨てて、この置かれた現実に立脚して考えないと、それこそ、すべてが「後の祭り」となってしまうのでは。

江田がみんなの党を離党して新党。野党再編だと。それだって後の祭りだ。

秘密保護法をめぐる反対運動。それも、言ってみれば、手遅れという言葉を据えて考えれば後の祭りだったのだ。選挙という“祭り”に遡った。

2013年12月8日日曜日

民主主義ってなんだろう、それは実在するものなのか。

今日は、12月8日。72年前、ボクが生まれた年。生まれて10カ月後、いわゆる太平洋戦争が始まった。帝国陸海軍は米英と戦闘状態に入れり。大本営発表のラジオの声・・・。

このブログが“拝借”している「日乗」。永井荷風の「断腸亭日乗」からとったもの。その断腸亭の亭主さんも書いていた。開戦後の3日後。
浅草の歓楽街はいつもと変わりなく、芸人や踊り子の振る舞いもまた同じ<無事平安なりき>と。

郡山の歓楽街は、3年前とさして変わりなく、酔人の振る舞い、また同じなり。忘年会とやらで賑わい、喜色ありて明るい。無事平安なる日常を謳歌せしむ。

そんな数行を書いてみるか・・・・。

あらためて辞書をひもとく。
民主主義―人民が国家の主権を所有し、自らのためにその権力を行使する政治形態。現代では、政治上だけではなく、広く人間の自由や平等を尊重する立場を言う。

主権在民―国の主権が国民にあること。国民主権。日本国憲法ではこれを前文で宣言する。

議会制民主主義―主権を持った国民から構成される議会を中心に行われる民主政治。

民主政治―民主主義に基づく政治。民主的諸制度を備えた政府によって行われる政治。


なんだかわからん。堂々巡りだ。

だから、いわれる「民主主義」って何だって思う。少なくとも、議会の在り方、政府の有り様は“辞書”に書かれていることを否定sるかのような。

自民党、自由民主党。リベラル・デモクラティック・パーティー。
そこにリベラルもデモクラティスの概念は存在しないかのような。

なんでも民主を言えばいいのか。民主党。さっぱりわからん。社民党、そこにも民の字があり、社会民主党の略なのか。

わからん、わからん。

で、よくよく考えていくと、多数決の原理は民主主義、民主政治だという。そうだろうか。多数決の原理の根本には、討議、討論、熟議、対話、説明・・・。
それらがあった上での民主主義。

いかにも民主政治であるかの如く、福島では、原発事故をめぐって、いや、宮城、岩手の被災地でもそうだが、必ず言われる「住民合意」「住民理解」「住民同意」。

住民合意とは、国から合意しろと強制されているような気がする。完全な合意などあり得ない。

手法として民主主義的な方法をとっているかのようなふりをして、強権発動。

大体、国会議員の誰が、丁寧な、民主主義的手法による「説明」をしたか。
ほとんどの人が答えるだろう。「説明されてない」と。

納得してもらう努力をしないで納得を迫るということ。辞書には無い民主主義。

もしかしたら、日本と言う国は、民主主義国家ではないのかもしれない。ある種の独裁国家なのかもしれない。

そして、民主主義という名の矛盾。主権在民で、選挙では議員を変えられる。
その気にさえなれば。特定秘密を指定する議員の一人である大臣。おかしな指定があれば、替えて変えられないことはない。でも、それらは官僚が大臣に“上伸”するだけのこと。
大臣を国会議員を変えても官僚は替えられない。

それでも「民主主義」?

官僚本意主義でしょ。官僚支配政治でしょ。

「歌手一年、総理二年の使い捨て」。竹下登はうまいことをいったもんだ。官僚は使い捨てにはされないし。国民はその首を切ることはできない。

明治維新とはそういうものだったのかもしれない。ならばいっそ、帝国議会にもどしてはどうだ。少なくともある程度の良識と品位を持っていた貴族院にしたらどうだ。参院を。

そんなバカな冗談すら言いたくなる・・・。

小春日和に誘われるように、野良猫がやって来た。ニュンと鳴いた。
「おい、どうした」。
毛づくろいをしながら猫が言ったような気がする。
「とかくこの世は住みにくい」と。

2013年12月7日土曜日

「忘れない」、それが始まりなのだ。

特定秘密保護法が成立した。
大方のマスコミはその“暴挙”を言い募る。もちろん言い続けるべきだ。その法に対しての反旗をひるがえし、反対しつづけることを。

委員会の速記録、「聴取不能」。それをもってして採決の不当性を言う。普通の世界であるなら当然そうだ。しかし、国会は違う。何度も言うが国会は多数の力でなんでも出来てしまうところなのだ。

見せかけの議会制民主主義の“酔って”いたってはじまらない。マスコミ人の多くも、ある意味では「傍観者」だったのだ。

担当記者がそのおかしさ、あやしさ、疑問を書いても、同じマスコミ人としては、その場に“応援”に行かない限り「傍観者」を決め込んでいたのだ。

多数がなんでもできる国会。それはまったくよしとしない。しかし、そういうところであり、市井の民の声とは全く乖離したところで、事が運ばれるというのは、国会の中では当たり前のことだということを、多少知っているボクは、何も知らないキミたちのために、道を譲る。

現場に行ってこそ知り得たことの数々があることも。

連日、連夜。国会周辺に集まり声をあげていた一個人の方々。敬意を表する。運動のための運動、特定のイデオロギーに支配されたのではない一個人、一個人に。

あなた方は法案成立によって、その戦いが負けたのではない。いや、むしろ勝ったのだ。

扱いの大小はあっても、あなた方の声がマスコミを動かしたともいえる。

法案成立によって安倍は勝ったと思っているのだろうか。信念を貫き通したことに快哉を叫んでいるのだろうか。

安倍自民党、公明党というヌエにような政党は、実は大きなものを失ったのだ。

支持率は確実に低下するだろう。もう、こんな国会運営は出来なかろう。とてもじゃないが「改憲」なぞ持ちだせるわけもない。

失ったことの大きさに安倍は気付いていない。

与党の中でさえ疑義を持っている人たちもいた。反対に回ったものもいた。党議拘束という名のもとに“沈黙”を貫いた人達もいた。

国会が終わる。議員たちは選挙区に帰る。どういう反応を選挙民から示されるのだろうか。もちろん、大歓迎という人たちだっている。それを、心地よい声だけを選挙民の声だと思うなよ。

舐めてかかってはいけないのだ。

2013年12月6日。この日に何があったのか。この日何をしていたのか。
国会前に行っていた人は、そのことを決して忘れてはならない。

自民党の幹部がこう言っていた。自分の経験に基づいて。
「なぜ採決を急ぐのか。選挙は3年後だ。それまでに国民は、このことを忘れるからだ」と。

決して忘れない。一生かけてもそのことは記憶にとどめる。その覚悟をなくさないで欲しい。忘れないことが「始まり」につながるのだから。

法案は1年以内には施行される。

声を上げ続けるべきだ。傍観者だった人達も、今、そのことに気づいたら傍観者であることをやめるべきだ。

たとえ、秘密に迫ろうとして“逮捕”されたとしても、マスコミ人は書くことに躊躇すべきじゃない。委縮なんて言葉を誰が持ってきたのか。

委縮するのは権力の側であり、我々では無い。

国会に目を奪われている間に、東電は重大な発表をしている。1Fの主排気塔の下部でこれまでに最高値の毎時25シーベルトの放射性物質を、周辺の測定値からの推計として発表している。案の定、メディアの扱いは小さい。この数値は20分も浴びれば死に至る数値。それへの対策はお手上げ。ベントによって残った放射性物質が、配管に付着しているとの見解。どうするのか。どうしよも無い。お手上げ。

原発事故は福島県の中に閉じ込められ、「忘れられよう」としている。

被災地でも「忘れられている実感」の声を多く聞く。

そして「忘れたい」「もう放っておいて欲しい」という声さえも聞こえるようになった。2年9カ月と言う月日の経過で。

3年後の選挙まで「忘れない」という意識と覚悟を持ち続けられるのか。持たねばならない。それが、あの国会前に行った者たちの責務だ。いっときの”運動“はなんの意味も持たないのだ。

どさくさついでというか。経産省は「エネルギー基本計画」の原案をまとめ、原子力発電を「重要なベース電源」と打ちあげた。

安倍の思い通りに事は運んでいる。安倍に意見、異見をいう自民党の議員はいない。

忘れないためにはどうするか。語り続けること。そこであったことを言い続けること。そして多くが傍観者であることをやめること。

そう、もう、あなた方は多くの事を知ったのだから・・・。

2013年12月6日金曜日

「院」の内、外。

院の内(うち)外(そと)。院とは、そう衆議院、参議院。国会の事だ。
内、外とも怒号が飛び交い、騒音に囲まれ、騒然とした雰囲気であり・・・。

国会の中では、院内では、およそ、すべての秩序を無視したような、国権の最高機関である場所が、その品位の欠片すら無い様な行いが続いている。あらゆる“暴挙”が繰り返されている。

強行採決。その現場は何回も見てきた。何回も経験している。速記録に聴取不能と書かれていても、それは採決の有効性にはなんら影響を与えるものではない。

与党の絶対多数の中にあっては、前にも書いた通り、たとえ「物理的抵抗、牛歩戦術」などをやっても、参院はすでに押ボタン投票になっているし、国会は何でも出来る。男を女に変える以外は。

二日間延長が強行議決され、あらゆる国会対策、戦術。不信任案、解任決議案、問責決議案をことごとく否決するのは難しいことではない。
唯一、伊吹衆院議長が“良識”をもってして、延長のための本会議開会のベルを押さない限りは。

これまでも有ったことだ。国会は「無法地帯」と化している。

多くの国民が、汚染水問題をはじめ、その目が原発に注がれているなか、この法案は着々と準備されていた。
参院選で「ねじれ」が解消された時から、この日は予想されてしかるべきだった。

5か月前、この法案が動き始めた時に、もっとメディアはマスコミは気付くべきだった。

その役割をすでに“放棄”していたとはいえ、この法案の“危険性”をもっとわかりやすく伝えるべきだった。

議会制民主主義は死んだ。そう言ったとて、多くの国民は無関心であり、それを「知らない」ということ。その責めはマスコミにある。

安倍の祖父、岸信介。安保改定が「信念」だった。十重二十重に国会をデモ隊が囲み、死者を出しても、その信念は貫かれた。
同じ想いを安倍も持っているという。デモ隊が太鼓を鳴らし、反対を叫ぶ中、公邸で側近と食事をしながら、信念を貫く決意を語っていたという。

きょうも、多くの人たちが「国会」に駆け付けているだろう。延長されれば、明日、明後日は仕事は休み。多くの人が反対を訴えにいくだろう。

院内は“無法地帯”にある。院外、デモ隊は、大方、整然としている。警察官と小競り合いも起こしていないようだ。
安保の時は違っていた。殴られ、叩かれ、水を掛けられ・・・。

公務執行妨害による逮捕者も出ていない。
大音声の鳴り物は異様だ。歩道を占拠している状況は通行人に迷惑かもしれない。しかし、あそこを通る人のほとんどは国会関係者だ。

そして、デモの参加者に高齢者のなんと多いことか。高校生も含めた若者がなんと多いことか。
なんら思想的背景も持たず、一個人として、国会前で、岸と“対峙”していたあの時のボクの姿がよみがえる。

とにかく、不法、無法行為は絶対犯さない抗議行動であって欲しい。
国会の中では、国会議員による“議会制民主主義”への「テロ」が公然と行われている。彼らに、「テロ」呼ばわりをされ、法案の前触れみたいになるような口実を与えないためにも、「声を上げる」場であって欲しい。

そして・・・。法案は通る。案が無くなり法になる。しかし、それをもってして、デモに参加した人は敗北感を覚える必要は一切ない。むしろその場にいたことに誇りを持っていい。

国会議員の”暴論、暴挙“をあぶり出したことで、あなた方はすでにして勝っているのだ。

2013年12月5日木曜日

「喪中葉書」の舞い込む季節

またこの季節がやってきた。嫌な季節。毎日のように届く喪中葉書。
一枚は大学時代の同級生だった。

慌てて仲の良かった同級生に消息を聞く。癌だったとか。ストレスなるものが癌を早めていたとか。90歳を越える病床の両親、痴呆を患ってしまった奥さん。その介護、看病で疲れきっていたという。

一枚は東京の我が家に下宿していて、結婚もとっくにし、子供も大きくなったであろう新潟に住む子。そうだ、子と言っても大学生二人の母親。彼女の姉も我が家に下宿していた。

新潟県加茂市の開業医の娘さん。彼女のお母さんからはいろいろなことを教わった。
ご主人が亡くなった1年後の命日の日、一周忌の日にそれを知らせてくれた。1年前に連絡すれば弔問に駆け付けて来ることになるだろう。それでは迷惑をかける。1年待った・・・。

そして、「3・11」。新潟地震を経験しているそのお母さんは、物流が復活すると同時に、多くの“支援”を送ってくれた。
「人との付き合い方はかくあるべし」。それを何かにつけて学ばせて貰っていたように思う。気遣いのあるべき姿も。
次女の訃報を知り、電話で話した。84歳。多少からだに“不具合”はあるものの、いたってお元気だった。

届いた喪中葉書。30枚くらいか。多くが親御さんのこと。兄弟のこと。

葉書一枚一枚を「つつしみて」読む・・・。


そして今年、多くの「文化人」が亡くなった。「知識人」がなくなった。これでもかといった具合に。戦争を知っている世代が。
それを書き、語れる人がいなくなるという現実。無力感すら伴う。

書きながら思いつくままにでも、作家の山崎豊子。彼女なりの視点で戦後をえぐった。小説という手法で。
漫画家のやなせたかし。漫画という手法を使い、限りなく”平和“の必要性を訴えていた。自分の顔をちぎって飢えた子どもたちに食糧として分け与えるアンパンマン。

広告評論家、コラムニストの天野祐吉。普通の人の感覚で、世相をえぐり、政治を批判し、経済成長に名を借りた原発をこよなく嫌った。
作詞家の岩谷時子。彼女の作詞は、戦後の世相を歌に託して、その時代を見事に表現していた。
辻井喬、本名堤清二。西武グループの総帥、衆議院議長も務めた康次郎の子でありながら、限りなく反権力であり、書かれた小説や詩に酔った・・・。

文化人ではないが、東京電力福島第一発電所の所長だった吉田昌男。語って欲し事がもっとあった。彼が健在であれば「廃炉」作業にも影響はあっただろうし、国との問題も、もっと市民目線であったかもしれないとも思う。

そしてもう一人。橋本 武という学校の先生。
戦後、黒塗りされた教科書に嫌気がさし、中勘助の小説「銀の匙」を3年間かけて読み、読ませるという“掘り下げること”の大事さを実践した先生。

彼らは、彼女たちは、今の、いや昨日今日の「国会」、秘密保護法で揺れるこの国の姿を見ていたらどう思っただろうか。
何を語ったのだろうか。痛恨の極みと言っていいのかどうか。知らないでいてくれてよかったような気もするし、“予感”していたかもしれないが。

戦争をかろうじてでも知る世代。まだ活躍中の人も多い。
樺太の悲劇を“終わらざる夏”という小説に書いた浅田次郎。映画監督の山田太一、そしてなんと言っても、アニメ映画「風立ちぬ」の監督宮崎駿。

彼らを行動に駆り立てているものは何か。

特定秘密保護法案は、明日には成立する。それがどんな手段を取られるにしても。どんなに反対の意見が国会議事堂を取り巻いても。

少なくとも5割の日本人は、「喪中葉書」を書かねばならない。日本の民主主義は死んだと。議会制民主主義は幻想にしか過ぎなかったと。
政治は死んだと。
民の声は消し去られたと。

そう、そして、その喪中葉書は、国会議員に対して送らねばならない。安倍官邸に対して送らねばならない。

そして、その「死」を忘れることなく、一周忌のお知らせ、三回忌のお知らせとして、未来に対する遺言として送り続けなければならないのかも。

「終わり」を「始まり」とするためにも。

2013年12月4日水曜日

1、000日、それは一つの分水嶺

死者、1万5,883人。行方不明者2、651人。仮設住宅、借り上げ住宅での避難生活者、27万7、609人。
福島県の避難者およそ14万人。

東日本大震災・原発事故から1,000日が経ったきょうの「事実」としてある数字。

1、000日という月日の経過が何をもたらしたのか。何を変えたのか。何を無くしたのか。何を生み出したのか・・・。

苦しみや悲しみから、一歩でも這い出ようと努力している人達もいる。諦めに支配されてしまっている人達もいる。

原発。4号機の燃料棒取り出し作業が始まった。きょうも“順調”に推移しているのか。
手つかずの1~3号機。ロボットで状況把握。明らかに汚染水漏れの箇所が見つかる。しkし、それに打つ手は無い。汚染水は毎日漏れて、排出されているはず。

終わりなき戦い。

帰還困難区域、立入り禁止区域。そこは荒れ果てるだけ。家はネズミに食い荒らされ、けもの道のような、人のしらないような道を通って泥棒が跋扈している。

数か所に設けられた一時立ち入り許可の“検問所”。まもなく冬季を持って閉鎖されるという。ネズミ駆除剤を配布する。一日10軒前後の“帰宅者”へ。
これでは効かないんだよねと言いながらそれを受けとる住民。

帰還希望者の数は減少している。まだ仮設には8割の人が住んでいる。冬がプレハブにも到来する。

ボランティアの数も激減した。ボランティアの内容も変わった。なんでもお手伝いから、ケアや専門的知識を持った人たちへの支援要望。

自治体からの応援職員も減った。無理からぬことだが。

だから、被災地は、自ら立ち上がることを模索している。

風化、忘れられている。そんな感情を持つ人も多い。人のこころの移り変わりも「当然」と受けとめ、毎日、何かの努力をしている。

震災遺構のことで町の意見は二分される。正解は無い。

帰るか帰らないかを決める”分水嶺”の時とも。

国会には復興特別委員会というのが設置されているはず。でも、今の国会で何かが審議された気配すら無い。

1、000日が失ったもの。1,000日が生み出したもの・・・。

福島県川俣町に山木屋地区と言う部落がある。高線量地区。伝統芸能の山木屋太鼓。それを保存しようと子供たちは避難先で練習に明け暮れている。
空いている建物の一室を借りて。作家の鐸木能光氏がその様子を伝えてくれていた。素足にジャージ姿の小学生から高校生まで。

練習でその子たちが振り下ろすバチの音は鋭い。

一昨年、夏。陸前高田を含め、三陸地方では、伝統芸能の祭りを復活させようと大人も子供も動いていた。死者への鎮魂の意味も込めて。

原発を勉強する子供たちも増えている。事故ももちろんからめて。
高校生が被災地の在り様について提言をまとめている。
学ぶところが多い。

とにかく1,000日。刻まれる日にちは、毎日何を語ってくるのだろうかと。

来週、ある大学の同窓会で講演をすることになっている。全国から集まってくるらしい。講演のタイトルは「忘れないという支援」ということにした。
何を伝えるか、話すか。いろいろなことが頭を駆け巡っている。持ち時間は1時間。僕が考えていることはとてもじゃないが3時間、4時間喋っても語りきれないだろう。このタイトルに収斂させても。


「見、聞きし、わかり、決して忘れず」。宮沢賢治の詩の一節だけは伝えたい。普遍性を持った原則として。

2013年12月3日火曜日

「言」と「語」への限りない失望

新語・流行語大賞にテレビは浮かれている。ばかばかしいの一言に尽きるの感。

テレビが生み出した、作り出した言葉が、その年の流行語とされ、話題をさらうという事。違和感が大だ。

「じぇじぇじぇ」。岩手県久慈市小袖地区の方言。あまちゃんというドラマで使われ、いや、たまたま発掘され、テレビの視聴率と相まって全国に伝播する。
方言が全国に伝播する。結構なことだ。でも方言は「言葉遊び」の道具ではない。

「3・11」後、しばらく準備を重ねて「東北学」という話をくどいようにしてきた。まだするつもりだ。
その中で当然「方言」についても話をした。その「方言」の由来も出来るだけ調べ、「方言」が持つ意味を考え、かつて「方言」を放棄しようとさえした東北人の心理を考え、「方言」が、その復活が「復興」の一助となるかもしれないとも話した。

「方言」とは、まさに、その地方の言葉である。その土地の臭い、空気の中で生まれた言葉である。ある時は征服者によって持ち込まれた言葉でもあった。

「じぇじぇ」は長崎県の一部にも存在する言葉である。言葉の分布は、その民の成り立ちにも関係してくる。

全国区になる「じぇじぇじぇ」。それを好んで、はやり言葉として使う都の人たちは、そう流行に敏感な、そして、何よりも「同調意識」を持とうとする、大勢依存体質から抜け切れない人たちの、“遊び道具”とも思える。

3・11後、地域コミュニティーなる言葉が“流行り”、たしかにそれは機能した。そのコミュニティーを支えていたのは「方言」。
東京の人たちが流行り言葉として使う方言。その深層心理には、「変わった言葉を使う」という、どこか蔑視の心理があるようにも見える。

著名なジャーナリストさえ加わった選考員会。そんなことまでは考えてもいないだろう。

「うじゃうじゃする」という表現がある。もちろん方言。悪寒がするという意味。被災地支援で向かった医師は、その土地の方言を習得しようとした。それでないと患者の症状や訴えを理解できないから。コミュニケーションが取れないから。地方自治体の応援職員もそうだった。そうしないと「相談」に乗れないから。

「じぇじぇじぇ」を連発しながら、東京の人たちは、東北の何を思うのだろうか。

「倍返し」。もっとくだらない。視聴率を取れた、取れた理由は、サラリーマンの閉塞感とそれを打破しようとする潜在意識の代弁として人気があがったのだろうが。所詮はテレビドラマが生み出したもの。
「今でしょ」。CMが生み出したもの。

「お・も・て・な・し」。言葉の持つ意味をはき違えた軽薄な使い方。まして何で合掌がつくのだ。

こんな風潮にうつつをぬかしているから、テレビはお祭りのように取り上げるから、だんだん日本語は衰退していくのだ。

天野祐吉さんなら、どう書いただろうかとも思う。言葉に敏感だった彼なら。

朝日新聞に天声人語というコラムがある。風刺に富み、世相を切り取り、今を切るコラムだと思っていた。なにせ“教材”にまで浸透しているという。
今朝のこのコラムは何だ。書くべきこと、取り上げるべきことは「彗星」の話ではない。
紙面が問題にしている秘密保護法をめぐるさまざまな動きではないのか。とてもじゃないが「天の声」には聞こえない。彗星は天にあるものだといなされてしまえばそれまでだが。

あの朝日新聞だって目をそらせようとしているの感。全紙一丸では決してないということ。

そして石破の「言語力」。デモをテロと置き換えるその認識力。国会で、さすがに森雅子も菅官房長官もデモはテロではないと言った。ならば石破の言う民主主義とは何か。それを各人に問い、政府・与党の統一した解釈、定義、認識を示して欲しい。でも、野党はそういう発想にはならない。稚拙な質問に、テロとデモだけに終始している。

各人各様の民主主義。漠然とした民主主義。

もし「じぇじぇじぇ」が東北に目を向けた、それを理解するための新語・流行語だというなら、楽天の嶋が言った「見せましょう東北の底力を。見せましょう野球の底力を」。球場の観客が皆泣いたあの言葉こそ、今年の言葉だと思うのだが。

東北の津波で流された町。町中が流された地区。そこにあった方言は消えるという。人がいなくなるから。それに危機感を持った役場や地元の有志が、「方言事典」を作ろうとしている。消してはならないものとして。

一過性のテレビに流されて欲しくないな・・・。

2013年12月2日月曜日

「テロルの決算」

数日前から、書棚で光を放ているような本があった。吸い寄せられるように、その黄ばんだ本を手に取り読み返す。
3・11で「破壊」された書棚。廃棄処分にせざるを得なかった本の中で生き残っていた一冊。この日に読み返されることを望んでいたかのような。
沢木耕太郎が1953年に書いたノンフィクション。右翼の青年、山口二矢が社会党の浅沼稲次郎を日比谷公会堂で刺殺したテロ事件のこと。

その後も、右翼による野村秋介らによる“テロ事件”はあったが、浅沼事件ほど衝撃を与えた事件はなかったように思う。映像はその瞬間を捉えていたし・・・。

一昨年、ボクは書いた。大震災、津波、原発事故。それになんらの対応の出来ず右往左往している政府。原発があれほどの悲惨な事故であり、とてつもない被害を与えているというのに、再稼働を言う権力。それに対して、ある種の「テロ」を予感した。なぜテロが起きないのかとも論じた。ある種のテロへの“期待”も言った。そう、テロが起きてもおかしくなかった状況だったと感じたから。

そのテロとは思想を背景にしたものでは決してない。怒りの発露としての“テロ”。しかし、それはなかった。そして美徳だけが、美しい話だけが伝えられていた。

官邸を「再稼働反対」の鳴り物を携えたデモ隊は包囲していた時もあった。それには常に疑義を抱いて見ていたが。運動のための運動に見えたから。そしてそれはテロリズムとは無縁のものであったから。
その再稼働反対デモは、今、特定秘密保護法反対のデモに昇華している。
今週、国会はどういう展開になるのか。強行採決に行くのか、引くのか。

これほど多くの国民が反対を言う法案もなかろう。もっとも、中には、依然として無関心、知らないという人がいることも事実だが。

辞書を引く。テロルとは「暴力を手段にして敵対者を威嚇すること」とある。
テロとは「テロル、テロリズムの略」とある。
テロリズムとは「政治的目的を実現するために暗殺・暴力・破壊活動などの恐怖手段や、その脅威に訴えることを是とする主義」とある。

国会を取り巻き、各所で行われている、それは澎湃として湧き上がるかもしれない特定秘密法案への反対行動。それが「テロル」という辞書の言葉に該当しているか。していない。

特定秘密保護法案の第12条にはテロリズムに関しての定義が書かれている。

テロリズム(政治上そのたの主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安もしくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、または重要な施設その他のものを破壊するための活動を言う)。

つまり括弧の中はテロリズムというものの“説明”。政府としての見解。

秘密保護法反対デモがこれにすら該当するのか。しない。しかるに石破茂は言った。ブログに書いていた。「主義主張を実現したければ、民主主義に従って、一人でも理解者を増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為と、その本質にあまり変わらないように思えます」。

ブログの書き出しは、今も議員会館の外では・・・。議員会館にそれほど“騒音”が届いているのかい。二重サッシの窓ガラスを越えて。
自民党の幹事長室、国会の奥。しかも面しているのはデモとは一番遠い場所。

ブログへの批判が多かったせいか。二日後には講演で言いわけを始めた。
「もし表現に足らざるところがあるならお詫びしなければならない」。「テロと同じとみたと受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回させていただく」と記者会見で。

ふざけんなよ。石破には多少の好意をもっていたが、やめた。
博識の石破なら知っているだろう。

「綸言汗の如し」という言葉を。

撤回で事を済ませてはいけない。撤回を求め、それに応じると、許すという風潮がある。ばかばかしい。許せないものは許せない。

撤回するのは発言でなく法案そのものだ。

もう一つの辞書を引く。テロリズムの項にこういう一行も記されている。
「恐怖政治」と。

そうなのだ、この法案自体が国家の国民に対するテロ行為なのだ。

撤回こそが決算に値することかも。

2013年12月1日日曜日

それでも福島は「東京」に電気を送る

福島原発が作る電気が、延々と張り巡らされた送電線を通して、東京に供給されていたこと。東京の電気は福島で作られていたこと。

「3・11」後、そんな自明の事を初めて知ったという人たちが大勢いたということ。
大方の人がそれを知ったと思っていたが、なお、そんな“仕組み”さえまだ知らない人がいるということ。

今更原発立地の経緯や、その構図を言い募る気はないが・・・。

原発が無くてもとりあえず電気はまかなわれている。この冬場を迎えても、北海道では一部“電力不足”を危惧する声があるが、たの地域ではそれはもう聞かれなくなった。

しかし、まだ電気を必要とする人達がいる。

東京電力は、最新鋭の火力発電所を、福島県内に、原発の近くに二基建設すると発表している。

発電量100万キロワット。その電気も「東京」に送られる。完成は8年先のことではあるが。

原発事故があり、多くの避難者、悲惨な生活を送っている人が、いまだ「そのまま」であるにも関わらず、何がどうあろうと「福島は東京の電力供給基地」であるということ。

2Fの廃炉問題も解決していない中、それが火力であろうとも電力を供給するということ。

広野火発と勿来火力の敷地内に増設されるこの最新鋭火力発電所。建設費用は2千億円から3千億円。

表向きは東電には金が無いから、三菱重工業などで作る“特定目的会社”で設立するとか。しかし、実態は東電だ。


広野も勿来も、特に広野は避難指示解除準備区域のすぐ隣。環境アセスメント(影響評価)を地元自治体に早急に要望するとか。

東京への電力供給基地。あいかわらず「飴」も忘れない。

建設にあたり1日2千人の雇用が生まれるとする。

そして効率の良い発電所は電力を安く作れるという。

雇用を餌に、安いを売り物に・・・。

こうして、またもや「東京」は福島で生まれたものを収奪していく。そんな「思い」。

東京の繁栄のために、日本の繁栄のために、かつて若い労働力を奪った。
労働力の供給基地としての福島。
食料の供給基地としての福島。
電力の供給基地としての福島。

収奪の構図、社会システムは変わらない・・・。たぶん、永遠に福島はそうあり続けるのだろう。

原発の“ゴミ”、汚染された数々は福島に閉じ込めようとする。

雇用が生まれることを手放しで“歓迎”していていいのだろうか。
雇用が生まれ、人が集まり、町は賑わう。かもしれない。
それでいいのだろうか。

40年以上も前の原発建設の時の様相と似ているのではないか。

また「飴」に酔わされるような。

経済効果は1,500億円だと東電は言う。またもいわれる経済効果。
「経済効果」が何かを失っていかなければいいが・・・。

きょうから12月。街はクリスマス1色。電飾がまばゆい。灯りは人のこころを豊かにする。
しかし、いつもある“違和感”。LEDだというけれど、あれほど人工の灯りが夜の街を飾るということ。

それが虚飾に見えてしまうのは間違いだろうか・・・。

神が好むのは蝋燭のほのかな灯りではないのだろうかとも思いつつ。

灯りの街からは星空は見えない。星も決して姿を現さない。