2013年12月18日水曜日

富岡高校サッカー部のこと

全国高校サッカー選手権大会。福島県代表に決まったのは、郡山の尚志学園を破った富岡高校。県立高校だ。原発から10キロにある。もちろん避難区域だ。

富岡高校は、もちろん、今は富岡にはない。生徒の多くは福島市などに避難し、たぶん、4つのサテライト校に通っている。
サッカー部員は福島市の旅館で共同生活を送り、練習場所を求めて県内各地のグラウンドを転々としていた。

全国大会出場が決まる県大会決勝。その試合を見ながら富岡を応援していた。

富岡高校とは縁もゆかりもない。

東日本大震災の前まで通っていたスポーツクラブ。そこのインストラクターに鈴木綾乃という若い女性がいた。彼女は富岡高校の女子サッカー部員だったという。実家は浪江。
震災前に彼女はクラブを辞めていた。実家の浪江に帰ると言っていた。
原発事故後、手を尽くして彼女の消息を聞いた。川崎にいた。女子サッカー部員と、後輩達と連絡は取り合っていたらしい。京都に避難した部員のこととか、メールで数回“会話”した。

富岡高校サッカー部。卒業すると、優秀な選手は、JビレッジにあるJFLアカデミーに入り、プロへの道を目指す子が多い。
いわずもがな、Jビレッジをホームにするマリーゼは東電の女子サッカー部。社員として勤務してもいた。

女子の日本代表、今、神戸に所属している田中陽子も富岡高校出身。

全国大会出場が決まってからの問題。それは国立競技場への遠征費用。応援団も含め、1千万以上はかかる。
企業も散りじりになった中、寄付は集まらない。一時は出場を断念しようかという空気もあったという。

学校やOBは寄付を募った。その学校のホームページは、ネットで拡散され、シェアされ、日本全国から寄付が集まった。
県外の人も多かった。海外からも。個人で。そして“応援”のメッセージも数多く寄せられた。

東電の福島にいる社員からも100万円を超える募金が寄せられた。

2千万円をはるかに超える額。彼らは、そう、おそらく“サッカー留学生”では無い、地元の子供たちは、心配なく国立に行け、思いっきりプレーが出来るだろう。

富岡高校サッカー部のことに関しては、福島は忘れられていなかった。

「全国からの支えで出場がかなう。今度は自分たちが期待に応える番です」と選手は言う。「試合で恩返しをする」と言う。

一昨年、あれは石巻だったか。津波で根こそぎさらわれた町。ようやく車だけが通れるようになった道路の端に手書きの”看板“が置かれていた。
「ご支援感謝します。きっといつの日か、必ず恩返しをします。ありがとうございました。気をつけておかえりください」。

今年、茨城県で竜巻の大被害があった。三陸の被災者たちは、一番にそこに駆け付けた。泥を掻き出し、倒木を片付け。
恩返しをする時が来た。被災者は笑顔で作業にあたっていた。

台風被害にあった伊豆大島。福島の米250キロが届けられた。浪江の人から。炊き出し用の米。困った時はお互い様と。

フィリピンの台風災害。仮設にいる飯舘の人たちが募金を始めた。
「おすそ分けをしようじゃないかと」。

お互いさま、おすそわけ、恩返し。

日本人は、皆、そうやって生きてきた。

東北の一部には「マレビトという言葉と風習がある。希人と書くのか。外から来た人にありったけの接遇をする。身に着いた風習。
「おもてなし」なんて言葉を“強制”されるまでもなく。

富岡高校サッカー部の選手たち。恩返しと言う。試合に勝つことだけが恩返しではない。支援を受けたという事への恩返し。それは、そのことを決して忘れないということ。そして立派な社会人に育つこと。
奪われた土地、奪われた学校、奪われた日常生活。そこからどうやって這い上がっていくかを身を持って示すこと。

ロンドン五輪。多くの寄せ書きがある日の丸を掲げ、場内を走り回っていたなでしこジャパン。あの時の感動を忘れてはいない。

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