後悔先に立たずという。すんでしまったことを、あとから、ああしなければ、ああしておけばよかったなんて悔やむことを言う。
それと同義語か。「後の祭り」。手遅れになること、特に、取り返しがつかなくなること。
同義語じゃないな。類似語かな。
後の祭り。祭りの後とはちと違う。祭りの後の神輿や山車は、用済みになるということから来ている筈。
さまざまな問題を抱えている福島県。その一つが廃棄物の中間貯蔵施設。これがクリアされないと、県内のあちこちにある「フレコンバック(除染廃棄物収納容器)がある光景」は変わらない。
双葉郡の三つの町が中間貯蔵施設の候補地。環境省は、その三つの町を「調査」して、いずれも“適格地”とした。そして具体的な場所を決めるための調査に入る。2年後の搬入を目標に。
三つの町の町長はさぞ苦しいだろう。でも受け入れた。でも、言う。
「調査を受け入れたのであって、建設は別問題」だと。
非情なようだが、この論法は通らない。おそらくこの問題に関しては。原発再稼働にあたって、原子力規制委の調査は受け入れるが建設や再稼働は別という論理とは同一ではない。
調査を受け入れたということは建設を容認したということと同じこと。でも、この論法を掲げる以外に方途はない。住民理解、同意という、相変わらずの「えせ民主主義」を建前にしているが。
そして、中間貯蔵施設を作るということは、永久保管場所になるということ。
30年後には国の責任において・・・。別の場所に・・・。その場しのぎはあり得ないということ。そして、それは、おそらく、首長も住民も理解しているはずだということ。
だから帰還を言っても、それが徐々に後退しいていく。
中間貯蔵施設が永久貯蔵施設になるということ。それを今、あらためて認識しておかないと、とんだ「後の祭り」になってしまう。「後悔先に立たず」になってしまう。
でも、現実には中間貯蔵施設は必要。それは、とりあえず今、人が住んでいないところに持っていくしかない。それを引き受けるなんて“奇特”な他自治体があるわけはないのだから。
県内だって然りだ。
これらの現実。そう厳然としてある現実。それとの葛藤。それが福島の現実。
国有地化計画だって、すでに一昨年打ち出すべきだったもの。今まで店晒しにしておいて、何を今更なのだ。
原発への向き合い方。今が“勝負”の時かもしれない。後の祭りとされないためにも。
後から騙されたと言ってもどうにもならない。そうでしょ。すでに原発が作られる時から、あらゆることは目先の欲を餌にした、すべて「騙しの構図」だったのだから。
双葉郡八町村が抱える、帰還問題も含めた、福島の、「フクシマ」の重い現実。
その重い現実を、県外は福島県の中に押しこめる。それが当然のことと言わんばかりに。
福島県内では、それを双葉八町村の問題として、そこに押し付ける。押し込める。
淡い、はかない“希望”や、ささやかな望みさえ捨てて、この置かれた現実に立脚して考えないと、それこそ、すべてが「後の祭り」となってしまうのでは。
江田がみんなの党を離党して新党。野党再編だと。それだって後の祭りだ。
秘密保護法をめぐる反対運動。それも、言ってみれば、手遅れという言葉を据えて考えれば後の祭りだったのだ。選挙という“祭り”に遡った。
“チェルノブイリ”異聞
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