2013年12月22日日曜日

福島県 県民の歌

昨夜、もう20年も続いているだろうか。親しい仲間たちの月に一回の会があった。日本酒を飲んで、時には他愛も無い話、時には誰かの話をきっかけに議論を通わせたり・・・の集まり。


先日、「福島を返せ」と題して書いた時、福島県民の歌を書いた。昨夜の会のメンバー、笹の川酒造の専務、山口恭司という男がそれを読んでいたらしい。

出席者分の譜面をコピーして持ってきた。
「あれ読んで、県民の歌を思い出しました。あれってけっこういい歌なんだと思い返しました。“返せ”はどうでもいいけれど、皆んで歌おうと思って」と。

彼は学生時代吹奏楽部にいた。楽譜を持っている。もちろん歌詞付き。

宴もたけなわ(よくあるセリフだな)、彼がそのコピーを配り、イントロを口ずさんで参加者全員の合唱となった次第。もっとも9人の集まりだったけど。

この県民の歌を知っている人は意外に少ない。歴史も浅いせいもあるだろう。昭和42年に公募で採用されたものだから。


♪しゃくなげ匂う山並に 呼びかけよう 若い理想はざして
あしたの夢がはてなく伸びる 明るいふるさと福島を作ろう
みどり光る この空いつまでも ああ福島県♪

時にどうっていう歌詞じゃないし、メロディーも特筆されるようなものではない。でも、県民の歌を持っているということ。
それを知っているひとも知らない人も仲間が一緒に歌うということ。

郡山市民の歌というのもある。地元の小学校では覚えると思うけど。これもなぜか多くの市民は知らない。
毎日、防災無線で正午にはメロディーが流されているのだが。

♪明けゆく安積野希望の汽笛、あの町、この町、みなぎる力 ああ奮い立つ・・・♪


県民の歌の“合唱”を聞きながら、もちろん歌いながらだけど、脳裏をよぎっていたのが小学校の校歌。渋谷区立幡代小学校。
♪桜咲き満ちうららかにこころもなごむ春風よ 街道広く人通い・・・♪
そう、小学校は甲州街道に面していた。

渋谷区立代々木中学校校歌。

♪ああ秀麗の富士近き 代々木の丘の学び舎に 楽しき三年(みとせ)すごしつつ・・・♪

小中学校の頃の記憶は、とっておくべき記憶はあまり無い。だけどなぜか校歌だけはよく覚えている。今でも歌える。歌う機会は皆無に等しいが。

中央大学。卒業生の集まりは白門会という。郡山にも支部がある。一年に一回は集まりがある。必ず行く。なぜか。知らない同士の卒業生。
でも、校歌・応援歌を一緒に声高らかに歌えるから。

一昨年、4月の塾は休講にした。しかし、集まりだけは持った。災後の余韻、重苦しい空気がまだまだ実感できた時。

皆で歌を歌った。被災地の自衛隊員を泣かせ、避難所にいる人たちの共感を得た、長淵剛の歌を歌い、坂本九の歌を歌った。

仲間同士で同じ歌を歌うということ。なんかいいんだよな。

カラオケは好まない。まして人の歌を聞いているのは苦痛ですらある。

でも歌は大好きだ。

長野県選出の羽田孜という代議士がいた。よく彼の後援会のような集まりに呼ばれた。居るのはほとんどが長野の人。会の終わりには全員が必ず合唱していた。長野県の県歌を。
♪信濃の国は十州に境連なる国にして・・・♪

しらずしらずにその歌を覚えてしまっていた。そしていつも思った。
「自分たちの歌を持っている。歌える歌を持っている。羨ましいな」と。

昨夜の会が今後毎回県民の歌を歌うのかどうかはわからない。とりたてて“福島県”に愛着がある身でも無い。
でも、皆で歌える歌があるっていいことなんじゃないかなと。

唇に歌を持て、こころに太陽を持て。そんな誰かの詩に親しみながら来た世代だからだろうか。

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