2013年12月8日日曜日

民主主義ってなんだろう、それは実在するものなのか。

今日は、12月8日。72年前、ボクが生まれた年。生まれて10カ月後、いわゆる太平洋戦争が始まった。帝国陸海軍は米英と戦闘状態に入れり。大本営発表のラジオの声・・・。

このブログが“拝借”している「日乗」。永井荷風の「断腸亭日乗」からとったもの。その断腸亭の亭主さんも書いていた。開戦後の3日後。
浅草の歓楽街はいつもと変わりなく、芸人や踊り子の振る舞いもまた同じ<無事平安なりき>と。

郡山の歓楽街は、3年前とさして変わりなく、酔人の振る舞い、また同じなり。忘年会とやらで賑わい、喜色ありて明るい。無事平安なる日常を謳歌せしむ。

そんな数行を書いてみるか・・・・。

あらためて辞書をひもとく。
民主主義―人民が国家の主権を所有し、自らのためにその権力を行使する政治形態。現代では、政治上だけではなく、広く人間の自由や平等を尊重する立場を言う。

主権在民―国の主権が国民にあること。国民主権。日本国憲法ではこれを前文で宣言する。

議会制民主主義―主権を持った国民から構成される議会を中心に行われる民主政治。

民主政治―民主主義に基づく政治。民主的諸制度を備えた政府によって行われる政治。


なんだかわからん。堂々巡りだ。

だから、いわれる「民主主義」って何だって思う。少なくとも、議会の在り方、政府の有り様は“辞書”に書かれていることを否定sるかのような。

自民党、自由民主党。リベラル・デモクラティック・パーティー。
そこにリベラルもデモクラティスの概念は存在しないかのような。

なんでも民主を言えばいいのか。民主党。さっぱりわからん。社民党、そこにも民の字があり、社会民主党の略なのか。

わからん、わからん。

で、よくよく考えていくと、多数決の原理は民主主義、民主政治だという。そうだろうか。多数決の原理の根本には、討議、討論、熟議、対話、説明・・・。
それらがあった上での民主主義。

いかにも民主政治であるかの如く、福島では、原発事故をめぐって、いや、宮城、岩手の被災地でもそうだが、必ず言われる「住民合意」「住民理解」「住民同意」。

住民合意とは、国から合意しろと強制されているような気がする。完全な合意などあり得ない。

手法として民主主義的な方法をとっているかのようなふりをして、強権発動。

大体、国会議員の誰が、丁寧な、民主主義的手法による「説明」をしたか。
ほとんどの人が答えるだろう。「説明されてない」と。

納得してもらう努力をしないで納得を迫るということ。辞書には無い民主主義。

もしかしたら、日本と言う国は、民主主義国家ではないのかもしれない。ある種の独裁国家なのかもしれない。

そして、民主主義という名の矛盾。主権在民で、選挙では議員を変えられる。
その気にさえなれば。特定秘密を指定する議員の一人である大臣。おかしな指定があれば、替えて変えられないことはない。でも、それらは官僚が大臣に“上伸”するだけのこと。
大臣を国会議員を変えても官僚は替えられない。

それでも「民主主義」?

官僚本意主義でしょ。官僚支配政治でしょ。

「歌手一年、総理二年の使い捨て」。竹下登はうまいことをいったもんだ。官僚は使い捨てにはされないし。国民はその首を切ることはできない。

明治維新とはそういうものだったのかもしれない。ならばいっそ、帝国議会にもどしてはどうだ。少なくともある程度の良識と品位を持っていた貴族院にしたらどうだ。参院を。

そんなバカな冗談すら言いたくなる・・・。

小春日和に誘われるように、野良猫がやって来た。ニュンと鳴いた。
「おい、どうした」。
毛づくろいをしながら猫が言ったような気がする。
「とかくこの世は住みにくい」と。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...