もう20年以上も前か。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」というベストセラー本があった。
こんな一節が書かれている。
人間、どう生きるか、どのように振る舞い、どんな気持ちで日々を送ればいいのか。本当に知っていなくてはならないことを、私は全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。私はそこで何を学んだのだろうか。
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何でもみんなで分け合うこと。ずるをしないこと。人をぶたないこと。
使ったものはかならずもとのところに戻すこと。ちらかしたら自分で後片付けをすること。
人のものに手を出さないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、ということ。食事の前には手を洗うこと。トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
焼きたてのクッキーとミルクはからだにいい。
つり合いのとれた生活をすることー毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして働くこと。毎日必ず昼寝をすること。
表に出る時は車に気を付け、手をつないで、はならばなれにならないようにすること。
不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。
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この本のことは、一昨年、幼稚園や小学校の砂場が“閉鎖”された時に書いていたかもしれない。
福島県の子供たちに肥満傾向があるという。外遊びが制限されているからと関係者は指摘する。
逆に、我が家の近所の子供は、運動不足のせいなのか、痩せて来ている様子。
筋肉の成長がその年齢の割には遅れているように思える。
家でゲームに熱中。親は心配してプールなどに通わせているが。
郡山には医者と企業と行政がかかわって出来た「ペップキッズ郡山」という屋内の大遊戯施設が作られている。
そこには、たぶん日本で一番広いだろうと思われる屋内の砂場が用意されていた。
砂場は子供たちにとって、大事な大事な、そして大好きな遊び場なのだろう。
そこには専門のコーチ、トレーナーも配属されており、砂場遊びの“極意”を指導しているという。
時たま、テレビのインタビューに答える県内の子供、幼稚園児。一様に言う。
「お砂場でお友達と思いっきり遊びたい」と。
あらためて思う。この本を読んでいたからと言うだけではないが。
砂場という場所は子供たちにとって、その子の一生を左右するかもしれない重要な場所なのだと。
ボクの記憶の中には砂場遊びがほとんどない。終戦後、一年間だけ幼稚園に通った。でも、そこに砂場があったかどうかの記憶が無い。
小学校には小さい砂場があったが、そこで遊んだ記憶もほとんど無い。校庭を駆け回っていた、日暮れまで、帰りなさいと怒られるまで遊んでいた遊戯は覚えているが。その追いかけっこに様な遊び。戦争の名残のあるような遊びだった。
海の砂浜に寝そべったり、山を作ってみたりしたのはもうかなりの年齢になってから。
寝ている友達に前身砂をかけるといった他愛も無い“遊び”。たしかにそれも面白かった。
ゴルフ場の砂場、バンカー。とても嫌いな場所だった。とにかく下手くそだった。ひたすらバンカーに入れることを避けるように打っていたっけ。
鳥取県の砂丘。大きな砂場。そこは昼間は子供たちの歓声が響き、大人も楽しげに砂の感触を味わい、夜は夜で、人生に疲れたり、悩みを持つ若者が訪れ、考えごとをしている。
幼稚園の砂場で人生に必要な知恵を学んでこなかったボクは、この年になっても、いまだ「知恵の無い」日々を送っているような。
なんでもみんな分け合わない大人。ずるばかりする大人。
原発事故を起こしても、後片付けを出来ない社会。
多くの人を傷つけながら、ごめんなさいを言えない大人。
少し考えることも避けるようになった大人。
それが、今のこの国の“砂場”。
きょうもペップキッズ郡山の砂場で遊んでいる子供たちがいるはず。空が見えないのは多少窮屈だろうけれど、その子たちはきっといろんなことを学んでいるはずだと。
東北は岩手県が生んだ歌人、石川啄木。最初の歌集「一渥に砂」。読み返してみる本なのだなぁとも。
2013年12月19日木曜日
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