2013年12月11日水曜日

“逆ピラミッド”の発想

社員教育セミナーの講師を頼まれた時、こんな話をよくしていた。
「逆ピラミッドの発想」。

ピラミッドの三角を思ってください。ピラミッドの頂点には社長がいます。
その下には数人の役員がいます。その下には管理職が何十人といます。だんだん末広がりになるピラミッド。一番下の“底辺”の部分には社員がいます。
そして、ピラミッドの下に一番大事なはずの「お客様」がブラさがっています。

この構図である限り、社長の考えはなかなかお客さんには行き届きません。そして位置づけがなによりも一番下。お客さんに不満があっても、それを社長にまで上げるのは大変です。重い大きなピラミッドの上までは。

だから、その三角を逆にしてみましょう。一番上にいるのは大勢のお客様。その下に社員、管理職、重役と続き、一番下にいるのが社長。
一番上の客の意向が社員に上から伝えられ、最後の社長に届く。社長に届いた時には社員や役員全員がお客の意向を知っている。そして、何よりもお客が一番上。顧客サービスナンバーワンていうのはこういう構図と考えてはいかがですか。

これから話はいろいろ展開して行ったのだが、それはともかく。

昨今の世相を見ていて、世の中の動きを、政治の様を見ていて、ふとこの逆ピラミッドを思い出した次第。

昨日の塾で、安積開拓にからんで、その延長線上の事として明治維新の話をした。
明治政府とはつまり、このピラミッド型社会をいかに構築するかにあり、それを構築し、ピラミッドにみられるような中央集権国家を作り出したということ。
それは、平成の今になってもそうだということ。

偽りのような地方分権。お上がどうにかしてくれるという“楽観主義”。それに唯々諾々と従っていれば“安泰”という「思考停止」。

頂点には総理大臣が君臨し、その下に閣僚がいて、議員がいて、役人がいて、底辺で国民がうごめいている。

マスコミはこのピラミッドの枠外に置いておこう。そうだ、スフィンクスにでもしておこう。

底辺の国民は、その重圧に苦しんでいる。閉塞感にさいなまれている。
だから時々、ピラミッドを離れて、声を上げてみる。しかし、声は砂漠の砂にかき消される。
少々の民がその構造、構図の中から離れても、強固に作られたピラミッドは微動だにしない。蟻の一穴にもならない。

壁を穿つものは・・・。

だからこの三角形を真逆にしようということ。
民の声が一番上にあるのだ。それらが各所で収斂されて、一番下部にいる総理大臣様のところに落ちていく。民草の重い声を必死に受け止め、それをどうするか考え、重さに耐えながら、上へと返していく・・・。

民主主義って、この逆ピラミッドの構図にあると思うのだけどな。だけど多くの国民はピラミッドの下にいることに安住し、上からの声を黙った聞き、それを異なるものとしてとらえていないような気もして。

こんなばかげたような話、まさに福島にも当てはめたい。国、県、自治体。そのピラミッドのような構図の再下部にいる住民。

それを唯々諾々とうけいれるしかない住民。逆にしたらいかがかな。
住民の声が、常に下に降りていくという。

そしてスフインクスであるマスコミは、ピラミッドのどこを見て報じていくのか。
目が行くのは常に、往々にして上。だから逆にすれば常に民草に目が行くのかとも。

そしてスフインクスは、時たま通りかける旅人に投げかければいい。スフインクスの謎を。

こんな“奇想天外”のようなことをたまに夢想してみるのも悪くは無いかと。

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