僕らの世代は二つの天皇誕生日を持っている。
今は“みどりの日”から“昭和の日”と名付けられた昭和天皇の誕生日。
4月29日。
そしてきょう12月23日は今の天皇誕生日。
田中角栄がこんな事を言っていた。「我々は天皇陛下がおられて助かった。もし、昭和天皇がおられなければ、敗戦後、クーデターも含め、同じ国民同士が血で血を流すようなことが起きていたかもしれない。天皇の存在はそれを防いだ」という趣旨のことを。
「3・11」。あの大惨禍の後、日本人の、東北の人たちがとった行動。およそ外国からは信じらないとして称賛を浴びた日本人の行動。略奪も暴動も起きず、助け合い、秩序を重んじた。
そこには、伝えられた天皇陛下のメッセージがあり、天皇、皇后両陛下の被災地への思いがあったからだと。
美智子皇后は、3月12日にしてすでに被災地、被災者を気遣う電話を関係者にかけられていた。
東京が停電騒ぎになった時、御所の中で両陛下は、暖房を使わずに暮らされていた。
そして被災地に向かわれ、海に向かって頭を下げ、鎮魂のまことをささげられていた。避難所には何回通われたことだろう。その姿、在り様は、明らかに駆け足視察の政治家とは違っていた。時には素足で、膝まずき、被災者と同じ目線で言葉を交わされていた。
「天皇陛下がいて助かった」。そんな思いをボクも抱いた。
国民の象徴としてのあるべき姿をそこに見ていたから。
天皇陛下はきょうで80歳。いわゆる傘寿。高齢であることは誰もが認める。
でも、長寿を祈る。今のこの国には天皇・皇后両陛下は不可欠の存在だからだ。
両陛下の、思考の基軸は、やはり戦争にある。と思われる。
きのうの会見でも戦後復興に触れていた。
「平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って今日の日本を築いた」と振り返られる。
そして、東日本大震災についても、それは現在の日本の状況として、「人と人との絆を大切にして、復興に向かって尽力する人々が育っている」とも言及された。
平易な言葉だが含蓄ある言葉だと思う。
今年10月、79歳の誕生日を迎えられて皇后陛下は、貴重な発言をしている。
自由民権運動家たちが、明治政府に対して求めた憲法の制定、その内容。
基本的人権尊重や教育の自由などに触れた「五日市憲法草案」について、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けたと述べられていた。去年、その地を視察されての感想だが。
おりしも改憲論議が連日マスコミを賑わしていた時期。美智子皇后のこの発言も、今日の(正確にはきのう)の天皇陛下の発言、憲法に言及されていること、それは「改憲」の動きを憂慮されての事ではないかなと思量する。
「天皇という立場は孤独だ」とも述べられた。孤独の意味する具体的なことは定かではない。後段で述べられている「私は天皇としての活動を律しています」というお言葉を重ね合わせると、自らが思いをなかなか口に出来ないということからくる“孤独感”なのかもしれないとも思う。
日本という国は面白い国だ。明治維新まで「国」はあった。しかし「国家」はなかった。「国歌」もなかった。
明治政府が宮内庁楽部に依頼し、芸大の人達も参加して作られて「国歌、君が代」。その君とは天皇を指してのものではない。出典は読み人不詳の古今集から。
いわば“恋歌”。君とはあなただ。人を恋ふる歌だ。曲も作者不詳のイギリスかスコットランドだったか、外国の民謡のアレンジ。
しかし、いつの時代からか、君が代は天皇の「代名詞」のようにされてしまった。それが「天皇家」へのあらぬ“誤解”も招いていた。
きのう福島県民の歌ということを書いた。「高らかに歌え君が代」。
他国の国歌は多くが「戦闘的」だ。メロディーも勇ましい。君が代は荘厳だ。
反戦歌も労働歌も歌ってきた。君が代も歌う。それはボクの中では矛盾は無い。
そして・・・。今の天皇・皇后両陛下と、もうしばらくは“一緒”に居たい。
2013年12月23日月曜日
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