2013年12月17日火曜日

福島を返せ、福島に返せ。

福島県。原発事故が無ければ、ほとんど“無名”に近い県だった。日本の白地図を出しても、その場所を的確に指す人は少なく、面積が日本で三番目に広い県であるとうことすら知られていないような県だった。

福島県人が描く郷土。というよりも、福島県人ですら、よくその歴史を知らない県。郡山の安積開拓と言っても、その簡単な歴史すら知らない人の多い県。

NHKの大河ドラマが白虎隊をやり、八重の桜をやる。会津がすなわち福島県だと認識している他県の人。

福島県とは明治政府によって、三つの県が“強制的”に合併させられて出来た県。気候、風土、慣習も異なったものを併せ持つ県。

日本の地図上からは抹消されないだろうが、福島県は壊れ始めているという感がある。意識の中から消されてしまいそうな感すらある。

4月28日、主権回復の日という行事が東京であった。天皇皇后両陛下が臨席。式辞すらなく、最後に起こった「天皇陛下万歳~」の大音声。その中を退場される両陛下の表情は曇っていた・・・。“無理矢理の臨席”という“真相”が宮内庁の中からも言外に聞こえてくるくらいに。

それと相前後するかのように、美智子皇后は「五日市憲法」に言及されていた。五日市憲法とは、憲法制定を求める自由民権運動家が、五日市の運動家が起草した主権在民、議会開設を求めた運動。簡単な紹介だが。
その自由民権運動の東北の発祥地であり、起点は福島県だった。運動を危険思想とみなし、弾圧を受けた喜多方事件。

その主権回復の日、沖縄は「屈辱の日」としている。その日、沖縄では県民集会が大規模に開催され、三線に合わせて皆が歌った。

「沖縄を返せ」という歌を。

最後のフレーズ。「沖縄を返せ」の繰り返しの最後、そこを参加者は、「沖縄に返せ」と歌った。

広島。峠三吉の詩。
「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ人間を返せ」。

広島、長崎、沖縄、そして、福島。その間にあった水俣。

それらは同じ「楽譜」に書かれているような気がする。演奏者と指揮者が違うだけで。

しかし、「3・11」は福島にとって“屈辱”の日だろうか。屈辱の思いに捉われている人達もいる。だが、多くの人たちが「忘れていた」、いや「考えてもみなかった」、“原子力発電”の恐怖を愚かさを、県民の犠牲によって目覚めさせることが出来た「覚醒の日」と呼びたい。

「復興」という言葉の意味はあえて問わない。語らない。漠然とした概念の中での「復興」。それを求める福島県人。

福島県歌というのがある。これも県民の多くは知らない。

♪しゃくなげ匂う山並に、呼びかけよう、若い理想をかざして。明日の夢が果て無く伸びる、明るいふるさと福島を作ろう。緑光この空いつまでも、ああ福島県♪

一番の歌詞だ。少なくとも廃炉が成功するまで、県歌の歌詞の一部を替えよう。
福島を作ろうではなく、福島を返せと。「ああ」、を「さあ」に。

二番の歌詞は、“豊かなふるさと福島をつくろう”だ。まさに「福島に返せ」だという思いが横溢してくるのだが。「福島」を忘れさせないためにも。

「3・11」。その日に、一人勝手にこの替え歌を歌ってみることにするかな。

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