2013年12月27日金曜日

どうにも止まらない、安倍の乗った車は。

どうにも止まらない。そうはやり歌の題名。そんな歌にもなぞらえたくなる。
“暴走”する安倍。秘密保護法の強行採決といい、きのうの靖国への強行参拝。
与党の公明党も反対だといい、側近の何人かが自重を求めたにもかかわらず行ったということでの強行。アメリカからも反対の意向が伝えられているにも関わらずに参拝したということ。

きのう数行書いただけだが、もう、この男のことを書くのはほとほと疲れたけれど。

英霊に尊崇の念を。決まりきったように発せられる言葉。全くの個人感情。それを押し通すことで、それを「国益」とまで言い切る厚顔さ。
まさに「神聖喜劇(大西巨人の大作)」だ。

靖国問題をとやかく言いたくはない。靖国のことは知っているから。
政教分離という人がいる。たしかに今は宗教法人であるが、そこに祀られている「神」はいない。”英霊“、それは神ではないし、幾多の戦争で命を落とした人は、その魂は、個々人の墓に眠っているはず。

軍神といわれる人たちが祀られているからだという。その軍神とは誰か。戦争指導者ではなかったのか。

A級戦犯が合祀されているから。極東軍事裁判の正当性を論じる気はない。しかし、きのうも書いた。昭和天皇は、その天皇陛下万歳を言って死んで行った兵士たち、そこに、天皇陛下が参拝しない。それは、靖国の意味を承知されているからだ。今上天皇に於いても然り。

昭和天皇を”戦犯“から守ったのは吉田茂だ。臣 吉田だ。その盟友白洲次郎だ。吉田は参拝している。昭和天皇が参拝しなくなったのはそれ以降。

靖国で会おう。それを合言葉に多くの兵士は散った。その合言葉も、英霊も、軍神も、太平洋戦争に限って言えば、軍部が洗脳、教育、天皇の名を借りて作りあげた虚構。

東京招魂社以来、靖国神社に至るまで、そして今も、幕末、明治維新で亡くなった「官軍」の兵士は、そう安倍の出身地である長州の兵士は、祀られる対象になっている。賊軍とされた会津藩士、二本松藩士、いや、奥羽越列藩同盟に加わっていた兵士はそこにはいない。西郷隆盛までも。

靖国論を長々述べるつもりは無い。靖国の“重要性”は認識している。そう、そこには何回も通ったし。血こそつながってはいないが、特攻で亡くなった親族も多々いるし。その親族たちは靖国にはいない。鹿屋にいる。

安倍は言った。「韓国や中国の人たちを傷つけるつもりは無い」と。いじめをした子がいじめのつもりではなかったといった類のロジック。
「誤解がある」という。あなたにとっては「誤解」であろうと、他の当事者からすれば誤解ではない。
「いやあ、それは君の誤解だよ。ボクの言いたかったことはね・・・」。そんな日常交わされる“言い訳”にも似ている。

「国益」だという。あなたにとっては国益かもしれないが、そう「誤解」しているようだが、単なる「私益」だ。

アメリカ大使館が即座に「失望」という声明を出す異例の対応。それは大使館だけでなく、アメリカ政府の見解にもなった。
中韓はもとより、他国もこのことについて大きな関心を寄せ、異論を述べ、遺憾の意を表している。

国際的に孤立する道を選んだ。国益なのか、それが。自分の“信条”を通すために孤立化もいとわない。70数年前と酷似している。
負けるとわかっている戦争に突入していったあの時と。

今、日本という国はアメリカ国債を5兆円も買っている。債権国の言う事なら聞くのだろう、許されるのだろうという驕りがあるのかも。
中国はもっと多額のアメリカ国債を買っている。“同盟国アメリカ”がこれから本気になってどういう方向に持っていくのか。

参拝後。外務省は抗議に訪れた中国大使に在留邦人の安全を求めた。在中国大使館には在留邦人の外出など、身の安全を確保するよう指示した。

もしかしたら、中国にある日本企業が暴徒に襲われる可能性だってある。在留邦人が身の危険にさらされる可能性もある。
それを予見しながらも、己の“信条”を優先させ、自己満足に浸っているというこの国のリーダー。

その暴走はもう誰も止められないだろう。暴走を煽っているのは、政治家だけではない。在野の“有識者”にもそれは多い。
安倍一人の問題ではない。この国がそういう方向を望んでいるかの様な気さえする。

マイケルサンデル教授の「これからの正義の話をしよう」というハーバード大学の白熱教室の議論が思い起こされる。暴走する機関車。誰もとめられない。
転てつ器がある。それを右に切るか、左にきるか。こっちには轢かれる人が5人、あっちには1人。正義という倫理感に立った時、その転てつ器の操作をどうするかと言った命題の話。

サンデル教授は考えることを教えたが、正解は出さなかった・・・。

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