2014年4月30日水曜日

「鼻血」のこと、「美味しんぼ」という漫画のこと

ここ二十年以上、漫画はほとんど接していない。麻生太郎のような好事家ではないし。

のらくろ、冒険ダン吉、ターザン、海底二万哩、そしてサザエさん。子供の頃よく読んだ漫画だった。

裸足のゲンも読んだ。

ゴルゴ13に熱中し、釣りバカ日誌にのめり込み、子連れ狼にはまり・・・。そうそう、あしたのジョーもよかった。
子連れ狼は勉強になった。


美味しんぼという漫画雑誌の連載があるという。そこで原発事故に由来する鼻血のことが話題になっているとか。

作者の雁屋哲という人は“由緒正しき”経歴の持ち主。

漫画では原発現場に取材に行ったジャーナリストが鼻血が出るようになったとか全身倦怠に襲われたとある。

そして当時の町長も「私も鼻血が出ます。今度立候補を取りやめたのは疲労感が耐え難いまでになったからです」と言っている。


新聞記事によれば、筆者は、2011年11月〜13年5月に福島第1原発の敷地内などを取材したことを明かし、「帰って夕食を食べている時に、突然鼻血が出て止まらなくなった」「同行したスタッフも鼻血と倦怠(けんたい)感に悩まされていた」などと語っていた。

ということだ。

当の井戸川町長も新聞社の取材に「雁屋さんから取材されて答えたことがそのまま描かれている。(描写や吹き出しの文章は)本当のことで、それ以上のコメントはない」と話した。


たしかに被ばくしてそうなったとは漫画には描かれていない。巧妙な手口だ。

「風評被害を助長する」という多くの抗議に対して、ビッグコミックスピリッツという雑誌を出している小学館は、「そんな意図は毛頭ない」と言い訳たらたらのコメント。

福島県への風評被害についても「作中で食品検査はきちんと行われており、安心安全は食品を無理解で買わないのは消費者にとっても損失ですと述べている」とも。

風評被害だけではない。これは侮辱であり、デマの流布だ。

そんな漫画を掲載すること自体が。作者と編集者、出版社の幹部とどういう意図のすり合わせがあったのかわからないが。

“双葉から離れて”というドキュメンタリー映画がある。双葉町民が避難してきた埼玉県の騎西高校校舎を舞台にした。そこには井戸川町長も何度も“出演”している。そこで「鼻血」の血の字も語られていない。


原発事故後、あれだけ話題になった、問題視された子供の鼻血の症状のこと。甲状腺被ばくの顕著な症例とまで言われたこと。

それは全く話には出てこない。


双葉の人も、富岡の人も、浪江の人も、大熊の人も知っている。知人がいる。「3・11」について話をする。接した限りの人で鼻血を出した人のことは聞いていない。

まして、食品を生産する30キロ圏外、郡山ででも、周りに鼻血を出した子供のこと、大人のこと、それが止まらなくなったという人はいない。

最近、鼻血が出た。鼻毛を切ろうとしたはさみで傷つけたから。鼻炎で鼻をかみすぎて粘膜が切れたから。

60年も前、子供は常に鼻血を出していた。年中鼻血だった。鼻の穴にちり紙を丸めて入れておいてしばらくすると止まった。
鼻血が出ると首を後ろにそらせて首筋をトントンとたたかれた。それで終わり。

高校時代、ラグビーでぶつかって鼻血があふれるように出た。やはり首筋トントン。

チョコレートを食べすぎると鼻血が出るといわれた。十代後半の鼻血は「青春のシンボル」だった。

今、タケノコの季節。精が強いから食べすぎると鼻血が出ると教わってきた。子供の頃。美味しいものを食べすぎるから鼻血が出るんだぞと漫画誌に言いたい。

「いちえふ」という漫画もある。モーニングという漫画誌に載っている。原発作業員を経験した人の描いた漫画。事実を淡々と描いている。作業員の日常を。

ハッピーさんという漫画の登場人物のようなHNで毎日のようにつぶやいている作業員。そこにも鼻血の記述は無い。

少しは考えろよな。“活動家”のようなこともしている漫画家さんよ。漫画の影響は大きいらしいから。元総理だって感化されるくらいなんだから。

2014年4月29日火曜日

きょうは“天皇誕生日”なのだ

昭和生まれの、昭和を約半世紀生きてきた人間にとっては、4月29日は、天皇誕生日なのだ。
親の世代は“天長節”と言っていた。

昭和天皇が亡くなってからこの日はみどりの日と言われ、今は昭和の日。みどりの日は5月4日に移行。かくて「大型連休」なるものが出来上がる。

そして人はそれをゴールデンウイークと呼びならわす。

子どもの頃、家にはなぜかビロウドで装丁された昭和天皇、裕仁天皇の写真集があった。飽きずに見入っていた。

たしかそこには天皇としての裕仁と生物学者としての裕仁が“同居”していたような。
行幸の様子もあった。

昭和という時代を懐古しているわけではないが、もはや昭和レトロと言われるようになった63年間。
戦争を挟んでの昭和という時代。

通常国会の開会式。参院本会議場。毎年、昭和天皇の姿を見、「お言葉」を書いて送っていた。

どうも何々の日という「国民の祝日」というのに抵抗感がある。

その祝日法は建国記念日を決めるときに与野党で相当の混乱があり、なんだか雨後の竹の子のように祝日、休日が増えていった。ハッピーマンデーなるものも登場して。

記念の日は動かしてはならないと思うから。

で、国民の祝日は、元日・建国記念日・天皇誕生日・憲法記念日・春分の日・秋分の日。それくらいでいいのではないかと思う。

成人の日。いまだに成人は何歳をもってするかで議論が交わされている。国民投票は18歳。刑法適用は20歳。

こどもの日。昔は端午の節句といった。いつの間にか男の子の祝日になった。鯉幟を揚げる日になった。

老人は敬われていないのに敬老の日があり、いつも運動している人が多いのにもかかわらず体育の日。それは昭和39年の東京オリンピックを契機に出来た日のはず。

国旗を掲げて祝う日なのか。あげく噴飯なるもの海の日、そして出来るであろう山の日。なにをかいわんやである。

文化の日は明治天皇の誕生日だった。名を変えた。大正天皇の誕生日にちなんだ祝日は無い。

いっそ、祝日では無く、国民の記念日というのも作ったらどうかとさえ思う。
沖縄の日、原爆の日、そして阪神淡路大震災の日、東日本大震災の日というのも。祈念の日として。休日にするかどうかはともかく。

昭和天皇の誕生日。開戦の詔書、終戦の詔書、憲法に記されている御名御璽を思う。
昭和天皇は戦争に積極的ではなかったし、終戦を急がれていたし。質素を旨とした日常生活を送られていたし。

それは今の平成天皇になっても変わらない皇室の姿勢だと思う。

明治維新にさかのぼっても、時の「権力者達」は、なんだかんだと言って天皇を“政治利用”してきたじゃないか。

天皇の意向に背くこともしてきたじゃないか。しているじゃないか。

昭和から平成へ。天皇も変わり元号も変わった。しかし、時代の空気というものはそこに確たる線引きは無い。昭和の延長としての平成という思いすらする。

田中角栄がいみじくも言っていた。「天皇陛下がおられてこの国は助かった」と。
敗戦後、極度の混乱もなかった。騒乱もなかった。3・11でも平成天皇の言葉や行動がどれだけこの国を、称賛される国と印象付けたか。

昭和天皇を懐かしむ。そして平成天皇、美智子妃に限りない尊崇の念を抱く・・・。
平成天皇の在り様が大きな支えになっていることを、なったことに感謝する。

つまらない記念日と一緒に天皇誕生日を並べるのは嫌だ。

2014年4月28日月曜日

高度成長の“ひずみ”

東京話の続きのようですが・・・。

OB会ということで昔懐かしい場所、六本木での会合だった一昨日。それぞれが街の変貌に戸惑いながらの昔話で・・・。

今もテレ朝通りって残っているのだろうか、その名称。どうもあるらしいのだが。

かつての社屋があったところ。昔、材木町、今、六本木六丁目。そこから有栖川公園の方に曲がったところに李家苑という中国料理の店がありました。
昼は“社員食堂”状態。庭園もあり、二階は宴会場。

そこに「スープそば」というメニューがあった。たぶん一番廉価だったはず。
好んでそれを注文していた。

ある時からか、そこの店の店員さんが、今でいうホールのサービスする人がかなり変わった。増えた。

その人たちはいつも不機嫌そうだった。無口だし。客が気をつかうくらいの。

“料金を払って食べさせてもらっている”。そんな雰囲気。

ある日、極端に不機嫌そうなその人が、スープそばを運んできた。テーブルにどすんと置く。スープがこぼれる。何も言わずに去っていく・・・。

黙って拭きにはきたが。今の外食産業では有り得ないような光景。

一緒にいた先輩が一言言った。
「これが高度経済成長のひずみっていうもんだな」と。そう、どこも人手不足だった時代。

それからしばらくはその人が注文を取りにくると「ひずみ、ひずみ」と聞こえないように言っていたっけ。

そのことを思い出してその場所に行ってみた。無かった。その李家苑は。


「ひずみ」ー。辞書にはこうある。
形がゆがんでいること。いびつ。比喩的にある事の結果として現れた悪い影響と。

いろんなことがいろんな“ひずみ”を生む。

バブルのひずみていうのもあったのだろう。

低成長のひずみというのもあったのだろう。

一握りの富者と大方の普通の暮らしの人、一握りの敗者、貧者。

戦後はルンペンといった。浮浪者のことを。ホームレスという言葉はいつからうまれたのだろう。それだった一つの“ひずみ”としての社会現象。

ホームレスとは言わないのだろうが、ネットカフェに寝泊まりしている若者。


きょう久しぶりに歌壇にホームレスを名乗る人が登場していた。例の公田さんではないが。

「この夜をどこで過ごそうと行く背後 次々とシャッター降ろさるる音」


貧困とはひずみなのか怠惰のゆえなのか。わからない。

高度成長が原発を作った。成長を目指すこの国は、またその原発を求めている。
原発は、そこにあった“ひずみ”の故に、それは物理的な“ひずみ”ではあったが、“ひずみ”を認めようとしない人間が被害を拡大させた。

東日本大震災で、「痛みを分かち合う」として削減されていた国会議員の歳費は来月から元に戻る。

月に160万円の歳費。それをして自民党の幹事長は言った。
「議員が生活にに困窮するのはいかがなものか」と。

歳費とは、生活費だ。自由に使える生活費。税金の話はともかく160万でなんで困窮するのか。

政治活動費は政治資金団体から出る。政党助成金だって配分もある。議員の懐具合をとやかく細かく言わないが・・・。

安い家賃の議員宿舎に住んでいた奴が、いつの間にか豪邸を建てている。

「井戸塀政治家」という言葉があったが、それも今や“死語”だ。

石破発言も、ある意味“ひずみ”だ。感覚としての“ひずみ”。

例を挙げればきりがない「ひずみ社会」を生きているということ。

2014年4月27日日曜日

“バベルの塔”を見上げて来た

分不相応というか、勘違いというか。身の程知らずというか。聖書にある言葉を比喩的にもちいて「バベルの塔」という。

人間が神により近きところに立とうと思い、人間が幾層にも積んで作り上げた塔、それを怒った神は壊したとも言われる。


久しぶりに東京へ行ってきた。昔の会社のOB会。

東京は半分はよく知っているが、半分はわからない。人の流れ、変貌する町並み。めまいがするような。

それはともかく、やはり、そこにはバベルの塔が立ち並んでいた。高層ビル、高層ビル群。

どこが何のビルかわからない。戸惑う。もはや公共交通機関の乗り方、乗り換え、場所すらわからない。上にはバベルの塔。地中には煩雑な交通網、インフラ網。

一時揶揄したもんだ。バベルの塔ではなくて「バブルの塔」だと。
確実に「バブル」が再来しているようにも見受けられて。


それは今や日本だけのことではない。中国、中東、特にオマーンやドバイなど。
孔子さまもびっくり、アラーの神もびっくりといわんばかりに高層ビルが建設中だとか。

そして、そう、横浜のランドマークタワーがそうであったように、高速エレベーターがその建物の中を走っている。超高速エレベーター、その技術は日本の会社が優れているという。日立・三菱・東芝・・・。

なんだい、ほとんど原発関連産業じゃないか。

ちょっと前、テレビのニュースがやっていた。時速72キロの高速エレベーター。
外国のビルに使うとか。
速いし振動も無い。

日本の科学技術の粋を集めた成果。エレベーター。

それを伝えるナレーション読みの女性アナウンサーの声、読み方。どこか国威発揚を言う北朝鮮のアナウンサーの口調にも似ていたような気さえして。

凄さよりも、怖さの方が先に立つ感覚。もし事故があったら・・・と。

高層ビルの中を高速でエレバーターが昇降する。その空間の中で。
そんな必要ってあるのだろうか。

必要は発明の母なのか、発明が必要の母なのか。もうわからない。

かつてはデパートのエレベーターガールは花形だった。白い手袋で扉を開け閉めし、右手ではボタンを押す。いや、ハンドルのようなものを回していたような記憶もある。

発電所のエレベーターはゆっくり昇降していた。1Fでも2Fでも。広野の火力に至っては最上階に行くのにずいぶん時間がかかった。まるで手動で動かしているみたいだった。ドアは手動で開閉していたと思う。

今、1Fではエレベーターは動いていないのだろう。上層階に上がるために作業員の人たちは歩いているのだろうか。

高層ビルではないけれど、原発だって、文明っていうことで捉えれば、やはり「バベルの塔」であった。神の怒りにふれたのかどうかはともかくとして。

「空中権」なるものが設定されているという東京駅。おのぼりさんよろしく写真を撮りましたよ。駅の煉瓦色と無機質な色彩の高層ビルの「コントラスト」・・・。

六本木には残っていたな。金谷マンションビル。煉瓦色。中はどうなっているかわからないけど外観あるだけで記憶のよすがとなるような。

富岡製糸工場跡、世界遺産登録へとか。

郡山にもちょっと前まではあったんだ。煉瓦の塀が。パラマウント、日東紡、その前の橋本製糸会社。その壮大な煉瓦塀は、どこも壊され、その痕跡すら無い。

製糸工場が郡山の経済を支えていたのかもしれない。そこに“女工哀史”があったかどうかはともかく・・・。

その煉瓦塀のあったところの内側には、やはり、高層マンションが建っている。

あの煉瓦塀。30万都市の「文化遺産」であってもよかったんじゃないかって。

2014年4月26日土曜日

「子どもは土を見る、大人は土地を見る」

郡山の児童詩誌「青い窓」。その創設者だった佐藤浩さん。元は学校の先生だった。宗教に造詣の深い人だった。

浩さんは亡くなったが、その灯は今も受け継がれている。

その佐藤先生が言った言葉の一つに「子どもは土を見る。大人は土地を見る」というのがある。

子どもは純粋に土に触れ、土を観察し、土の中にいる生き物を友達にする。
大人はお金を友達にしてしまった。土地を見るとは土地の価格を見るということ。

今、語られた言葉ではない。たぶんバブルの頃だったろうか。この言葉はこんな子供の詩に、小学校2年生の子の詩に触発されて生まれたのだという。


「土の中」

みみずのす
せみのようちゅうのす
かぶと虫のようちゅうのす
ありのす
もぐらのいえ
土の中は
まるで 大きなアパートのようだ


そうなんだよな。子供の言うアパートとは、いろんな生き物が住んでいるということなんだよな。

大人はそこにマンションを建てる。土をコンクリートで固め、基礎を打ち、瀟洒なマンションを。

土が確実に減っている。土のある光景が。コンクリートやU字溝。生き物の生態系は確実に変わっていく。「生き残った土」は放射能というコンクリートで覆われた科学の粋を集めた中で作られたもので汚染される。

農民の土も奪われた。笑ってはいけないけれど高層マンションに住む人は土を恋しがる。

皮肉な光景。

河川の堤防。防災のためにといって護岸工事でコンクリに覆われる。

津波で被害を受けたところにはコンクリートの巨大防潮堤が作られていく。

なんだかおかしいのだ。

中学生の時、生意気にも、長塚節の「土」という小説に挑んだ。難解な文章。
要は農民の労苦を、結論があるようなないようなかたちで書いたもの。

近々、我が家にも除染なるものがやってくるらしい。土ははがされ袋に入れて埋められる。

我が家では飼っていた犬が他界すると記念に樹を植える。思い出に。

初台からごっそりその樹を運んできて植えてある。
月下美人・金木犀・ひめかずら・うつぎ・郡山で植えた柊木犀。

除染の前に、どこかうまいこと、しまわないと・・・。

金子みすずが書いていた。「土」という詩を。

こッつん こッつん 打(ぶ)たれる土は
よい畠になって よい麦生むよ。
朝から晩まで 踏まれる土は
よい路になって
車を通すよ。

打たれぬ土は 踏まれぬ土は 要らない土か。
いえいえそれは 名のない草の お宿をするのよ。


桜の季節が終わり、名の無い草や名のある花の季節になった・・・。

土の匂いを懐かしむ。

2014年4月25日金曜日

「食べ物」のこと「ゴミ」のこと

東京の知人。90歳の老夫婦。このご婦人が凄い。例えば果物の皮は冷凍庫に保管し、たまったら刻んで煮込んでママレードを作る。
送ってくれるそのママレードは実に美味い。

食べ物に無駄な部分は無い、要らないとこは無いといった具合に。
包装紙はとっておく。それで栞を作ったり、封筒を作る。

戦争経験者、戦後の食糧難。それを乗り越えて来たからか。「無駄」「倹約」などを知っているからか・・・。


燃えるゴミの日、生ゴミの日。集積所は山ほどの「ゴミ」であふれている。
中身を“点検”しているわけではないが。

子供の頃、ゴミ置き場なんていうのが無かった時代。どうにも処分出来ないゴミは庭に穴を掘って埋めていた。
ゴミは極端に少なかった。

たとえばスイカのへたは切って漬物にする。仏壇にあげたご飯は「仏さんのおさがり」と言って茶漬けで食べる。使えない紙は庭で燃やす。大根には葉っぱがついていた。葉っぱをきざんで塩でもみ、ご飯の上にかけて食べた。

「物は大事にしろ」と教えられた。無駄・節約・倹約。徹底して言われた。魚の骨はあぶって食べた。「カルシューム」だと言って。魚の目玉は母親の大好物だった。ポリ袋もビニール袋もない。たいがいのものは新聞紙にくるまれ、竹の皮に包まれていた。洗えば何度でも使えた。

処分出来ない生ゴミは畑の肥やしともされていた。還流だ。

挙げればきりがないが。

みんな工夫を凝らしていた。なんにでも応用した。

飽食の時代、大量消費時代・・・・。物はどんどん捨てられた。使い捨て文化が蔓延した。

賞味期限なるものが作られ、期限切れのものはどんどん捨てられていく。

飲食店から捨てられるゴミの数々。売れ残って捨てられる弁当の数々。
廃棄される食糧。

豊かな国・・・・。

廃棄物処理場、ゴミの焼却場に行くゴミの40%は家庭ゴミだという。
使えるものも多々ある。不燃物として捨てられているものには。

椅子、机、棚、衣料品・・・。捨てられる。捨てられる。

合言葉は「断捨離」だとか。

そして片や、美徳のように言われる3Rとやら。
リサイクル・リユース・リデュース。

捨てられている段ボールの山。過剰包装なのだ。

4年前、福島に来た人たち、帰郷してきた人たち。土産に渡された福島の食べ物を、たとえば菓子にしろ。途中で捨てた。
帰途の高速のサービスエリアにそれがうずたかく、そのまま捨てられていた。

だから、なんとなく思う。やがて人間は捨てられる時代になるのかと。いや、もう言葉としてはある。

使い捨てという言葉が。年をとった人間は要らない人間か。
姥捨て山という言葉があった。楢山節考という小説もあった。

年期の入った年寄りの知恵は逞しい。

徘徊老人が列車事故を起こした。85歳の妻に慰謝料を払えとする判決。いや、それ以前に告訴したJR。

ゴミ置き場に捨てられたアルミの空き缶。一個1円で売れるという。町内会の資源回収に出せば、新聞紙も段ボールもカネになり、町内会の資金になる。

でも、それはいつもゴミ置き場に捨てられている・・・。

福島の米は、いまだ、一部では忌避されているという。

間もなく田植えの季節を迎える。米を食べ残ししたら、親から叱られた。
「お百姓さんに申し訳ない」と。

2014年4月24日木曜日

「クルミ」が消えた・・・。

焼き菓子を作り知人に送りたいといわれて、「くるみ」を買いに行った。
無い、無い、無い。この前の時はあったのに。

「なんかテレビでやってたらしいですよ。クルミは健康にいいというのを。一挙に売れました。一人で30とか50袋買っていかれる。メーカーも欠品だそうです」。馴染みの店員さんは呆れ顔。
「なんでテレビでやるとこうなるんでしょうかね。あまり売れていなかったものなのに。ばかばかしくなってきますよ」。

店の方でも、売れることを必ずしも喜んでいないのだ。


またか・・。

テレビが「健康にいいもの」をやると、必ずと言っていいほど、その商品はバカ売れする。店頭から消える。

なんだろうこの現象。

午前中のテレビは健康器具の通販番組、健康食品の通販番組。適度な演出を加えて。

そして夜はからだいにい、健康のための食べ物を。
しかもご念がいっている。必ず番組に白衣を着た医者を登場させ、その効能を“実験”も交えてやる。

翌日、その物は店から消える。買いだめされる。

クルミの焼き菓子を楽しみ待っていた人は90歳を越えた人。その人の楽しみは失われた・・・。

テレビが火をつける“同調行動”。

くだんの店員さんはいう。どうせいっときですよ。すぐに飽きられますから。

見抜いているね。そのばかばかしさを。

世にいう”平和ボケ“的現象か。

4年前、土壌の放射能汚染を防ぐため、除去するためにはひまわりが最適といわれた。こぞってひまわりが植えられていた。

その次も何やらがいいとテレビで偉い先生が言った。皆、買占めに走っていた。

バナナがいいといえばバナナは無くなる。値が上がる。

別にテレビの方は煽っているつもりではないだろう。でも、健康ものは数字が稼げる。
手を替え品を替えての健康、健康。

踊らされているとしか思えない消費行動。

大震災後、原発事故後。日本中で商品が無くなった。店頭から。
水はその典型。

東京であったこんな話を思い出す。
赤ん坊を連れた若いお母さんがミルクを飲ませる水をスーパーに買いに行った。

お一人様一本とされていた。残りは僅か。ようやく200ミリリットルのペットボトルを手に入れレジに並んだ。
その人の前には若い男性が並んでいた。ミルクがほしくてむずかる赤ん坊。

レジを通ったあと、その男性が声を掛けてきた。
「僕のと交換しましょう」。その人は500ミリリットルのペットボトルを持っていた。

500のボトルを押し付けるようにして、200のボトルを持って去って行った・・・。

そのお母さんは子供が大きくなったらその時の話をするのだという。
「その人のおかげであなたは大きくなれたのよ」と。

徒労に終わったくるみの買い物。楽しみを奪われた90歳の知人。

春は憂いを伴てやってきているような・・・。

春候鬱々として晴れず。
kurumi

2014年4月23日水曜日

逆説 原発再稼働のすすめ

こんな“記事”に出会った。

福井県在住の女性。福井県に避難してきている浪江町の人たちを支援している方のようだ。浪江に心を寄せてくれていると見てとれる。

「今日は、浪江町から避難している方と久さしぶりに電話しました。今年に入ってからの心情は・・・“疲れた”でした。
“もう一度原発事故が起こらないとこの国は変われないんだね。もういい。動かせばいいよ。事故は起きるから”」。


この浪江の人の言った言葉。その心情がよくわかる。たぶん、普通の主婦なのだろう。

短絡的に言えば、この国は一部の特権階級と多くの普通の人で成り立っている。

そして、その特権階級の人たちが国を動かし、動かうもんだと思っている。だから、その人たちの動静や言動を追う。しかし、その人たちは、自分たちの周り、日常、枠内、立場でしか物を考えない。

なんだかわからず避難して、辛い日々を送り、どこかで「お国がどうにかしてくれるだろう。自分たちの犠牲で、この国は変わるだろう」と考えていた普通の人たち。
その人たちもわかってきた。何も変わらない、変わっていない。我々の“犠牲”は何の意味を持っているのだろうと。

その浪江の人だって、もう一度原発事故が起きて欲しいなんて毫も考えていないはずだ。自分たちのように、“ふるさと”を無くし、人生を否定され、この先のことも考えられない。
そんな心情の中で出た“つぶやき”が、もう一回事故が起きないと・・・という本心ではない言葉なのではないだろうか。

民百姓をバカにするなよ。普通の人を舐めてかっかてはいけないぞ。その人たちの言葉にこそ「真理」があるのだぞ。真実を見抜いているのだぞ。

昨日書いた大熊の主婦の言葉もそうだ。「帰れこないんだから新しい町を作ろうよ」という言葉とて同じ。現実をきちんと見抜いている。

こんな話の記憶がある。

昭和57年。鈴木善幸内閣が突然退陣した。その年の秋、永田町は政局で揺れていた。自民党の総裁選が近づき、党内抗争は激化していた。
退陣直前、善幸さんは訪中した。同行記者も国内の記者も、すべての関心は、帰国後にあった。

訪中を挟んで、政局の読みは「善幸再選」に傾いていた。帰国後、突然、降ってわいたような善幸さんの総裁選不出馬発言。退陣宣言。
政治家を含め、永田町の枠で物を見ていた玄人にとっては晴天の霹靂だった。

善幸さんの地元。選挙区。岩手。田老町の人に感想を聞く。
「びっくりしたでしょう、驚かれたでしょう」と。
即座に返ってきた答え。
「辞めるってわかっていたよ。あんなことをしない人が、中国に行くとき一族郎党を連れていったじゃないか。ああ、最後の花道を見せたかったんだとな」。

この時から政局取材の見方が変わった。永田町の論理だけで見ることの愚を悟った。

素人の目は、感覚は確かなのだ。

福井県も原発立地県だ。その地で「動かせばいい」ということ。動かしてなんんか一つも願っていないのに、もうあってはならないと思っているのに、再稼働なんて絶対してほしくないと思っているのにそう言うということ。

まさに逆説的原発再稼働論なのだと。

冒頭の福井県の方の“記事”。こんなことも書いてあった。

「経済を言う人は、命についてふれない。
温暖化を言う人は 原発から放出される水で海水温度が上がることを言わない。
原発立地の苦悩を言う人は、事故後の立地の現状に触れない」と。

2014年4月22日火曜日

「復興」とは「創造」なのかもしれない

3・11以降、言われ続けている復興。
その復興という言葉に、考えに、いささかの“抵抗感”を持ってきた。
いまだもって「復興」ということの意味がわからない。
元に戻すのは復旧。復興とは、さらに奮い起こすこと。

高齢化が進み、たぶん過疎化がすすみ、産業の形態も、流通の形態も変わってくる。人口は確実に減る。
巨大防潮堤のことだけではない。元あった町や村を復元させることが復興なのか。
それまで持っていた価値観に戻る、戻れるということが復興なのか。

復興とは被災地だけのことではない。この国全体、いや地球規模で言えること。

ま、それはさておいても・・・。

廃炉まで40年かかる。30年は帰れない。そんな人たちがいること。その人たちの復興とは何を指すのか。
作付面積が減る。漁獲量も減る。人々の生き方も変わってくる。そんな中で言われる「復興」って何?

こんなことを思ってみたりする。大熊の住民集会であった発言を聞いて。
その人は、ご婦人だったが、64歳の。議論に皆が疲れだしたころ。静かに口を開いた。

「もう戻るってことを言うのはやめましょうよ。戻れないのはわかっているのだから。それよりも、新しい町を作りましょうよ。町の人たちが一緒に暮らせる町を。40年間だけの町でもいいから」。

そんな言葉だった。そして大熊町では、線量の低い地域に新しい町を作ろうと計画し始めたともいう。

宮城県でもコンパクトシティーという構想が提案されている。
さまざま、「新たに作り始める」ということだ。

“復興”とは“創造”だということ。創造の前に「新たな」という言葉をいれてもいい。
取りもどすのではなく、創造するのだ。

例えは異端かもしれないが・・・。

お寺がいい例だ。どこも経営難。
地縁、血縁が無くなり多分「檀家制度」を維持するのは無理だ。檀家が無くなる。寺の崩壊につながる。檀家に支えられているという閉鎖社会でいいのか。
寺は人と人のつながりの場。その役割を果たすためには社会貢献も必要だ。
だから僧侶も、大学に行って、経営学や哲学を学ぶことが必要。そして「人のこころの受け皿になれる」お寺に生まれ変わらなければ。

3・11後、瓦礫の中をひたすら歩き、海に頭を下げていた坊さんがいた。

多分日蓮宗の坊主だったと思う。日蓮はレジスタンスの人。鎌倉幕府に楯突いて追いやられ、一人諸国を歩き回っていた人。

新たな寺のあり方が必要になってきている。
檀家制度では寺は維持できないはず。

郡山でも「復興」「復興」ということで“元の姿を取り戻すべきだ”と言う声がある。
元に戻すべき、取り戻すべき伝統や文化はあるのか。あったのか。

新たな文化や伝統を今、作り直してもいいのではないか。食文化にしても伝統行事といわれるものにしても。
脱皮だよ、脱皮。

旧態依然としか“殻”から抜け出し、将来を見越した、この国の姿に見合ったものを想像していくべきなんじゃないかな。

「3・11」は、この国の、いや、外国にとっても、大きなターニングポイントではなかったのかと思う。文明の転換期だったのだと。

「復興」という文字や言葉が、別の言葉や表現に置き換えられて言われ始めたような気がする。

2014年4月21日月曜日

きょうはヒロシ君誕生の日だった

事務所の二軒隣にナオミさんという女性がいる。住居兼職場。建築デザイナーだとか。
聞くところによると相当の酒豪らしい。


すごい行動力のある女性だ。

あの年、彼女は南相馬に向かった。「迷子」になった犬や猫を救出するために。
動物擁護支援団体と出会ったのかどうか、とにかく彼女は一頭の犬を連れて帰ってきた。本当は二頭連れてこようと思ったのらしいが、それは無理だと判断して。

コイタロウって猫もいるし。

除染とかなんとかもあったらしい。とにかくその犬の生活圏は郡山になった。
彼女はその犬に「ヒロシ君」という名前を付けた。

真新しい首輪に真新しいリード。ヒロシ君はご近所への「引っ越し挨拶」に回った。

たぶん、ラブラドールか芝のミックス。

自分が「ヒロシ君」という名前の自覚があるのかどうか。
でも、名前を呼ぶと傍に来て「ヨロシク」と言わんばかりに尻尾を振って挨拶してくれた。足や手の匂いもかがれた。

保健所にも行き、彼はりっぱに郡山に住民登録を済ませた。

ボクハはヒロシ君と仲良しになった。
犬が介在すると人間同士の会話もはずむ。

ナオミさんは郡山にいるときは毎日ヒロシ君と散歩に出る。彼が南相馬でどういう環境にいたのかはわからないが、もともとの「戸籍上」の名前もわからないが、散歩が大好きのようだ。

散歩はナオミさんにとっても好都合・・・。お互いに「健康維持」をはかっている。
ナオミさんが出張などで県外に行くときは、彼女の実家がある二本松に行く。そこがまた、田園風景豊かなところらしい。
ヒロシ君は両方の家を気に入っているようだ。

「ヒロシ君、よかったね、いいお母さんと会えて。辛い思いをしている子だってたくさんいるはずだから」。そう話しかけてみた。
何かを感じたか、わかってくれたのか。その時だけは尻尾を下げて、悲しそうな表情になったような気がした。そう思えた。

当時何歳だったのだろう。

あれから3年、居住地を替えて3年・・・。

ヒロシ君が何を思っているのか。知りたいような知らないほうがいいような。

どうも最近は、彼は、ボクの相手をするより、早く散歩にいこうよとリードを引っ張っている。この場所が気に入ったのかもしれない。

今夜は「ヒロシ君」誕生の日だ。

ナオミさんの家では、猫も交えた大パーティーが行われるのかもしれない。

ヒロシ君のことを書きながら、鎖でつながれたままだった飯舘の太陽クンのことを思う。
行き場の無くなった牛たちを集めて面倒を見ている浪江の希望の牧場のことを思う。
牛を手放して、殺処分に出して、自ら、命を絶った畜産農家の人のことを思う。

保健所などに収容された犬や猫がどうかったのかを思う。

動物たちが実は一番の被害者だったのではないかとも思う。

シェルターに暮らしている犬を、引き取ろうと考えていた。ヒロシ君が来たのと同じころ。でも、どうやってもうまくマッチングがかなわなかった。
今でも悔やまれていることの一つ・・・。

今、テレビでは被災犬のことは話題にもならない。タレントの犬自慢のはなしばかりが目につく・・・。

2014年4月20日日曜日

計測と嘘と未公表と

昔あった映画。“セックスと嘘とビデオテープ”。ふと、そのタイトルが浮かんだだけで、特に深い意味はありません。ただ、政府の「嘘」に対する“絶望感”との関連だけで。

放射線量、被ばくの多寡、それの影響。それは「確たる知見の無い領域」なのだ。

確たる知見が無いから、あるものをすべて公表して共通のテーブルに乗せ、皆で話し合うこと肝要なのだ。

「早期帰還」「帰還促進」が目的だったのかどうか。
被ばく線量を空間線量ではなく、個人線量計による測定に切り替えた。

個人線量計をによる被ばく推定値を政府は研究機関なるところに委ねた。出された報告は政府の予想を超えるものだった。思惑が外れた。


政府は、おそらく「帰還」に影響が出ると思ったのだろう。時あたかも都路地区では一部で帰還が始まっていた。
その結果を隠した。公表しなかった。

除染問題もからんでくる。やはり線量は高かったとは言えない。隠した。

もはや、何事も隠し通せるわけがない。内部告発やメディアの力で、それはバレる。

嘘は隠さねばならない。隠すためにまた嘘をつく。“嘘の上塗り”。だ。嘘が、隠ぺいがバレるとどうなる。不信を増す。不信の中では物事は解決しなくなる。

いまだ、福島県では、さまざまな「嘘」がまかりとおっているということ。

帰還がはじまった都路地区でも外に出ない人は年間1ミリシーベルトを下回っているが、農作業に従事する人の線量は2ミリシーベルトを超える。
まして付近の山林の除染は手がついていない。
いやたぶん無いだろう・・・。

こんなことは今“帰還”がいわれている川内村や飯舘、伊達市でも同様だ。いや、飯舘では屋内で働く人だって最低3,8ミリシーベルトだともされる。

どこも生業は農業だ。

1ミリシーベルトと20ミリシーベルト。まさに「未知の領域」の中で、1ミリという数字が“定着”してしまった中で。

都路地区の人からは「騙された」という言葉がでるようになった。

福島県の最大地銀の元頭取、地銀協の会長や福島市の会議所会頭もやったひとはいう。東邦銀行の瀬谷俊夫という人だ。
「20ミリを許容しない限り、経済の回復は望めないと」。そして「原発は再稼働すべき」だとも言う。
それに拍手を送る人だっている。県内に。

東京品川の城南信用金庫の理事長は、いち早く原発反対を打ち出し、消費者優先社会への警鐘を鳴らす。

1ミリシーベルトと20ミリシーベルトの狭間で揺れている「フクシマ」。

未公表の罪は事務方の責任にされ、政治家は知らなかったこととされる。
3年前と変わらない構図。

信頼関係はことごとく消えていってしまったような。不信の中での話し合い。

たぶん、政府の思惑通りには「帰還計画」は進まないだろう。その工程は大きく狂うはず。

雑多な意見をまとめる作業は至難の業になってくる。

「他人を説得するためには信念を与えねばならず、信念を与えるためには信頼を与えねばならず、信頼を与えるためには正直でなければならない」。

そんな言葉を目にした。

少なくとも国は、あまねく「正直」でなければならないはず。

映画の表題。セックスとは「欲望」。それはあまねく電気を求めた社会。ビデオテープは、パソコンの中に保存されているファイル。
そう置き換えてみれば、「嘘」の根源が見えてくるような。

韓国の旅客船事故、惨事。みすみす失われていく人命。ただうろたえているようにしか見えない韓国政府。
あの時の日本政府の姿がかぶってくる・・・。
そして原発事故も旅客船事故も、航空機の事故も。いつ、どこで起きるかわからない。それはあり得ることなのだから。

2014年4月19日土曜日

都路の電波時計

家の時計が、なぜか数個壊れた。電池を入れ替えても、動いてはいるのだけどまったく時間が合わない。

仕方なく、近所のホームセンターなるところに時計を買いに。

そして驚きました。置いてあるのは全部「電波時計」なんです。完全なデジタル時計なんです。そして、安い。1,200円くらいのものを二つ買ってきました。

なんという“アナログ人間”だと笑われそうですが、もはやねじまき時計というか、時間合わせをする時計は希少価値の、そして時代遅れのものなのでしょうか。
車の時計は、それでも、時々は時間合わせをしないと数分狂う時があるのだけど。

目の前にある時計が1秒ごとに時間を刻んでいる。

時間に「管理」されているという感覚です。デジタルの電波時計が正確に時を刻む。

「いやあ、時計が狂ってまして・・・」。そんな遅刻の言い訳なんて通用しないんですね。


最初の持った腕時計はリュウズを巻くものだった。それから小さい電池のものになった。長い針と短い針が動くものだった。
買ってきたのは数字で表示されるもの。
針だとなんとなく時間の感覚がつかめるものだけど、数字の表示は「その時だけ」が示されているようで。

そして思い出した。時間のこと。

日本標準時。JSTといったかな。それは兵庫県の明石と福島県の都路にある電波塔、正式名称は標準電波送信所。都路と川内村の境にある大鷹鳥山山頂付近にある。そこから発信される電波が日本の半分の時間を決めている。

国道288号を東南に行くと都路大橋の手前あたりに、電波時計の看板がある。今でもあるのだろうか。

4年前の地震で、電波塔は“破損”し、しばらく停波していたが、5月ごろには復旧したと聞いていたが。

電波塔のあるあたりの放射線量はどうなのだろう。なぜかっていうと、都路は「帰還問題」で揺れているから。

マスコミの話題にはのぼらないが、電波塔があるってことが、かつては都路の人たちの“自慢”だったし・・・。

たぶん、今、目の前にある時計も都路の電波を受けて動いているのだ。

子供の頃、家には柱時計があった。どこの家でもそうだった。一日一回、ネジを巻かないと時計は止まる。ネジを巻くのは子供の仕事だった。

時間の数だけ音が鳴る。半になると音は一回。鳴り始めるとなんだか自然にその数を数えていたような。時計の音を合図に生活が回っていたような。


大きな古時計という歌がある。最近知った。その歌のズズー弁バージョンというのがあることを。秋田県出身の伊藤秀志という人が秋田弁で歌っている。それは、まるでフランス語のようなのだ。
はまってしまった。

♪でっげぐて 背の高げ 古くせ時計っこだば・・・♪

方言の、訛りの塊のような歌詞。それは、無性に暖かい。

デジタル機器など何も無く、いや、そんな言葉さえなかった無かった時代。
柱時計のあった時代。

理屈なく「いがったなあ~」って時代。電波時計は無音だ。一切手間はかからないけど・・・。不便な時の方が、面倒な時の方が、生活にリズムがあったよで。

居間の時計はまだアナログ。いつも時の刻みが遅れる・・・。

2014年4月18日金曜日

ジグソーパズルと福島

数日前書いた橋本弘喜画伯の「元気」という文字。
それを眺めていた気がついた。彼は写真や画の数々を「元気」という字の中に埋め込んでいるのだ、はめ込んでいるのだと。

そう、ジグソーパスルのように字としての画、画としての字を完成させていると。

人の世のありようはジグソーパズルのようなものなのかもしれない。


「福島」という名の、出来上がっていたジグソーパズルは壊れた。嵌め絵は、それを作っていたピースはことごとく飛散した。
あたり前だけど、住むところを無くした人たち。ギスギスしはじめる人間関係。

かろうじてかどうかはともかく、出来上がっていたパズルが壊れたのだ。

絵描きは、その壊れたパズルのピースを一つ一つ拾い集めて、隙間を埋めて「元気」とう字の画を作った。彼なりの、たぶん、彼は意識していないだろうが、“元に戻す”という作業だったのだろう。


ジグソーパズルとしての福島。若い人たちと話をした。話し合った。
「支援」と「自立」というテーマに絡めて。


「欠けたピースを拾い集めるのには“支援”が必要なのかもしれません。でも、ピースを埋めるのは我々の“自立”としての仕事だと思います」。

素晴らしい答えが返ってきた。


だけど・・・。まだピースを拾い集めることもままならない。

だけど・・・。パズルは完成させなくてはならない。
ピースをはめ込む作業も多難だ。さまざまな形をしているのだから。どこに嵌めるのか。それを探すことすら大変だ。

出来上がったパズル。それは、たぶん、以前とは違った形状になるだろう。色も変わらざるを得ない。

シンボルスカの詩ではないが、「誰かが後片付けをしなければならない。ひとりでに物事が片付いてくれるわけではないから」。
そうなんだよな。

だから「知っている人たちは、少ししか知らない人に道を譲らなければならない」。そう、以前の形状を、ピースのあり場所を知っている人たちは、ほとんど何も知らない人たちに。そういうことだろうか。

パトラッシュ・・・疲れたかい。僕も疲れたよ。少し眠くなったよ。そうも言っていられないかも。

2014年4月17日木曜日

やはり“的”だらけだった。

汚染水の誤移送問題。東電の会見で言っている。「意図的なものかどうか・・・」と。
意図的なら一種の”テロ“じゃないか。

線量の公表をなぜか遅らせていた。意図的なやりかた。隠ぺいという名の意図。


昨日「的」という言葉について書いてみた。その余韻か。新聞見ても人と話していても“的”という字があまりにも多いことに気づく。

それを話題に供する亭主の意図が誰何されるようだが。

意図は「日本語のおかしさ」、逆に言えば「面白さ」ってことにもなるのだけど。

あそこの旦那は家庭的な人だ。あの奥さん、なかなか社交的だから。
外交的手腕が問われる。国民的議論が必要だ。

きょうの新聞の拾い読みでも、的、的、的。

こんなこと書いているなんて時間的に余裕があるわけじゃなんですが。

STAP細胞問題での笹井さんの会見でも「例外的事情」ときたもんだ。

東電への公的資金の投入。いまだ尾を引いているし。
第三者的立場で検証なんていうのもあったし。

そうそう、なんでも具体的に説明しろってくるし。


「的」が付く言葉の中で暮らしている日々。

「的」の解釈や受け取り方は、皆それえぞれが「適当」にやっているんだろうな。

どうも、この「的」が付く言葉と、どうやって「的確」に付き合っていけばいいのか。
それが表現として「適格」なものなのか。

反社会的勢力って暴力団のことらしいけど。「ハンシャ」って警察では言っているらしいけど。政府にたてつく奴もその反社会的勢力という範疇にはいるのかな。

くだらない話はもうやめますが・・・。季節的には春爛漫なんですね。

2014年4月16日水曜日

個人”的”に思うこと

前から、もちろん今も、悩んでいる言葉がある。

「的」という言葉のことだ。

例えば・・・
集団的自衛権、個別的自衛権、それの限定的容認・・・。この「的」はどういう意味に解釈すればいいのだろう。意味がよくわからないのだ。

こうした場合に使われる「的」。なんとも曖昧で、含みを持った「言葉」に感じてしまう。

ちなみに辞書を引いてみる。
「その性質を帯びる、その状態をなす」の意とある。

別の辞書を引く。
「・・・として、・・・において」の意とある。

さらに引く。
「・・・に関する、・・・の傾向がある、・・・の状態の」とある。

どの字解をあてればいいのか戸惑うのだ。


個人的に思うこと。とタイトルに書いた。その的は、個人として思うことという意味で敢えて使ってみたのだが。

巷で日常的にある(うん、この的は日常においてと解するのか)会話。
「ワタシ的には~~~、自分的には~~~」。
そこから感じるニュアンスは「枕言葉に“的”を使うことで、一種の“逃げ”を打っているような感じがするし、嫌な使いかただとも思う。


「的」という字は「まと」とも読む。的(まと)は外してはいけない、目標である、目当てである、目的って書くし。「まと」と読めば語意は明快だ。


なぜ、いまさら、こんな事を、「的」という一文字について「わけのわかんない」ことを書いているのか。

原発の現場がまたもや騒がしい。ミスや不具合が連続して起きている
ままならない汚染水問題。

必ず言われる。「人為的ミス」だと。ALPSに関しては「機械的ミス」「機能的ミス」だとか。

この人為的ミスという言葉にこだわるのだ。この「的」は何を意味しているのかと。

「的」の内容をはっきりさせなければならないのに。

やはり「的」という語用は「曖昧」なのだと。


どの辞書かにあった。
「多くは抽象的な意味を表す」と。

世の中、やはり曖昧なんだと。その曖昧さを多くの人たちが是認し、的を射ない議論が交わされているということ。


誰か、的の意味を教えてはくれぬか・・・・。

2014年4月15日火曜日

元気ですか。

元気ですか。
「元気だよ」
そう言って笑える日まで、
いつまでだって待っているから。
このふくしまで、東北で、
ずっとずっと待っているから。


フェイスブックにカバー写真というのがある。自分のページの背景の壁紙とでもいえばいいのか。
これまでは「白紙」だった。たぶん、気持ちが「白かった」か「空白」だったからだろうか。

昨日、ウインドウズ7に替えたのをきっかけに、そのカバー写真を載せてみた。
「お友達」から反響があった。

その写真は「元気」という字だ。だけど字にはなっているけれど、その字は写真の切り貼りで作られている。

友人の版画家が作ったもの。橋本弘喜という男。彼は基本的には福島の風景を描き続けている。
県内をくまなく回ってきた。そこで撮ってきた写真の数々。東北を映した写真の数々。

それを一枚一枚切って、キャンバスに貼り付けて、「元気」という字を完成させた。

もちろん「3・11」後。版画家としての出来ることをやるという動機。
その写真には彼の半生が込められている。

彼は毎年カレンダーも作っている。その表紙にその字を使った。

そして、遅まきながらそれを使わせて貰った。

字の脇に小さく書かれたコピーがいい。それが冒頭に書いた5行。

数年前のふくしまであり、今のふくしまでもある。そこに込められたメッセージは。

我が家の犬の名前もたまたま「ゲンキ」。

「3・11」を体験している。あれ以来、地震には極度に敏感になった。外出、つまり散歩も制限されていた。何をどう感じているのか思っているのか。

スポーツ選手にも元気という名前の選手がいる。無条件でその選手を応援する。


弘喜ちゃんのこの版画を見るたびに、俺も元気でなくてはならないと思う。
そう、彼の言う通りだ。元気だよって笑える日まで。

日常会話でも元気は飛び交う。「元気だった?」「元気してた?」「元気そうでよかった」・・・。

弘喜ちゃんが作品を通して発しているメッセージは、また一味違うって思う。

「いやいや、カネが無くたって元気が何より」。
そう言い残したさっき友達の一人が顔を見せ、帰っていった。

「元気」ってなんいかいい言葉のような気がする。

もうひと踏ん張り。「から元気」でも出してやってみっか。書いてみっか。

そうなんです。きょうはコラム原稿の締切日なんです。

2014年4月14日月曜日

とかくこの世は“わからない”

安部内閣の支持率は上がっている。でも、安部が打ち出す新エネルギー基本計画や武器輸出三原則の見直し、解釈改憲には反対が多く、消費税増税も不安視されている。

世論調査で浮かび上がってくるこんな傾向がよくわからない。

「ながらスマホ」とか「歩きスマホ」をやめましょうといわれる。
スマホと携帯の区別がよくわからない。歩きながらの携帯もいたし、メール打ってる奴もいた。
携帯電話のマナーがうるさく言われた。
病院では使用不可。電車の中でも優先席では切れとか。
電磁波が問題にされていた。携帯の電磁波なるものの人体への影響。
スマホ解禁の病院が増えているという。

スマホと電磁波・・・。わからない。

棚倉だったか。東電の送電線は電磁波を発生させるということで訴訟事件があり話題になっていた。そんな“騒動”は、今は聞かない。
携帯の電磁波と送電線が干渉し合うという話もあった。今は聞かない。

高血圧と肥満。成人病の元凶とされてきた。
血圧の“許容範囲”が大幅に緩められた。140以上でもOKとか。
BMIの数値も緩められた。体重も腹囲も。

今までの「数値」ってなんだったんだい。数値に一喜一憂していた人はどう思っているのだろう。

時代の変化ってことで割り切れることじゃないと思うけど。

1ミリシーベルトと20ミリシーベルト。今は年間1ミリシーベルト、一日0,23μが定着している。それを基準に福島の全てが語られる。

1ミリ超えたら・・・・。医者も言うだろう。「わからない」と。

いろなことが変わりすぎている。わからないことだらけだ。

「お年寄りを大切に」と言う。貧しい高齢者は行き場を失っている。
過疎化が進んでいた街をもとに戻そうという。元に戻して、また過疎の地域を作ってどうするんだ。それも巨費を投じて・・・。

エコ、エコという。それはエコロジーのエコかエコノミーのエコか。
もはや、それも、わからない。

大学の卒業式に学生より多い数の親が参加している。会社の入社式にも父兄同伴が多数いる。“心情”“愛情”で片づけられる問題なのだろうか。
過保護っていう言葉が頭をよぎる。

そんな風潮が僕にはわからない。

とかくこの世はわかりづらい。わからない。

桜の樹が切られているところもある。
桜のちょっと先には黒いビニール袋、フレコンバッグが大量に積み上げられている。桜の下にあった芝生は剥ぎ取られ、仮埋設中というフェンスが囲んでいる。

春に背いた光景。それを誰が作ったのか・・・。それだけは、わかる。

2014年4月13日日曜日

とかくこの世はままならぬ

昨日、なんとなく「世の中嫌だね」っていうようなこと書いたので・・・。

坂本九の歌に♪九ちゃん音頭♪というのがあります。昔、そこそこ流行りました。青島幸男の作詞です。


花が咲く時ゃ風が吹く
月が出てくりゃ雲が出る
とかくこの世はままならぬ
愚痴はよそうぜ歌でも歌おう
それがね、それが浮世というもんさ
キタサホイサッサ

お花見の季節だということで・・・。


「ままならぬ」。漢字にすれば「儘ならぬ」。要は思うようにいかないってことでしょうか。我儘という字を思ってもらえれば結構。

世の中「あべこべ」だということを歌っているように感じたのです。

歌の中にある諧謔。


で、歌ではありませんが、詩を「あなた」に送ります。書き写してみます。コピペではありません。書き写しです。言葉を反芻するように・・・。

福島の詩人、長田弘の詩です。今、75歳か。


“ねむりのもりのはなし”

いまはむかし あるところに あべこべのくにがあったんだ
はれたひは どしゃぶりで あめのひは からりとはれていた

そらには きのねっこ つちのなかには ほし
とおくは とてもちかくって
ちかくが とてもとおかった

うつくしいものが みにくい みにくいものが うつくしい
わらうときには おこるんだ おこるときには わらうんだ

みるときには めをつぶる めをあけても なにもみえない
あたまは じめんにくっつけて あしで かんがえなくっちゃいけない

きのないもりでは はねをなくしたてんしを
てんしをなくしたはねが さがしていた

はながさけんでいた ひとはだまっていた
ことばに いみがなかった いみには ことばがなかった

つよいものは もろい もろいのがつよい
ただしいは まちがっていて まちがいが ただしかった

うそが ほんとうのことで ほんとうのことが うそだった
あべこべのくにが あったんだ いまはむかし あるところに


余計な説明はいらないでしょう。今の福島を語っているようでもあり、この国を語っているようでもあり。
「今は昔、あるところに」。おとぎ話のような語り口。それは未来から見た現在なのだとも。

だからね、僕達はね、「あべこべの国」を「普通の国」に戻さなければいけないのです。

「あべこべ」とは江戸時代の言葉。「彼辺此辺」というのが語源です。決して「安部・子部」ではありません。花見酒での一杯が効いたわけではありませんが。(笑)。

ま、冗談ともかく長田弘の詩って響くんですよね。これとて諧謔の精神にとんでいると。

きょうの郡山。風もなく花は咲き誇っています。雲ひとつありません。

ここだけは「あべこべのくに」ではないようです。桜は桜のままです。

犬を連れて近くの公園にでも行ってみますか。バチがあたるわけでもありますまい。

2014年4月12日土曜日

とかくこの世はすみにくい

春の陽気のせいなのか。ふと浮かんだ夏目漱石の「草枕」の一節。

「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹さしゃ流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう」。

情に棹さす。流れに棹さす。その意味を巡って“議論”したっけな。若いころ、中学生の頃。

あらためた噛みしめてみると、さすがは漱石先生。うまいことをおっしゃっている。慧眼だ。

そっくりそのまま今の世相だとも。

“智に働けば角が立つ。情に棹さしゃ流される。意地を通せば窮屈だ”。そうなんだよな今の世の中。

漱石先生は山を登りながら考えたらしいが、平地を歩いていてもそう感じるぜ。

だいたい、草枕なんて呑気なことも言ってられないし。
そうだよ、草枕なんて言葉はもう「死語」になっているかもしれないし。

桜、桜、花見の季節。見上げる桜花は華麗だが、その足元は・・・。

土、土、土。寝転んで見上げるわけにはいかない。

家の近所の公園。除染で芝生がはぎとられたまま。なんとも潤いの無い光景ばかりなんですよ。

“水と緑の郡山”てのがキャッチフレーズだたんですがね。


新聞読んでもテレビを見ていてもなにやら腹の立つようなことばかり。

今日腹が煮えくり返るのは政府が閣議決定した「新エネルギー基本計画」。

原案にあった前文には、それでもフクシマに対する反省があった。
“東京電力福島第一原子力発電所の事故は、我が国の社会に対して、甚大な被害を与えた。
政府及び原子力事業者は、いわゆる安全神話に陥り、十分な過酷事故への対応が出来ず、このような悲惨な事態を防ぐことができなかったことへの深い反省を一時たりとも放念してはならない“。

そんな文言どこにも無い。「フクシマ」は無かったことにされている。そう断じざるを得ない。憲法解釈の変更問題にしても、武器輸出三原則の問題にしても、
政権は、この国をどういう国にしようとしているのか。

新ネルギー計画。たぶん、国際社会の笑いものになると思う。懲りてない国として。

ただひたすら“わが道をゆく”。

今日は桜を観る会だったとか・・・。桜の花もほころび、「坊ちゃん」の笑顔もほころぶ。

角が立とうと流されようと、窮屈であろうと、まだこの国は、人でなしの国にはなってもらいたくは無い。

住みにくい世を住みやすく・・・。

“大臣の肩は数百万人の足をささえている。背中には重い天下がおぶさっている”。

「物言わぬは腹ふくるるわざなり」って兼好法師は書いていたけれど、漱石先生の言う「存分食えばあとが不愉快だ」お言葉あれど、もう少し、物申していかねばならぬ、ってことかな。

毎晩寝苦しいのは「枕」のせいかもしれない・・・。

2014年4月11日金曜日

「一億総白痴化」と「一億総評論家」と

いきなり余談。
白痴。Hakuchiって入力したら変換無し。白地か白雉、白雉。パソコンの変換機能ってどうなっているんだい。パソコンの白痴化かい。
文豪ドストエフスキーは怒っている。「俺の作品の題名をどうしてくれるんだ」とばかりに。

「一億総白痴化」。テレビが“市民権”を得はじめた頃、評論家の大宅壮一が放った“名言”。一世を風靡した流行語だった。
「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見て
 いると、人間の想像力や思考力を低下させ一億総白痴化になる」

そんな見解。同じようなことを松本清張も言っていたような気がする。

その頃テレビの世界に入り、“白痴化の実態”も見たし、そうならないようにとも心掛けていた。・・・つもり。

大宅壮一の言わんとするところは、送り手のテレビに向けられたものなのか、受け手としての視聴者に向けられたものなのか。やはり、送り手に対しての警鐘だったと思う。

総白痴化が進んだのか、なったのか。メディアリテラシーという考え方が生まれ、それが“防波堤”“防潮堤”になったのか。それはともかくテレビに対する見方としての「総白痴化論」は今でも生きていると思う。

そして、“白痴化”させられた1億の人が、“総評論家”になっているということ。
何事に対しても意見をいうのは良い事なんだけど・・・。

昨夜、NHKのクローズアップ現代というのを見ていた。「小保方問題」。
街頭インタビューあり。インタビューの仕方がどうなのかはわからないが、それぞれが答えている。
でも、およそ事の本質をとらえていないよう答えだし、街頭インタビューに相応しい問題なのだろうか。
マイクを突き出され、即座に答えられる事なのだろうか。

なんで街頭インンタビュー。町の声っていうのはサラリーマンは新橋、ご婦人は銀座、若い人は渋谷、年よりは巣鴨って定番化されているのだろう。

そして科学者へのアンケートというのが。返ってきた答えの一行だけ白抜きで伝える。
その番組の演出者が好んでいるようなものだけ。これってまさに「切り貼り「じゃないのかって。

1億総評論家。その現象が顕著なのがネット。それぞれのことに、それぞれの人が意見を持つ。それは“民主主義”の要諦ではあるものの。

ネットに溢れるのは、だれかの見解の引用。

ネットの引用は「3・11」以来多発した。なんども言うが「事実と異なる写真」が出回り、「愚にもつかない言説」が正論として拡散され。

人は最初に出会った言説に多くが影響され、それが刷り込まれると言う。

いったん刷り込まれた考えや見方からなかなか抜け出せない。

「子供は最初に接した文学や芸術から、その後の精神形成に大きな影響を受ける。人格が形成されてくる」。
そうした論に基づいて、3・11後、その年の暮れに出来た子供たちの遊び場。外遊びが出来ない子供たちを支援する場、ペップ・キッヅこおりやま。
そこではまず大きな砂場を作り、そこで、子供たちに、自然に、遊びのルール、マナーを会得させた。
そう、“人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ”の実践。そしてボランティアの人たちは、子供たちに絵本や童話の読み聞かせを行っていた。
今ももちろんやっているし、それは拡大される予定。

ネットの反応、インタビューの答え。そこには「立ち止まって考える」って“もの”がない。即反応するってことへの違和感。

極端に走っているようだけど、ネット、デジタルって社会は、「考える」ということをある意味人から奪っていってしまっているような気さえして。

「お前も評論家みたいなことを書いているじゃないか」ってお叱り受けるかもしれませんが、評論しているつもりもないし、そんな素養もありません。ただ、ご隠居の小言と思っていただければ・・・。

それにしてもウインドウズ7搭載のノートパソコン。やはりモニター小さくて疲れます。目がやられます。どっかの研究室や学者さんの部屋にあるような大きなモニター欲しいな。眼精疲労が昂じて視野狭窄に陥らないためにも。
はい、余談ではじまって余談で終わります。

2014年4月10日木曜日

STAPとXPとDIGITALと

歌が替え歌になって・・・。陽水の傘が無いです。
♪都会では、細胞のことばかり言われている
今朝来た新聞の一面にも書いていた。
だけども問題は今日、明日のネットのこと
やらなくちゃ、はやく、やらなくちゃ、ソフトの入れ替え~~♪

ということでXPを7に入れ替え。ほとほと疲れました。時間がかかりました。
もうちょっと・・・。

IT時代、デジタル。なんか腹立たしい。マイクイロソフト社の方針でXPサポート終了。支援無し。“自立”のための入れ替え作業。カネがかかる。手間もかかる。なんか慣れない・・・。
98、2000、XP。なんで“機種変”みたいなことを数年おきにやるのだ。その度儲かるのはMS社であり、パソコン屋と思ってしまう。

どうも消費税と似たような構図。末端からカネを吸い上げる・・・。

デジタル、デジタル、IT,IT。イットってなんじゃい。そう言った総理大臣がいた時代が懐かしくもなったり。

0と1の無限の組み合わせ。デジタル。0と1。2極に割り切らせるデジタル社会。
山と民家。途中にある必要不可欠な里山が無いような世界。

フィルムからVTRに。そしてデジタルへ。テレビなどの映像の世界の人たちは困惑していた。表現方法が変わってくるのだから。
デジタルカメラの普及は、ネット上にも毎日画像や動画が登場し。メッセージのあるものも無いも物も。
1秒24コマ。パーフォレーションというフィルムの穴を機械に合わせるのに一苦労だった時代。フィルモって手持ちカメラはいいとこ20分まで。
2時間半の記者会見など回せるわけも無く。

♪テレビでは我が国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をしてしゃべっている・・・だけども、問題は・・・♪

STAP細胞をめぐる小保方会見。
「*フラッシュの点滅にご注意ください」。テレビの画面に出る“深刻”なメッセージ。デジカメの時代になんで、フラッシュがあれほど必要なんだろう。彼女がいる場所に照明があたっていればフラッシュ炊く必要ないはずなのに。

会見見ていて思い出した光景。似たような光景。マスコミとのやりとり含めて。
酒井法子、ノリピーの「薬」事件での会見と同じような。

デジタル化ゆえの画像ねつ造、コピペ。パソコンを駆使して作られた論文。

そして問題は、研究ノートのこと。まさにアナログノート。手書き、ボールペン使用、日付記入、ページの差し替え出来ない糸綴じのノートの存在。
重要視されるアナログノート。

全くの現象面だけの話だけど、笑える。そして、それは「研究の世界では常識」なんだということ。
XP云々の前に改ざん、コピペ出来ないパワーポイントのソフトの開発。科学の世界では、それは出来ない事なのか。

容姿と研究とは無関係なことだと思うけど。

デジタル技術で運用されていた原発。破壊されたデジタルのシステム構成。
ベントに向かったのは人力。全くなアナログ。

デジタル技術が開発したスピーディ。公表するかどうかは人の判断。ベントの指示も人の判断。

どう考えても、世の中、ちょっと変だ。そして日本語が壊れて行っている。
余談のようだが、今朝来た新聞のどこかにあった。STAP絡みで。
「存在力説 消えぬ疑問」という見出し。

あれれ、存在力説という新しい学問の分野が出来たのかな。読んでみたら違っていた。
STAP細胞は存在しますと力説したのだという。
ならば見出しに一文字。を、を入れれば分かり易いのに。存在を力説って。

デジタルの進化、パソコンの普及、パソコン無しには成り立たない社会構造。その中で「日本語」が“アナログ言語”として排斥されているような。

気が付いたら表はなんとなく雨の気配が忍び寄る・・・傘を持っていないんだけどな。

2014年4月9日水曜日

その切符をまた収まった・・・

前にも書いたと思うが・・・。
一枚の切符を持っている。それは「欲望という名の電車」の切符では無い。
希望を託した鉄道切符。それは300円で売られていた。買った。

釜石発 復興未来行き。

諦めない限り有効。下車前途無効。

3・11釜石復興の祈り発行。三陸鉄道公認。

三陸鉄道は、北リアス線と南リアス線が全線開通した。釜石から盛まで行ける。
北リアス線も久慈から田野畑や宮古まで行ける。

全線開通した列車は趣向が凝らされ、そこには“復興”の声がこだまする。
観光客も多いという。

しかし、両線をつなぐJP山田線は復旧していない。

北、南線が開通したとき、沿線には、駅には大勢の人が集まり、手を振り、旗を振って笑顔で開通を祝っていた。
JR東北本線が開通した時、福島、郡山間か本宮からだったか。
「スマイルプロジェクト」というJRの企画があり、沿線の人たちが手を振り、旗を振り、並んで走り、笑顔がいっぱい振り撒かれていた。

JR東日本企画のアイディアで、たしか大手の広告会社が作ったプロジェクト。
たしかにいい光景だった。
そしてJR東日本は、“復興”の一助にとデスティネーションキャンペーンを実施している。デスティネーションキャンペーン、なんと和訳したらいいのかわからないが。狙いは“観光”のようだ。

今年は福島が、そのキャンペーンの該当地だという。

去年は八重の桜、三陸は、あまちゃん。NHKの番組の威力。
観光、観光。一時滞留の“人口集積”。復興との関連性。よくわからない。
観光客が訪れてくれるのは結構。それなら「永続性」のあるものにしなければ。

八重の桜ブームで、会津にはそこそこ観光客が訪れたと聞く。ドラマが終わった今年はどうなるのだろう・・・。

三陸鉄道。沿線に見える景色。海側はたぶん茫漠たる被害の跡。
通勤、通学、買い物。沿線住民にとっては待ち焦がれていた開通には違いないのだけど。

地域密着の三陸鉄道の復旧に向けた努力は多としたい。それに賭けた熱意も称賛に値する。一歩前進だ。

“復興”なるものの礎かもしれない。

復興、復興、復興・・・。

何をもって復興とするのか、どうなれば復興なのか。

昨夜も若者たちと“復興”について話し合った。
「復興という言葉に何をイメージしているか。一人一人が違う」。それがおおかたの“結論”。

形としての復興、心の復興、人間の復興・・・。様々な観点。

「たぶん、キミたちが生きている間は“復興”という言葉はついて回るよ。だから、それぞれが“自立”した考えを持って、復興と言うことを考えていこうよ」。そう呼びかけてみた。

逆境に身を置いた者の考える復興と、東北に逆境を押し付けているような中央の考える復興。

復興という言葉は一生ついてまわる。そう言った以上、いや、そうだと思うから、一人一人が違うイメージを持っているものだからこそ、それを一致させるのは、一致点を見出すのは至難の業に近いとも思うから・・・。

だから「復興未来行き」の切符は使わない。まだとっておく。抽斗にしまっておく。
その切符が使える日がくることを願いながら・・・。

なんか書きながら、昔見た映画を思い出していた。
「鉄路の闘い」。それはレジスタンスの映画だったはず。

しかし、三陸の“鉄路の男たち”は強いよな。しみじみと思ってみたり・・・。


2014年4月8日火曜日

「支援」から「自立」へ

卒業式のシーズンが終わり、きのうは郡山では公立校の入学式。
どこの父兄でも無いボクは、入学式で校長先生からどんな「言葉」が伝えられたのかはわからない。

校長の一言が、その子たちのこれからの人生に大きな影響を与えることもある。

きょうは月一回の塾だ。新たな塾生が入ってくるわけではない。きょうの塾では「支援」と「自立」ということについて話そうと思っている。

少し前、自由の森学園の卒業式での校長の言葉を引用した。
学ぶということの意味を説いたものであり、見えないものを見る目を養う事だと説いた式辞。

学ぶということ、見えないものを見るという事。それは個が自立することにつながる。個が自立するということ。自己を確立するということ。それは、人間の尊厳につながること。

津波で流されて地域。家族や友人を失った子供。当時中学3年生。今年高校を卒業した。
彼らは、どうやったら地域のために役に立てるか。模索しながら、考え、考え、精神的自立の道を選んだ子たちがいる。

双葉郡でもそうだ。福島県人であるという、被曝したかもしれないという「アイデンティティー」を語り、自分の立ち位置を決めている高校生がいる。
「自立」の道を選択し、学びの場を通して、「支援」を必要としている人の役に立ちたいと考えている。

「自立した若者」に、またもやシンボルスカの詩、終わりと始まりの、最後の方にある一節を送りたい。

“それがどういうことだったのか
知っている人達は 少ししか知らない人たちに
場所を譲らなければならない
そして 少しよりはもっと少ししか知らない人たちに
最後はほとんど何も知らない人たちに“

「自立」の場に身を置いた若者たちは、すでに、知らない人たちの場所を譲る作業に入っているようにも思える。

支援と自立。二つの言葉の相関関係が、4年目の課題だとも思えてくるのだ。


全くの余談、横道・・・。
サポートとは支援ということだろう。パソコンはウインドウズのXPを使っていた。サポート体制終了とか。
仕方なく、2日がかりでウインドウズ7に替えた。知人の手を借りながら。
とりあえず一台だけ。
なんとなく慣れない。
しかも参ったこと。メールはアウトルックエクスプレスを使っていた。それが無くなり、別のメールソフトになった。そして、アドレス帳が変わった。
消えたアドレスもあるし、あいうえお順に並んでくれない。探し出すのが大変だ。心が折れるよな・・・。

カネもかかるし。ボクの個人情報が盗まれるのだけなら構わない。データにだって大したもんは入っていないし。ただ、メールアドレスが盗まれ、その人達に迷惑メールが、ウイルス感染したのが送られたら迷惑をかけることになる。
迷惑はかけたくないから自己防衛。

それにしても、IT革命、IT時代。光と影が混在しているような。

そうだ、外から浴びせかけられ、内から叫ぶ「復興」という言葉。現象。そこにも光と影が混在しているように思える。
だから見えないものを見る目・・・と。

2014年4月7日月曜日

なぜか「昭和」のものがたり その4

ジャズ本に触発されてしまった・・・。一つの曲にまつわる話しだ。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」ではないが、なぜかその曲には重なるものがあるのだ。プルーストの全集は、いつの頃かの引っ越しで、手元から無くなってしまったものだけど。

もう20年近く前か。こんな事を書いていた。寄稿していた。昭和への記憶が、パソコンの蓋を開けさせ、探し出した一文。

「そう、今、匂いが無くなっている。時代が匂いを消している。大人も、子供も、自分の匂いを消している。無味無臭の時代。毎朝の新聞からも、あの印刷インクの匂いが消えたような気がする。それと同時に、記事からも匂いが消えた。

昔、闇市は饐(す)えた雑駁な臭いに包まれていた。しかし、その饐えた雑駁な臭いは、生き抜こう、立ち上がろうという生命力にあふれた臭いだった。

その頃、東北から上野に向かう夜行列車で一人の少女に出会った。皆、寝静まっているはずの車内から、かすかなハミングが聞こえてくる。目覚めた耳に届いたのは、少女の歌う「テネシーワルツ」。
セーラー服の少女は、隣に眠る父親の寝息を伺いながら、テネシーワルツを繰り返し口ずさんでいた。
思い出なつかし あのテネシーワルツ 今宵も流れてくる
別れたあの時 今はいずこ 呼べどもどらない
去りにし あの夢 あのテネシーワルツ なつかし 愛の歌
面影しのんで 今宵も歌う うるわし テネシーワルツ
就職のための上京なのだろう。
歌いながら少女は、膝の上に化粧道具を取り出した。慣れぬ手つきで口紅が塗られ、顔に色が重ねられて行った。鏡代わりの窓に顔を映しながら・・・。
少女の塗った化粧の匂いは、大人に脱皮しようとする試みの匂いだった。
何故テネシーワルツだったのか分からない。
いつしか眠りに落ちたあと、再び見た少女の顔から化粧は落とされ、口紅の跡だけがかすかに残っていた。都会に降り立った少女の顔には、毅然とした匂いが漂っているようだった。
失われた時との出会いが紡ぎだす想い出・・・。
忘れていたもの、失われた時との邂逅。目を閉じると浮かんでくるあの時代の光景・・・」。

そんな文章だった。

パティーペイジが唄っていたこのワルツ。“失恋”の歌だ。でも、それは恋人に名を借りた時代の移ろいを悲しんだ歌のようにも聞こえた。

彼女はオクラホマかどこかの貧しい農家の生まれだった。夜汽車で歌う女の子の歌は“望郷”の歌にも聞こえたから。

家を失い、家族を、友達をなくし、故郷を奪われ、時も失った。東北の多くの人が、そこから這い出せない去年、彼女は生涯を閉じた。
♭のついた、マイナーなワルツは、やはり哀しい。このテネシーワルツを封印したい思いに駆られた時があった。区切りを付けようと思い、その頃行きつけだった店で歌った。

そして仲の良かったミュージシャンに、4分の4拍子に編曲して演奏し、歌ってくれないかと頼んでみた。チャレンジはしてもらったがやはりダメだと言われた。

ワルツはワルツなんだな・・・。

なぜテネシーワルツのことを思い出して書いたのか。昭和の時代、有楽町に「テネシー」という名のジャズ喫茶があったから。

2014年4月6日日曜日

なぜか「昭和」のものがたり その3

2011年4月。塾は休講にした。第二週の火曜日。塾生が集まれるかどうかわからない。何を話せばいいのか考えがまとまらない。

講義はしないけど、集まれる人だけ集まろうということになった。ほとんどの塾生が集まって来た。塾生の一人がギターを持ってきた。みんなで歌を歌いましょうと。

歌った曲の一つが♪見上げてごらん夜の星を♪。

その歌は、昭和の時代、昭和を象徴する歌。東北の各地から集団就職で東京に多くの若者が“運ばれた”時代。その若者たちの胸中を思い、故郷にはせる思い。その若者たちへのエールとして作られた曲だと聞いていた。上を向いて歩こう、と同じ趣旨で。

歌いながら塾生たちは泣いていた。泣きながら歌っていた・・・。

柳 美里が最近書いた本。「JR上野駅公園口」。1933年生まれの主人公。
福島県の南相馬の“水のみ百姓”の家に生まれ、出稼ぎだらけの人生。

柳 美里は「3・11」の1年後から南相馬の災害FM局でパーソナリティーの仕事をしているそうだ。

以前からあたためていた構想に「3・11」が重なり出来上がった小説。

出稼ぎ、上京、帰郷、出稼ぎ。息子を亡くし、妻も亡くし、上野公園でホームレスをしていた日々・・・。

なんの脈絡も無いが、昭和の社会構造と、東日本大震災を経験した平成の東北が、どこかでクロスする・・・。

東北新幹線がまだ上野が終着駅だった。福島に来たのは。
上野駅、何回降りただろう。乗っただろう。

上野駅は昭和も平成も知っているんだよな。

坂本九の歌が、昭和の歌を連想させる。ジャズではなく。

悪気の全く無い“冗談”だ。歌詞の読み替え。
昭和の歌は、今の歌だといってもなんの無理筋では無いということ。

神田川・・・。

「三畳一間の小さな下宿」を「4畳半一間の小さな仮設」に置き換え。

傘がない・・・。

「都会では自殺する若者が増えている」を置き換える。

「仮設では自殺する年配者が増えている・・・・」と。


中島みゆきの♪時代♪

“今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔にはなれないけれど
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで きょうの風に吹かれてる

―――きょう倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ

めぐる めぐる時代はめぐる・・・。


昭和の歌は今の歌ではないか。昭和という時代は、いい歌をいっぱい生み出したんだな。

昭和生まれの若者たちと、昭和の歌を一緒に歌っていたこと。

4年前の今頃の“記憶”なのです。

2014年4月5日土曜日

なぜか昭和のものがたり その2

きのう書いた「ジャズ本」を読みながら、字を負いながら、頭のどこかには、“光景”がズームインされてくる。

数か月前、渋谷の、あの懐かしの渋谷に行った。藤原敏史監督の作品、ドキュメンタリー映画「無人地帯」の劇場公開で。
その劇場は円山町のラブホテル街にあった。すぐ脇が百軒店。道玄坂百軒店(ひゃけんだな)。

映画のあと、百軒店に行った。町の装いはすっかり変わっているのに、その入り口はなんとなくわかるのだ。その一角。スイングがあったところにそれは無い。オスカーのあったところはラブホテル。でも、間違いないんだ。そこの昔の匂い、雰囲気は。曲がり角の在り様は・・・。
無い、無い。恋文横丁も、路地はあったが呼び名や景色は無い。くじらやも無い。

町が変貌するってこういうことなんだろうな。無人地帯が仮に有人地帯に戻ったとして。

「ジャズ本」の巻末には「東京ジャス喫茶地図」というのが添えられている。
そこには渋谷には、オスカーもスイングもデュエットも掲げられている。どこかに移転したのだろうか・・・。
そういえば何回か行った。横浜の「ちぐさ」という店。怖いママ(そう思えた)がいた店。どうなっているんだろう。

思い出したぜ。渋谷のスイング、そこはデキシーランド専門の店。“シャム猫”と呼んでいたお姉さんがいた。綺麗な人だった。皆、憧れていた。いつの間にかマスターと出来てしまっていたと、だいぶ後になってから学生時代の仲間から聞いた。

夕暮れの渋谷。そこを、思い出をたどりながら歩いているおっちゃん。おちゃんは、“失ったふるさと”の面影を必死に探していたんだろうな。
昭和という時代の匂いを取り戻そうとしていたのだろうな・・・。

無人地帯で思い出した。一つのカット。たぶん、そこはいわきの海岸だったと思う。瓦礫しかないかつての町。瓦礫の町。
突然、人影が。犬を散歩させている女性。何も無い街でも犬はマーキングを覚えていたのか。オシッコをし、ウンチをした。飼い主の女性は、そのウンチを、日常の仕草のように拾って、持っていた袋に入れた。

多分、避難所から、もと在った家の方に、散歩コースの方に降りて来たのだろう。

瓦礫と犬と後始末と。

もちろん、今、その場所の瓦礫は片づいている。新しい家が建っているかもしれない。あの犬はマーキングの場所を覚えているのだろうか。

福島市に「ミンガス」という名のジャズ喫茶があった。年かさのママさんが一枚一枚レコードに針を落としていた。

子供の頃、なぜか家には手回しの蓄音器があった。数枚のレコードがあった。それを聴いてきた。一枚だけはよく覚えている。「碧空」というタンゴの、コンチネンタルタンゴのレコード。それとなぜか「ラベルのボレロ」。

ラジオが普及した頃、毎日リクエスト葉書を出して、毎晩聴いていた番組。「L版アワー」。リクエスト曲は、毎回飽きずに♪世界は日の出を待っている♪。
ジョージルイスだったか。あのバンジョーの音色は今でもなぜか鮮明なのだ。

昭和の時代、通称「ワンマン道路」というのがあった。大礒の自宅から東京へ通う宰相吉田茂が作らせた道。
今―。東京に「マッカーサー道路」というのが出来上がりつつある。
東京オリンピックをにらんで。

都心に一直線の道路。関東大震災の後、後藤新平がそれを“構想”した。幅広い道路。予算の関係で消えたという。
戦後、占領軍は「マッカーサー道路」を構想した。一面焼け野原の東京の“復興”の公共財として。

後藤新平が線を引き、GHQが線を引いた都市計画図。そこに、平成に復活したマッカーサー道路が地図上ではぴたりと当てはまる。

昭和の東京と平成の東京の光景・・・。
廃炉の期間とされている40年後。福島の光景は想像すらできない・・・。

2014年4月4日金曜日

なぜか「昭和」のものがたり

友人が本を届けてくれた。著者と知り合いらしい。
「昭和・東京・ジャズ喫茶」という本。著者はシュート・アローというペンネーム。昭和56年に大学に入り、バンドをやり、当時のジャズ喫茶を“徘徊”していた人だという。

早速読んでみた。思考が、頭の中が50年以上前に逆戻りする。
その本にあるジャズ喫茶のほとんどを僕は知らない。知ってる店もある。水道橋のスイング。よく通った店だ。学生時代。そこで村上春樹がバイトしていた。それは後日知ったこと。作家を本業とする前は、吉祥寺あたりで「ピーターキャット」というジャズ喫茶をやっていた。それも知っていた。
郡山の親友が、当時吉祥寺のレコード店で働いていて、村上春樹はそこの常連だったということから。

学生時代。朝、家を出る。お茶の水の駅を降りるとそのまま名曲喫茶に。昼、学食に行ってカレーを食い、午後は近くにあったニューポートというジャズ喫茶へ。夕方水道橋まで電車で行ってスイングに寄り、富阪の練習場へ。

土日は渋谷か新宿。仲間と一緒に。スイング、オスカー、木馬、ダット・・・。ジャズ喫茶めぐり・・・。そんな日々。

ジャズに飽きた時、神田錦町にあった店に行っていた。名前は忘れたが、そこはナットキングコールの曲だけ、朝から晩までかけていた。いつもかかっていたのが「スマイル」。

女子フィギアスケート。浅田真央がこの曲を使っていた。♪SMILE♪
サッチモの♪What a Wonderful World♪とミキシングして。

“スマイル たとえ心が痛んでも、スマイル、たとえ心が引き裂かれても
空に雲がかかっていても、大丈夫 微笑めば 悲しくても怖くても
微笑めばきっと明日は 人生まだ捨てたもんじゃないと思えるんだ・・・・“

そんな歌詞の曲だった。

チャップリンが作曲したもの。あの時代の“文明批判”。そしてナットキングコールが詩をつけ、娘のナタリーコールも歌い・・・。
マイケルジャクソンだって子供たちに囲まれて歌っていたこの曲。

勝手に想像する。真央ちゃんがこの曲を選び、なおかつ素晴らしい世界をも重ねたのは・・・。そう東北への応援歌だったと。

SMILEは微笑み。LAUGHでは無い。

「微笑みは涙をこえる」「微笑みに勝る化粧なし」
「悲しみは残酷だけど、微笑みは涙をこらえる」

そんな言葉が避難所に張り出されていた時もあった。

ほとんど、原詩に忠実な訳詩。さらに続くー。
“もし、微笑めば光が差込み、哀しみの影を全部消してくれる
涙が近くに迫ってきても そんな時こそ 頑張る時だよ
微笑もう 泣いたってどうにもならないんだ 人生はまだまだ価値があるってわかるんだ“

静かなメロディーのなかの囁くような歌声。

やばい。時計の針が逆戻りだ。昭和という時代に・・・。思い出が「ものがたり」を紡ぎそうでやばい・・・。

2014年4月3日木曜日

「3・11」と「消費税」

テレビの画面は逆Lに切られ、津波情報が流れている。
画面の右下には日本列島の地図。黄色い注意報の区域の点滅。

まったくあの日と同じような。再来のような。津波情報の中で「3・11」は生きている。
チリの断片的な光景。打ち上げられた漁船。見覚えのある光景に見える。

規模の大小はあっても・・・。

そして朝方の震度4の地震。「かんべんしてよ。もうごめんだよ」。

間もなく津波注意報は解除されるというが・・・。

「3・11」の後、水や食料を求める人たちは、不思議なくらいに整然と並び、順番を待ち、暴動も略奪も起こらず、その姿は世界から称賛された。
本当の危機や飢餓の時、逆に人間は冷静になれるのかもしれない。そんな逆説的な感情も覚えたほど・・・。

給水車に整然と並び、スーパーが開店すれば長蛇の列を作りながらも待つ。
生命線ともいえるガソリン。その給油を受けるための長蛇の車列。
そして・・・。
3年という月日を挟んで、同じような“光景”を見ていた数日前。いや同じようでいて異なる“光景“。

消費税が5%から8%に上がる数日前から。3%の「値上げ」を嫌う人たちはデパートやスーパーで買占め、買い溜めに走っていた。テレビは“面白そう”にその光景を映していた。

売り場に殺到した人は、とにかく何でもいいと言わんばかりに買いまくっていた。明日食べるものが無いってわけじゃないのに。

3月31日の夜はガソリンスタンドに長蛇の列。満タンに入れようとする人達。
暖房のためにエンジンかけっぱなし、ライトもつけたまま並ぶ、並ぶ。
アイドリングで消耗されるガソリンはどのくらいの量なのだろう。
もしかしたら3%上乗せ分をオーバーするんじゃないかな。

全く違う環境、状況であり、全く違う事象ながら、見える光景に似通ったものを感じてしまった。

東日本大震災。死者は1万6千人。一括りの数字で語られる。語ってはいないか、伝えているだけか。
一人一人の死者や、その家族に政治の目は向かない。

消費税増税。一家当たり年間10万円の“増”だと言う。

消費税増税の総額が政治の場では語られる。一般会計の歳入として。それを負担する“個々人”のことは語られない。

増税で果たして国が潤うのか。財政ということから考えれば焼け石に水。増税は社会保障に、高齢化対策に向けるという。嘘だ。

高齢者の多くは、福祉政策を必要としている人は“弱者”だ。消費税増税に苦しむのも低所得者という“弱者”だ。

弱者をダシにして弱者をいじめる・・・。

目的税ではない。一般会計。どこに使われるのか。無駄使いは必ずある。

「自らが身を切る改革をしてから」。そんな決まりきったような“解説”にもうんざりだ。

今月から消費は落ち込むだろうと“専門家”なる方は見通しを語る。3か月もすれば“復活”するでしょうとも言う。

まともな経済政策論議を書いているつもりは無い。いわば実体論、感情論だ。

現に、たばこをやめようと思うというひとがいる。出来るかどうかはわからないが。
昼飯代を倹約するという人がいる。おかず無しのおにぎりだけとか。
飲み会はやめると言う。

なんか悲しくなる。

アベノミクスとやらで、優良企業はベアに踏み切った。大手のコンビニもそうした。正社員の給料は上がった。「外食を増やします」と言っていた。
コンビニのバイトの時給は上がらない。据え置きのまま、増税された価格のそのコンビニの弁当を買わなければならない・・・。

「3・11」は風化した。風化が固定化された。この国のどこかが変わると思った。3年経って、どこもなにも変わっていない。
多くの事が「忘れ去られて」いる。

今、まことしやかに増税に異を唱えている人も、数カ月すれば、そのことを風化の中にしまってしまうだろう。

8%の消費税は当たり前の事。そんな感覚に皆陥ってしまうのだろう。増税論議も「風化」する。

大惨事と増税。比較の対象にならないことだけど、意識の中に潜む“共通項”。

2014年4月2日水曜日

「科学に対する誠実さ、謙虚さの欠如」なんだってさ

「3・11」以降、普通の国民が、なんとなく気付いていることがある。
権威というものに対する疑念、不信。

そして「科学」というものにたいする、なんとなしの不信。いや、もっと言えば抵抗か。

「3・11」後、引き合いに出され、再認識させられたのが科学者寺田寅彦の残した言葉の数々だった。
災害は忘れたころにやってくるーから始まって。

誠実さを装いながら、放射能の不安を駆り立て、福島県人を「バカ呼ばわり」するような科学者、原子力の“専門家”がいた。
およそ謙虚さのかけらすら見えない原子力“専門家”という、肩書を持つ科学者がいた。

ネットからはじまって既存メディアまで、その人たちの言を取り上げ、それらを「良し」としていた。

「3・11」以降、科学者と言うのが信用出来なくなっていた。なんで、勝手に相反することを言い合い、誹謗し、中傷し合うのか。

とかく人間というのは「権威」に弱い。

「3・11」後、その詩を噛みしめていた。茨木のり子の「倚りかからず」

もはや、できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや、できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや、できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや、いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて、心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目、じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば、それは、椅子の背もたれだけ

何回も使わせてもらったがまた書き写す。

「科学に対する誠実さ、謙虚さの欠如」。STAP細胞問題で、理化学研究所が小保方晴子に対して切って捨てたように言った言葉。

理化学研究所の幹部の人たちは、すべからく「誠実さと謙虚さ」を持っていたのかと問い返したい。

マスコミの論調も、どこか二の足を踏んだように隔靴掻痒。マスコミはまたもや「専門家」を登場させ、それぞれの“見解”を求める。

すっきり伝わるものが無い。「専門家」に代弁してもらっているような。

専門的な科学の話であり、その中での“不祥事”とでもいえること。まなじっかの専門家の話よりも、ワイドショーのネタになり、ど素人が戸惑いながらも喋っていることの方が正鵠を得ているのかもしれない。学閥や門閥。先輩後輩。
なにやらわからぬ人間関係で成り立っているような「象牙の塔」の内部。

原子力発電所は原子力工学の専門家が作れても、事故防止策は作れず、まして爆発したあとはお手上げの専門家。

寺田寅彦はこんなことも言っていたそうだ。
「科学者になるには自然を恋人にしなければならない。自然はその恋人にだけ真心を打ち明ける」って。

理化学研究所。通称理研。渋沢栄一が作ったもの。そして、その理研は原爆製造に当たろうとする。仁科博士の頃か。

福島県石川町に、ウラン鉱脈があるということで研究者が押しかけていた。戦争中。結局は「使い物にならない」ということで無しになったが。

石川町には今でもあるのだろうか。町の入口に。「ようこそ水晶の町へ」。
水晶なんか無いさ、出ないよ。あれは昔、ウランのことを言ったんだ。
25年前、町の古老から聞かされていた。

組織。いかに科学文明が進歩しようと、便利なものが出来ようとも、人間の本質は笑えるくらい変わっていない。
組織に踊らされる人間模様をSTAP細胞問題に見る。

笑えるくらい変わっていない。東京タワーという小説の中でリリーフランキーが書いていたこと。その本も10年前に書かれたもの。

2014年4月1日火曜日

「身の丈に合う」ということ

衣服などが背丈、体の大きさにぴったり合っているさまなどを意味する語。転じて「分相応」という意味で用いられることも多い。

辞書で「身の丈に合う」と引くとこう出ている。

子供の頃、身の丈に合わない衣服を着ていた。祖母の着物のおさがり。貰い物の洋服。大きいのを無理やり。「大は小を兼ねる」って言葉を教わった。

衣類の話はともかく・・・。分相応という転義が大事だ。

この国は「身の丈に合った」ことをしている、志している、自覚している。そういう国だろうか。

原発は分相応の持ち物だったのだろうか。地震が多発する国。津波が来る国、海に囲まれた国。
身の程知らずにエネルギーを欲しがり、身の程知らずに科学文明を進歩させ、いや、進歩したと勘違いし。
大借金の予算を作り、なお成長、成長。そのうち成長、身の丈に追いつかないつんつるてんの衣服をまとう事になるは必定。

分不相応。そうだ、みんな大いなる勘違いをしている。豊かでないのに豊かだととの幻想を抱き。

大言壮語するはさておき。

例えばビール。最近のCMでのビールにかかわる投下量は半端じゃない。アサヒ、キリン、サッポロ、サントリー。どこのCMかわからないくらい。同時間、同枠内の“競合”もなんのその。
でね、そのビール。全部が「プレミアム」。なんとかプレミアム。高いビール。
消費税が上がるというのに「高いビール」を買うのが当たり前といった具合。

プレミアム。プレミア。プレミアチケットとは「上乗せされて料金」のチケットのこと。さらには、割増金がプレミアム。

ビールの場合は「高級」ということらしい。なんか、国民全員が「お金持ち」になって「贅沢」しなさいよといわんばかり。

プレミアム、プレミアム。

つい数年前までは発泡酒や第三のビールといった廉価なものが主流だったのに。
そのCMばかりが流されていたのに。

ヱビスが一番高いビールと思っていた。いや、事実そうだった。高級品であり、高嶺の花だった。去年からか。贈答品で出回ったアサヒのプレミアム。ヱビスよりもはるかに高価。

アサヒはあの黒い犬が疾走するビールが主力商品に躍り出ていたのに。10年前は。その製品名も忘れた。

発泡酒から一挙にプレミアムへ。身の丈に合った「とりあえず」なのだろうかなって。

卑近な一例をあげればそんなところか。

なんか身の丈に合わない暮らしがあちこちに。

サラ金CMは減った。投資信託のCMは増えた。

そして何よりも、身の丈に合わない、不具合な仮設暮らしを強いられる「想定外の日常」。

昔、よく言ったもんだ。言われたもんだ。社長でも総理大臣でも、間違ってその地位についてしまっても大丈夫。その椅子に座っていれば、だんだんその地位に相応しくなっていくからって。

しかしだね。身の丈に合わない地位は、身の丈に合わせることかなわずのように思えるのも昨今・・・。

STAP細胞問題で、理化学研究所は「不正研究」は小保方さんの“単独犯”と認定した。小保方さんの“ねつ造”であると。小保方さん、身の丈に合わないことをしたってことかな。

“ねつ造”。最近はいわゆる袴田事件で再審決定の際、裁判長が捜査に対して言った言葉。ねつ造という言葉に反発した検察は抗告した。“ねつ造”は無いということで。
検察の抗告の裏には、検察と言う組織を、何としても防御したいとする「組織防衛反応」が働いているようだ。組織を守るためには「個人」の人権や正義は問題視するに値しないといったような。

理化学研究所という組織を維持し守るために、“単独犯”にされてしまったのではないかな小保方さんは。研究者としては「死刑判決」に等しい。その論文には多くの学者も名を連ねていたというのに。
どこかからの”圧力“もあったのではないだろうか。研究所として多額の補助金を確保するために。

身の丈論の延長線には組織防衛論もあるような気がして。検察も学者の世界も。
これって“無理筋”の話かな。