2014年4月5日土曜日

なぜか昭和のものがたり その2

きのう書いた「ジャズ本」を読みながら、字を負いながら、頭のどこかには、“光景”がズームインされてくる。

数か月前、渋谷の、あの懐かしの渋谷に行った。藤原敏史監督の作品、ドキュメンタリー映画「無人地帯」の劇場公開で。
その劇場は円山町のラブホテル街にあった。すぐ脇が百軒店。道玄坂百軒店(ひゃけんだな)。

映画のあと、百軒店に行った。町の装いはすっかり変わっているのに、その入り口はなんとなくわかるのだ。その一角。スイングがあったところにそれは無い。オスカーのあったところはラブホテル。でも、間違いないんだ。そこの昔の匂い、雰囲気は。曲がり角の在り様は・・・。
無い、無い。恋文横丁も、路地はあったが呼び名や景色は無い。くじらやも無い。

町が変貌するってこういうことなんだろうな。無人地帯が仮に有人地帯に戻ったとして。

「ジャズ本」の巻末には「東京ジャス喫茶地図」というのが添えられている。
そこには渋谷には、オスカーもスイングもデュエットも掲げられている。どこかに移転したのだろうか・・・。
そういえば何回か行った。横浜の「ちぐさ」という店。怖いママ(そう思えた)がいた店。どうなっているんだろう。

思い出したぜ。渋谷のスイング、そこはデキシーランド専門の店。“シャム猫”と呼んでいたお姉さんがいた。綺麗な人だった。皆、憧れていた。いつの間にかマスターと出来てしまっていたと、だいぶ後になってから学生時代の仲間から聞いた。

夕暮れの渋谷。そこを、思い出をたどりながら歩いているおっちゃん。おちゃんは、“失ったふるさと”の面影を必死に探していたんだろうな。
昭和という時代の匂いを取り戻そうとしていたのだろうな・・・。

無人地帯で思い出した。一つのカット。たぶん、そこはいわきの海岸だったと思う。瓦礫しかないかつての町。瓦礫の町。
突然、人影が。犬を散歩させている女性。何も無い街でも犬はマーキングを覚えていたのか。オシッコをし、ウンチをした。飼い主の女性は、そのウンチを、日常の仕草のように拾って、持っていた袋に入れた。

多分、避難所から、もと在った家の方に、散歩コースの方に降りて来たのだろう。

瓦礫と犬と後始末と。

もちろん、今、その場所の瓦礫は片づいている。新しい家が建っているかもしれない。あの犬はマーキングの場所を覚えているのだろうか。

福島市に「ミンガス」という名のジャズ喫茶があった。年かさのママさんが一枚一枚レコードに針を落としていた。

子供の頃、なぜか家には手回しの蓄音器があった。数枚のレコードがあった。それを聴いてきた。一枚だけはよく覚えている。「碧空」というタンゴの、コンチネンタルタンゴのレコード。それとなぜか「ラベルのボレロ」。

ラジオが普及した頃、毎日リクエスト葉書を出して、毎晩聴いていた番組。「L版アワー」。リクエスト曲は、毎回飽きずに♪世界は日の出を待っている♪。
ジョージルイスだったか。あのバンジョーの音色は今でもなぜか鮮明なのだ。

昭和の時代、通称「ワンマン道路」というのがあった。大礒の自宅から東京へ通う宰相吉田茂が作らせた道。
今―。東京に「マッカーサー道路」というのが出来上がりつつある。
東京オリンピックをにらんで。

都心に一直線の道路。関東大震災の後、後藤新平がそれを“構想”した。幅広い道路。予算の関係で消えたという。
戦後、占領軍は「マッカーサー道路」を構想した。一面焼け野原の東京の“復興”の公共財として。

後藤新平が線を引き、GHQが線を引いた都市計画図。そこに、平成に復活したマッカーサー道路が地図上ではぴたりと当てはまる。

昭和の東京と平成の東京の光景・・・。
廃炉の期間とされている40年後。福島の光景は想像すらできない・・・。

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