2014年4月3日木曜日

「3・11」と「消費税」

テレビの画面は逆Lに切られ、津波情報が流れている。
画面の右下には日本列島の地図。黄色い注意報の区域の点滅。

まったくあの日と同じような。再来のような。津波情報の中で「3・11」は生きている。
チリの断片的な光景。打ち上げられた漁船。見覚えのある光景に見える。

規模の大小はあっても・・・。

そして朝方の震度4の地震。「かんべんしてよ。もうごめんだよ」。

間もなく津波注意報は解除されるというが・・・。

「3・11」の後、水や食料を求める人たちは、不思議なくらいに整然と並び、順番を待ち、暴動も略奪も起こらず、その姿は世界から称賛された。
本当の危機や飢餓の時、逆に人間は冷静になれるのかもしれない。そんな逆説的な感情も覚えたほど・・・。

給水車に整然と並び、スーパーが開店すれば長蛇の列を作りながらも待つ。
生命線ともいえるガソリン。その給油を受けるための長蛇の車列。
そして・・・。
3年という月日を挟んで、同じような“光景”を見ていた数日前。いや同じようでいて異なる“光景“。

消費税が5%から8%に上がる数日前から。3%の「値上げ」を嫌う人たちはデパートやスーパーで買占め、買い溜めに走っていた。テレビは“面白そう”にその光景を映していた。

売り場に殺到した人は、とにかく何でもいいと言わんばかりに買いまくっていた。明日食べるものが無いってわけじゃないのに。

3月31日の夜はガソリンスタンドに長蛇の列。満タンに入れようとする人達。
暖房のためにエンジンかけっぱなし、ライトもつけたまま並ぶ、並ぶ。
アイドリングで消耗されるガソリンはどのくらいの量なのだろう。
もしかしたら3%上乗せ分をオーバーするんじゃないかな。

全く違う環境、状況であり、全く違う事象ながら、見える光景に似通ったものを感じてしまった。

東日本大震災。死者は1万6千人。一括りの数字で語られる。語ってはいないか、伝えているだけか。
一人一人の死者や、その家族に政治の目は向かない。

消費税増税。一家当たり年間10万円の“増”だと言う。

消費税増税の総額が政治の場では語られる。一般会計の歳入として。それを負担する“個々人”のことは語られない。

増税で果たして国が潤うのか。財政ということから考えれば焼け石に水。増税は社会保障に、高齢化対策に向けるという。嘘だ。

高齢者の多くは、福祉政策を必要としている人は“弱者”だ。消費税増税に苦しむのも低所得者という“弱者”だ。

弱者をダシにして弱者をいじめる・・・。

目的税ではない。一般会計。どこに使われるのか。無駄使いは必ずある。

「自らが身を切る改革をしてから」。そんな決まりきったような“解説”にもうんざりだ。

今月から消費は落ち込むだろうと“専門家”なる方は見通しを語る。3か月もすれば“復活”するでしょうとも言う。

まともな経済政策論議を書いているつもりは無い。いわば実体論、感情論だ。

現に、たばこをやめようと思うというひとがいる。出来るかどうかはわからないが。
昼飯代を倹約するという人がいる。おかず無しのおにぎりだけとか。
飲み会はやめると言う。

なんか悲しくなる。

アベノミクスとやらで、優良企業はベアに踏み切った。大手のコンビニもそうした。正社員の給料は上がった。「外食を増やします」と言っていた。
コンビニのバイトの時給は上がらない。据え置きのまま、増税された価格のそのコンビニの弁当を買わなければならない・・・。

「3・11」は風化した。風化が固定化された。この国のどこかが変わると思った。3年経って、どこもなにも変わっていない。
多くの事が「忘れ去られて」いる。

今、まことしやかに増税に異を唱えている人も、数カ月すれば、そのことを風化の中にしまってしまうだろう。

8%の消費税は当たり前の事。そんな感覚に皆陥ってしまうのだろう。増税論議も「風化」する。

大惨事と増税。比較の対象にならないことだけど、意識の中に潜む“共通項”。

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