2014年4月7日月曜日

なぜか「昭和」のものがたり その4

ジャズ本に触発されてしまった・・・。一つの曲にまつわる話しだ。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」ではないが、なぜかその曲には重なるものがあるのだ。プルーストの全集は、いつの頃かの引っ越しで、手元から無くなってしまったものだけど。

もう20年近く前か。こんな事を書いていた。寄稿していた。昭和への記憶が、パソコンの蓋を開けさせ、探し出した一文。

「そう、今、匂いが無くなっている。時代が匂いを消している。大人も、子供も、自分の匂いを消している。無味無臭の時代。毎朝の新聞からも、あの印刷インクの匂いが消えたような気がする。それと同時に、記事からも匂いが消えた。

昔、闇市は饐(す)えた雑駁な臭いに包まれていた。しかし、その饐えた雑駁な臭いは、生き抜こう、立ち上がろうという生命力にあふれた臭いだった。

その頃、東北から上野に向かう夜行列車で一人の少女に出会った。皆、寝静まっているはずの車内から、かすかなハミングが聞こえてくる。目覚めた耳に届いたのは、少女の歌う「テネシーワルツ」。
セーラー服の少女は、隣に眠る父親の寝息を伺いながら、テネシーワルツを繰り返し口ずさんでいた。
思い出なつかし あのテネシーワルツ 今宵も流れてくる
別れたあの時 今はいずこ 呼べどもどらない
去りにし あの夢 あのテネシーワルツ なつかし 愛の歌
面影しのんで 今宵も歌う うるわし テネシーワルツ
就職のための上京なのだろう。
歌いながら少女は、膝の上に化粧道具を取り出した。慣れぬ手つきで口紅が塗られ、顔に色が重ねられて行った。鏡代わりの窓に顔を映しながら・・・。
少女の塗った化粧の匂いは、大人に脱皮しようとする試みの匂いだった。
何故テネシーワルツだったのか分からない。
いつしか眠りに落ちたあと、再び見た少女の顔から化粧は落とされ、口紅の跡だけがかすかに残っていた。都会に降り立った少女の顔には、毅然とした匂いが漂っているようだった。
失われた時との出会いが紡ぎだす想い出・・・。
忘れていたもの、失われた時との邂逅。目を閉じると浮かんでくるあの時代の光景・・・」。

そんな文章だった。

パティーペイジが唄っていたこのワルツ。“失恋”の歌だ。でも、それは恋人に名を借りた時代の移ろいを悲しんだ歌のようにも聞こえた。

彼女はオクラホマかどこかの貧しい農家の生まれだった。夜汽車で歌う女の子の歌は“望郷”の歌にも聞こえたから。

家を失い、家族を、友達をなくし、故郷を奪われ、時も失った。東北の多くの人が、そこから這い出せない去年、彼女は生涯を閉じた。
♭のついた、マイナーなワルツは、やはり哀しい。このテネシーワルツを封印したい思いに駆られた時があった。区切りを付けようと思い、その頃行きつけだった店で歌った。

そして仲の良かったミュージシャンに、4分の4拍子に編曲して演奏し、歌ってくれないかと頼んでみた。チャレンジはしてもらったがやはりダメだと言われた。

ワルツはワルツなんだな・・・。

なぜテネシーワルツのことを思い出して書いたのか。昭和の時代、有楽町に「テネシー」という名のジャズ喫茶があったから。

“チェルノブイリ”異聞

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