2014年4月16日水曜日

個人”的”に思うこと

前から、もちろん今も、悩んでいる言葉がある。

「的」という言葉のことだ。

例えば・・・
集団的自衛権、個別的自衛権、それの限定的容認・・・。この「的」はどういう意味に解釈すればいいのだろう。意味がよくわからないのだ。

こうした場合に使われる「的」。なんとも曖昧で、含みを持った「言葉」に感じてしまう。

ちなみに辞書を引いてみる。
「その性質を帯びる、その状態をなす」の意とある。

別の辞書を引く。
「・・・として、・・・において」の意とある。

さらに引く。
「・・・に関する、・・・の傾向がある、・・・の状態の」とある。

どの字解をあてればいいのか戸惑うのだ。


個人的に思うこと。とタイトルに書いた。その的は、個人として思うことという意味で敢えて使ってみたのだが。

巷で日常的にある(うん、この的は日常においてと解するのか)会話。
「ワタシ的には~~~、自分的には~~~」。
そこから感じるニュアンスは「枕言葉に“的”を使うことで、一種の“逃げ”を打っているような感じがするし、嫌な使いかただとも思う。


「的」という字は「まと」とも読む。的(まと)は外してはいけない、目標である、目当てである、目的って書くし。「まと」と読めば語意は明快だ。


なぜ、いまさら、こんな事を、「的」という一文字について「わけのわかんない」ことを書いているのか。

原発の現場がまたもや騒がしい。ミスや不具合が連続して起きている
ままならない汚染水問題。

必ず言われる。「人為的ミス」だと。ALPSに関しては「機械的ミス」「機能的ミス」だとか。

この人為的ミスという言葉にこだわるのだ。この「的」は何を意味しているのかと。

「的」の内容をはっきりさせなければならないのに。

やはり「的」という語用は「曖昧」なのだと。


どの辞書かにあった。
「多くは抽象的な意味を表す」と。

世の中、やはり曖昧なんだと。その曖昧さを多くの人たちが是認し、的を射ない議論が交わされているということ。


誰か、的の意味を教えてはくれぬか・・・・。

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