1年の終わりの月、12月。
この12月っていうのは嫌いだ。世俗を大方離れた身と雖も、なにか慌ただしいし、寒いし・・・。
案の定風邪気味だ。
何事も始まりがあれば終わりがある。
今年の一月、「あっと言う間に12月だぜ」と言っていたような気がする。
そのあっと言う間が経って。
明日は総選挙の公示。あっと言う間に投票日。そして・・・。
一年の終わりの時、なぜか寂寞感が伴ってくる感じもする。
始まりと終わりと。
確か、田中角栄から聞いた言葉のように記憶している。いや、彼がだれか先達から言われていた言葉を敷衍したのかもわからないが。
「俺はね、総理大臣になって、組閣を終え、執務室で一人になった時から、いつ引退するかを考えていたんだ。いや、それはまず考えることだと思ったのだ。その期間に何をするか、有限の期間の中で」。
彼の退陣は、己の予想を超えて、あまりにも早かったが・・・。
第一次安倍内閣。突然の退陣は、まさに断腸の思いだっただろう。察するに余りある。
捲土重来を期していたかどうかはしらないが、転がり込んで来た第二次安倍内閣。「敵失」による最高権力者の地位。
6年間総理の座にとどまる。自分自身にも言い聞かせ、墓前にも誓ったのかもしれない。
そして6年後、意のままになる者を後継指名し、院政を敷く。そんな人生の、政治家としての設計図。
そのためには阻害要因は切って捨てる。国民、民意などと言うものは、単に“野望”を達成するための「民主主義に名を借りた手段」にしか過ぎない。
明日から本格化するであろう「遊説」。あれはまさに強行日程だ。並の体力や精神力では務まらないくらいの。
安倍は国民に言うだろう。己の成果を。しかし、国民の声には見ざる、聞かざるを貫く。
田中角栄は、恐ろしいほど、地元の人の就職の面倒を見た。あちこちに口をきた。もちろんマスコミにも。
田中の口利きで、いわゆるコネで入った人たちは、その会社の中で「誠心会」というのを作る。いや、入ると言ったらいいのか。
橋本登美三郎は自身が朝日、NHKだったこともあってか、「西湖会」というのを“作らせ”ていた。NHKの海老沢勝二はその会長だった。
マスコミと有力政治家との関係。口利きがまかり通る。その融通無碍な関係。いわば“業界的”には当たり前だったのだ。
安倍の、安倍事務所の口利きによる、いや、その父の晋太郎まで遡ってみても。その口利き、一致する“利害関係”、その実例は数例見てきた。
民放幹部と電通との子弟の就職をめぐる相互補完関係もある。
新聞社でもテレビ局でも、新社長が就任すれば、必ず総理大臣のところに挨拶に出向く。地方では、知事や市長が地元紙に挨拶に出向く。
だからどうだって言っているわけではないが・・・。
「恫喝」もどきをする前に、すでに「自主規制」は行きわたっているはずだけど。脅したつもりが、逆に国民の側から顰蹙を買う。なんか、やはり“劣化”なのだろう。
そういえば、かつて「虚礼廃止」なんて申しわせが与野党でなされた時があった。そんな言葉って今もいきているのだろうか。
明日から、選挙事務所の中は、それが意味を為すのか為さないのか、虚礼ではないが、各種の推薦状が壁一面に並べられ、「祈る必勝」の色紙で覆い尽くされる。事務所を覗いてみてください。こんちはと入ってみてください。
お茶は出ますよ、コーヒーは出ませんが。笑顔で迎えられますよ。この時だけは(笑)。
「安倍政権は倒されるためにだけ存在する」。作家の辺見庸が述べた言葉。この“アイロニー”をどう読み取るかに腐心してみたりして。
歴史に残る日となるのか。2014年12月14日は。
2014年12月1日月曜日
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