2011年5月21日土曜日

逃げる人、立ち向かう人

今年初めてカッコーの鳴き声を聞きました。「おお、カッコーが来た」。すぐにどっかに行ってしまいましたが。大気中放射線量1,3ミリシーベルトのところにもちゃんとカッコーは来た。穏やかな日常・・・。

開け放った窓から隣家の子供の声が聞こえてきます。久しぶりに聞く子供の大声。

昨夜、大学の卒業生の集まり。中央大学学員会郡山支部の総会。ふだんはあまり付き合いの無い人達だけど「校歌」「応援歌」を歌って、どこかに感じる仲間意識・・・。

話題はもちろん、震災、津波、原発。津波の現場に行ったという元警察官の話し。人が人でなくなったような惨状を言葉を選びながら。
惨状の中の捜索活動。精神的ダメージ大きく警察官をやめた人が5人いるとか。自衛隊や消防。PTSDというかこころのダメージで去ることを余儀なくされら人もいる。しかし、ほとんどの人達は立ち向かっている。使命感か、責務か。

「だれそれさんは孫を遠くに避難させたらしい」「彼のところもそうだ」。そんな会話も多く。

医者にとっても原発放射能は未体験ゾーン。知り合いの医者は言う。「自分では大丈夫だと思うけど、あまり気にしないけど、本当の事はわからない」と。経験や知見持ち合わせていないからと。そりゃそうだ。正直な人だ。

水素爆発直後、メディアの”扇動””先導”もあってか、郡山を脱出した、逃げ出した医療従事者も多いと。それを止める権利はなかったと。
代わりに、こんな時だから行きますと勤務を願い出てくる医者や看護師もいるとか。

逃げ出す医者、看護師、薬剤師、薬屋。どこに根拠を見出しての行動かはわからないけど、子供を避難させるのはともかく、大の大人が。どことなく”卑怯者”と言いたくなる。使命感を持ち合わせていない人達と思える。でも立ち向かおうとする人達も必ず登場する。

どっかで見かけた記事。退職した原発従事者達が原発の現場に向かおうと賛同者募り、500人が集まったとか。そのうちの百数十人が原発の近くにまで来ているとか。70歳前後の人達。若いもんの代わりに俺達が。俺達には経験があると。原発の現場を知っていると。この老人パワーが使われるのか。使うのか。

身近にいる人達になるべく冷静な判断を求めて励まし、ここでこのブログを書いているってこと、亭主がやっているってことは立ち向かっているってことなのか。

立ち向かいたい。

「まだ郡山にいるのですか、東京の帰ればいいじゃないですか、骨をうずめるのですか」。また聞かされたこんなセリフ。昨日の集まりでの“後輩”の言。郡山生まれ、郡山育ち。家族は避難させているという。

殴ってやりたくなる。たまたま郡山というところに住みついてしまった。たまたま。特に愛着があるわけでもない。人生はたまたまの積み重ね。

たまたま知り合いになった人達が大勢いる。仲間達がいる。友人がたくさん出来た。今、ここが俺の立ち位置。

生まれ故郷ではもちろん無い。親の墓も東京にある。いわば「流れ者」かも。だけど流れ者には流れモンの意地がある。

逃げた人を責める気は全くない。だた、おれはここで自分に出来ることで立ち向かいたいだけ。

郡山人でも郡山にある避難所に行ったことがない人も多い。実態を知らない。原発避難民の。亭主はちょくちょく避難所に足を運びました。個人で出来ることは、ちょこっとしてきました。心の中にあった“打算”。川内村や富岡の人達に、あとで、「郡山に避難してよかった、郡山の人によくしてもらった」と思って欲しかったから。

浜岡停止は海江田の助言、一号機の海水注入に待ったをかけたのは斑目の意見を聞いたから。なんでも他人のせいにしているような言葉を放つ菅。彼は絶対に逃げている。逃げる人だと。立ち向かっている政治かって誰?。

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