2011年5月5日木曜日

すべてのことには時がある

旧約聖書、伝道の書。その一節。「すべてのことには時がある」。everything has its times。

天の下では何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。ではじまる数々の言葉。


捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。


東電の社長や菅総理がきのう謝罪に歩いた。原発事故による避難所を訪ねて。

清水、何しに来た。謝ってすむ問題じゃない。土下座しろ・・・。

避難所の人たちの怒りはもはや沸点に達している。溜まりに溜まっていたものが爆発した。

東電の社長にいくら罵声を浴びせてもなんにも解決しないってことはわかっていても、怒りをぶつけなければならない。

怒る方も悲しい。土下座させられ頭を床にこすりつけるほうも悲しい。変な言い方かもしれないが、避難所生活も”落ち着いて”きたから、やっと怒ることを思い出した。解決されない怒り。

時を失した謝罪行。

菅とて同じ。爆発を防げなかった。無意味な避難行を強いた張本人。すべてに時を失した国の責任者。

どことなくうすら笑いのような表情で握手を求める。これまた応じる人がいる。福島県の人はどこまでお人よしなんだ。「帰れコール」の一つも無い。総理大臣様のあなり~~とばかり正座を強いる関係者がいる馬鹿さ加減。

「一時間の予定をはるかにオーバーして五時間も」と菅の避難所見学を美談のように書くマスコミ。

五時間くらいじゃ足りませんよ。市民運動家なら市民と一緒に暮らしなさい。かつての盟友は、もちろん己が責任だろうけど、ホームレスやり、今、ボランティアやってますよ。被災地で。ともに苦しみを分かち合おうと。

「避難所の人の苦しみが痛いほどわかりました、早急になんとか」。なんで、今更、今になってわるんだい。遅すぎる。
何にも手を打てない菅。

時を間違えた後手後手の対処しかできない菅。

時、時、時。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。そうも書かれている。伝道の書には。種まきも田植えも出来なくなった。

少なくとも東電と政権は、多くの人から「時」を奪ったことは確か。
時を間違え、禍の根を深くしていることも事実。

謝罪するには避難民だけじゃない。きょうも原発の現場で過酷な危険な作業を劣悪な環境の中でやっている人達にも謝罪すべき。謝罪し、激励しに行くべき。士気を鼓舞するためにも。

その時期もすでに失した。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...