原発事故で今、混乱を強いられている村。原発から60キロも離れた飯舘村。計画的避難区域に指定され、村民達は遠く離れた避難場所にいくかどうか、悩みに悩んでいます。行くことを余儀なくされています。
村から近いところには既に原発30キロ圏内の人達が避難してきており、勢い、県内でも遠いところに行かざるをえない。仕事どうする、牛どうする。
期限は今月末・・・。
子供や妊婦は殆ど避難させたようですが、村の唯一の病院は医者が残るとか。患者も来るとか。
老人施設は残し、職員は”安全”なとこから通うとか。
飯舘村は福島市からでも車で一時間はかかる県北の山村です。人口は6千人あまり。美しい村です。
以前、このブログでもこの村の事と菅野さんという村長さんの事を書きました。市町村合併を拒否し、独自の村文化を育んできた村です。
菅野村長はすぐれたリーダーだと思います。飯舘の牛、飯舘牛はブランド商品です。たぶん米沢経由で出荷されていましたし、県のJAでも扱っていたような気がします。食べたことあります。美味しかった。
飯舘ミートバンクというシステムを作り、会員には美味しい牛肉を宅配していた。村おこし。これも無くなるだろう・・・。
飯舘村に言い伝えられている言葉に「までい」という言葉があるそうです。郡山では「まで」という。標準語にすると「マメ、コマメ」というようなニュアンス。飯舘の「までい」はもうちょっと濃いかも。深いかも。真手という古語が語源だとか。手間暇を惜しまず、丁寧にとか、こころを込めてという意味で使われている。
菅野村長が考え出した村おこしの「理念」。それが「までいの力」。菅野村長の理念引用。
私たちの村が進めている「までいライフ」の1つの大きなメッセージは、暮らし方を少し変えてみようではないかということだ。戦後、一貫して大量生産、大量消費、大量廃棄によって作られてきた今日の日本経済の中に少しスピードをゆるめてみようと。走っている人は歩く、歩いている人は立ち止まる、立ち止まっている人はしゃがんでみる。そうすると足元の花の美しさみえてくるような気がする。
もう1つの大きなメッセージは、人と人とのつながりを深めようということだ。他の国に誇れる日本人の国民性は「トラさんクマさん醤油貸してよ、味噌なくなったのよ」の関係であったはずだ。戦後一貫して効率一辺倒、スピーディーにお金が全ての全てという価値観で進めてきた結果、人と人との関係が希薄になり「自分さえ良ければ病」になってしまった。
「お互い様」のまでいの心が必ずや新しい日本を再生する基礎になると思う。
私たちの「までい」の発信は、ささやかなものであるが、必ずや住みやすい地域をつくり、地方の生き残り策になるものと確信している。
この「までいの力」がその役を十分果たしてくれるものと大いに期待してやまない。
「までいの精神」に共感した福島市の出版社が企画して発刊までこぎつけたのがこの「までいの力」という本。震災、爆発で発刊を中止しようとしたらしいが、赤く染まった放射能地図や避難という災難を余儀なくされた村民の心を思って発刊を決意したという。「までいの力」で、この困難を乗り切って欲しいと。
出版社に注文していたこの本がきのう届きました。前記の菅野村長の「理念」も書かれています。乗り切る力です。あまりにも示唆に富んでいます。
本には村の様子がくまなく紹介されています。素人写真がまたいい。村民の笑顔がいい。綺麗な村です。自然と共存しています。
原発がこの人達の生活を奪ってしまう。不条理という言葉を使っても彼の心中には迫れません。やはり涙が出ます。
本は2,500円と、ちょっと高い値段です。でも書店は通さず、出版経費を除いて残りは村への「支援金」にします。
本の帯の裏にはこう書かれています。「繋がっていれば、決して負けない。」と。
村民は一時散り散りになるでしょう。でも、心が繋がっていれば、いつかはまた一つに成れる。もとの村に帰れる。帰すことが出来る。
村長の柔和な笑顔に秘めた強い、熱い心にエールを送ります。
きのう行われた離村式のような村民の大会。みんなで「故郷」を歌ったそうです。あの歌の歌詞が一番似合う村・・・。
オレは行くぞ。飯舘へ。
村長の理念、メッセージ。今の日本人すべてに届けたいと。
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