2011年5月18日水曜日

「国策の被害者」

やっと認めた一つの見解。国の原子力災害本部、つまり菅政権は、原発を国が国策として進めてきたと。そして、事故の被災者は国策による被害者と文書に明記した。歴史に残る((爆))自白。忘れてもらっちゃ困りますよ。

被害者がいるということは加害者がいるということ。文脈読み取れば、常識、加害者は国ということ。

加害者には当然「罰」が「罪」が与えられなければならない。

「最後の最後まで、国が前面に立ち責任をもって対応する」とも書かれている。責任を持って。何をもって責任というか。

もうこの辺になってくるとさっぱりわからなくなる。何をもって罪を償い、罰を受け、責任を果たすのか。

またもや言葉だけが踊って逃げ通すのか。

あげく被害者救済の「工程表」だと。工程表ってのは、そんな言葉は電力が使っているいわば工場の生産工程みたいな言い方。人間は物じゃないよ。者だよ。

国から発せられる言葉には、人間味が無い。そんな言葉使っているからやることにも人間味が無い。

東電の「工程表」見直し。記者会見で手を腰に当て、薄ら笑い浮かべながらメルトとは溶けること、ダウンとは落ちることなんて英語の授業をしている武藤って原子力村の村長。彼の表情からは被災者を思う心情など全く見えない。

あんな人が本店で君臨してる限り、偉そうにしている限り、原発の事故現場で酷使されている人は・・・・。第一の所長よもっと、もっと怒れ。憤怒の河をわたれ。

一過性集中報道が大好きなマスコミ。もちろん現場に行った、ちゃんと取材した、読み甲斐や見甲斐のある記事や番組もあるのだけど。

東京で取り仕切られている全ての事に感じること。他人事。時々ひどいワイドショーや報道番組。他人の不幸を”喜んで”いるような。

きょうは殆ど報じられていない20キロ圏内への一時帰宅の話。きのうは車持ち出しの予行演習(これも変なコトバですね)ネタはあったけど。

最初の一時帰宅の時は群がったメディア。

「犬は玄関につないでおけば県が翌日保護に行きます」。その犬たちがどうなったか。最早報道無し。一過性というか、忘れているのか、ネタじゃないのか。

国策による被害者。その被害者には犬やネコや牛は入っていないのか。立派な被害者だと。オカミを信じて繋いできて、そのままだったら飼い主が加害者になってしまう。

当事務所の隣の女性。NPOの所属してるとか。南相馬に行ってきて犬を連れ帰ってきた。キレイに洗って。新しい名前つけて。「ヒロシ」くんってつけたとか。
雑種。

ヒロシくんがどんな生活をしてきてどんな体験をしてきたかはもちろんわかりません。でも、もう人間にすっかり懐いています。身体をさすってやると道路に上向きになって喜びます。けなげです。

20キロ圏内の犬たち。どうなったんだろう。だれか教えてください。もう一人の国策による、同心円を描かれたことによって生じた”被害者”のことを。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...