2011年5月8日日曜日

水五訓

きのうから我が家の裏の田圃に水がはられはじめました。三反。例年よりはかなり遅い作業ですが、どうやら作付を始める模様。やがて水鳥が来て、蛙が泣き、稲穂が実るのか。コメが出来ても買い上げされるのか。JAはやるでしょうが流通に回れるのか。素人考えでの不安は多々ですが、水が張られたことが、用水路からの水が、乾いた土の中に満たされていくことが、こんなに素晴らしい光景だったのか。

持ち主の農家の方に「ありがとう」と言いたいです。苗床が捲かれる時には会えるでしょうから声をかけるつもりです。感謝の言葉を述べるつもりです。

稲穂が実るあの光景に出会える。稲作禁止区域の方には申し訳けありませんが、四季が織りなす自然の恵みに出会える。

多少の放射線を浴びながらも立派な稲が育ってくれるように。祈ります。放射能に負けないで頂戴。自然の営みよ。

当店の昔からの常連さんなら、もしかしたら記憶にあるかも知れませんが、田んぼの水を見ながら、またも福井県の永平寺に掲げられているという黒田如水が書いたという水五訓を思い出しています。

  一,自ら活動して 他を動かしむるは水なり
  一,常に己の進路を求めて止まざるは水なり
  一,障害にあい 激しくその勢力を百倍し得るは水なり
  一,自ら潔うして他の汚れを洗い 清濁併せ容るるの量あるは水なり
  一,洋々として大洋を充たし 発しては蒸気となり雲となり雨となり
    雪と変じ霰と化し 凝っては玲瓏たる鏡となり 而もその性を
    失わざるは水なり

大津波のあの非情な光景もかぶってきます。

原発も今や水頼りです。水が無ければすべては成り立たない。人間が作って、崩れ去った科学の申し子の原子力発電。それを支えてきたのも、終息に向かわせるのも、すべて水、水。自然。

先人の言葉には、眼力には重いものがあります。近代文明の、科学の何たる無力だったのかを知らされます。

「仕事」の手を休めながら、時々、田んぼの水に目を向けていようと思っています。

去年見た水のある光景と今年の光景。思いは大きく違っているはず。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...