責任、責任。今や毎日どこかで聞かされる言葉。東電の責任、政府の責任、政治責任、自己責任・・・。責任と言う実態の無い、中味がわからない言葉が空虚にこだましているような。
東電には賠償責任があるという。国にもあるという。それは当事者達も認めている。その責任って金だけのことか。
国会でもことあるごとに政府の責任、責任を認めろ、責任をどう取ると責めたてる。この場合に使われている責任とは、いわば「責め」ということ。
東電の社長にぶつける責任という言葉は辞任しろということ。首相に対して言われるのもそういう意味合い。
「責任を認めます」。そう言ってもだから何をしたというのか。何が出来るのか。言葉遊びのような。「責任」という言質さえとればすべて終わりというような。
被災者の要望に対して「国が責任をもって対処します」と総理大臣はこたえる。そう言わせただけで満足しているかのよう。責任なるものを果たしていない、果たさなかったことに対する罪とがは。
国の責任として浜岡を停止し、国民の安全、安心をーーという。その責任という言葉へは評価するという答えが返される。
原発事故は誰の責任か。もちろん東電と政府。しかし、原発作ったのは誰の責任。国民の責任じゃないの。
立場上当然おわねばならない任務や義務。自分のしたことについての結果について責めをおうこと。辞書にはそう書いてある。
日本社会においては責任と言う概念がよく理解されていないと指摘する人もいる。レスポンスビリティーという本来の概念からかけ離れて義務という概念に置き換えられているという人もいる。
責任をとるということは辞める、辞任することだと思っている人もいる。
責任論が飛び交っても原発は停まらない。
説明責任という言葉が横行する。マスコミはそれを”武器”に使う。いいかげんな説明や発表。責任を持った言葉をだれも言わない。だれも政府や役所を信用しなくなった。
毎日公表されている大気中の放射線量。信じていない政府の”責任行為”には誰も信を置かない。
自己責任だと。避難するのも何をするのも。そう思う人達が増えている。だからだろうか。家長は家族を守る責任がある。9万円もするサーベーメーターを持って、今、自分の居る所を含めてあっちこっちで放射線量を測っている人の姿も目立つ。「政府もマスコミも信じられないから自分の身は自分で守る。自分で決める」と。
そうか。やはり国家はその構成員である国民を守っていないということか。守られていないとみんな気づいたのか。
原発、またもや、怪しげな気配。責任ある報道はどこにも見当たらない。国会議員同士の責任のなすり合い、推進してきた責任は自分たちにもあります。そう言いながらその責任のなんたるか、何をするかは言及出来ない人達の無意味な討論。
無意味なことを垂れ流し、不安を解消させてくれないマスコミ。その責任を自らは問おうとしない。
無責任男のスーダラ節が流行した頃、まだ日本は平和だったのかも。本当の責任感のある指導者がいたのかも知れない。
2011年5月15日日曜日
“チェルノブイリ”異聞
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