朝、郵便受けに新聞取りに。無い。思い出しました。新聞休刊日なんですね。とにかくよく休む新聞。
今、この時期、新聞が休んでいていいのか。日々伝えなければならないことが多々あるはずなのに。メディアとしての「責任放棄」とさえ思えてくる。
被災地、避難所は、いまだテレビ受信もままならず。配られる新聞が唯一の情報源だという人多々いるのに。震災当日、手書きの壁新聞発行した地方紙もあったというのに。
中央紙から地方紙に至るまでの休刊日。どうも解せない。いつも大上段に振りかぶって能書きこいているのに。決めごとだからって休刊なのか。
もちろん紙面は無いでしょうが現場で記者さんたちは働いているでしょうし、原稿も書いていたでしょうが。
休刊日を見越してか。官邸記者の”つぶやき”も昨日は少なかったような。
正確な記事、心打つレポート、数々の解説。今、一番必要な時。休刊日返上ってのが新聞の、今、一番必要な態度じゃないかな。被災者と寄り添うならば。
新聞休刊日って、そもそもは新聞配達の少年を休ませるためというのが最初の口実だった。新聞記者も人の子よ。年に何回かは同僚と温泉旅行にでも行って、羽根を伸ばすもの必要でしょうが、それは「平時」に許されること。仕事の使命感としてこの時期の休刊に違和感あり。
国難、非常時を紙面では言いながら組織としては、平時と変わらぬ体制と。
悔やんでいる一線の記者もいるのではと。
かつて政治家は新聞休刊日を見越して、いろいろな動きをした時があった。伝えられるのが一日遅れだということを見越して。
たとえば、組閣は休刊日にはやらない。記者会見はNHKの7時のニュースに合わせるとか。
新聞業界がいまや“未曾有”の経営難にあることは事実。新聞論を言っているのではなく、この1,000年に一度の災害の中で、原発がどうなっているのかわからない中で、情報弱者を作ってしまう新聞の在り方を問いたい。
避難所や被災地にはタブロイド版の簡単な「情報」だけは届けられているのかな。そう期待するけれど。
新聞の無い一日で、ツィッターなどから、どれだけの「デマ」が拡散されていることか。
社会の木鐸、社会の木鐸。木鐸には休みはあってはならない。警鐘を乱打し続けなければ。原発の事故現場で作業員が一日休んだらどうなる。
通常編成にほぼ戻ったようなテレビ。ほとんど復活したCM。メディアの世界だけは「日常」を取り戻したような・・・。
2011年5月6日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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