2011年5月14日土曜日

余滴 東京行

東京へ向かう新幹線が白河を過ぎた頃から。車窓には田園風景が広がります。

3・11前まではあまり気にしていなかった光景。田んぼには水がきれいに張られ、その隣の田んぼでは稲がもう成育している。緑と水のある光景。

わずか40分ほど前にいたところとは全く違う別世界。いや、もうちょっと離れた距離のところ、時間のところとは余りにも違いすぎる。

日常と非日常の姿の落差というか。

海水で塩を含んだ田んぼ。作付なし。あたり一面荒廃とした光景。放射能で土壌が汚染され作付禁止となった土くれだけの田んぼ。今、目の前にある豊かな田園風景。日本の原風景。めまいがしそうでした。

都内に入って滝野川公園のあたりでしょうか。空き地に建てられているのはもしかして東京や埼玉に避難している人達への仮設住宅か。たぶんそうだ。その風景は東北とつながっている。

東京駅が近づく。林立するビル、ビル、ビル。住宅や商店の密集地。もし、ここにあの地震が起きたら・・・。頭の中で悪夢が、いや夢想が。

東京駅。ブルーシートで覆われていました。震災直後の郡山駅や仙台駅のように。被災じゃないです。東京駅のあのレンガ造りの駅舎を保存して新しい駅舎をつくるための工事とか。綺麗な駅の構内よりもブルーシートに覆われた構内の方に違和感を覚えない。

工事のせいでしょう。出口がわからない。やっと出たらとんでもない方向(笑)。

たどり着いた如水会館。昔と変わらぬたたずまい。昔、後輩の結婚式で行って以来。毎日新聞社の脇を曲がり白山通り。50年も前の学生時代の匂いを探す。

「テレビと大震災」という話をしてきました。被災経験も話しました。原発含め。
震災以降、テレビを見ていて感じていた違和感が話を聞いて解消されたと言ってくれた人や、九州新幹線のCMのことを気にしていた人もいて。
何気なく見ているテレビと身構えて見るテレビと。それを感じ取ってもらえたか。

懇親会でも原発の話が主役。温度差は感じられなかった。ビールの味は同じだった(笑)。

会館を出る時、雨。雨に濡れながらタクシー拾い。東京の雨の余滴に濡れたからだを新幹線へ。

もう夜。車窓から見えるのは光景ではなく疲れた亭主の顔(笑)。郡山はもちろん雨。一応放射能の雨・・・。

翌日、講演を聞いていただいた方から「お礼」のメールをいただきました。感謝、感謝。そういえば、クールビズというあの不様な格好の人達はいなかった。みなさんスーツにネクタイだった。
戴いたメールに返信。君子の交わり、淡きこと水の如しのお付き合いが出来ればと。

昨日、亭主が使っているこのグーグルのブロガーというサイト。不具合となっており。「ご不便おかけして申し訳ありません」というお知らせだけが表記されたまま。亭主のホームページ管理人さんも「ぐるぐる不機嫌なんですね」って。
こっちだって不機嫌じゃ(爆)。前日に投稿のあったコメントも消えてしまっているし。被害者だ、損害賠償請求しようか(笑)。

てなことで、これは昨日の分。まさに余滴。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...