2013年2月13日水曜日

東京人の「味覚」

テレビの情報番組をなんとなく見ていた。ゲストにジャーナリストの田原総一朗が出演していた。
彼とは旧知の間柄。友達と言っていいかどうかはわからないが。

面白い場面に遭遇。彼の好物はイチゴだそうな。毎朝食べるという。彼も知っているだろうが、昔は果物にも“旬”があった。冬はみかん、その後イチゴ、夏はスイカ・・・秋はブドウと言った具合に。
今や「ハウス栽培」とやらで、一年中食べられる。季節感が無くなっている。

「ボクはイチゴに練乳をかけるんですよ。それもたっぷりと」。スタジオで“実演”している。チューブは3回くらいで無くなるとか。
「だてね、イチゴって味が無いでしょ。だから練乳をかけるんですよ。無い時は砂糖・・・」。

違うよ、田原さん。イチゴは味があるよ。福島県内で採れるイチゴ、豊岡イチゴなんて甘い。すごく甘い、そして美味い。そのまま食べるんだよ。
野菜だってそう。そのまま食べるのが一番美味い。地の物なら尚更。今、流行りの“汚染”がどうたらっていう話は別にして。

たしかに、子供の頃、東京でたべるイチゴは味が無いと言うか、酸っぱかった。いきおい、砂糖をミルクをかけ、スプーンでつぶして食べていた。そんな食習慣。福島に来て、それをしようとしたら笑われた。そのまま食べるもんだと。
そして、それは、そのイチゴが持つ本来の味覚を十分に発揮させてくれていた。

田原の話を聞いていて思った。東京の人って何を食べているんだろうか。って。イチゴだけじゃない。その他の農産物含めて。料理人の味付けで“美味いもの”を食べているんじゃないかって。

彼ももともとは東京人じゃない。彦根出身。いつのまにやら東京の味に馴らされてしまっているんだなと。

今、さまざまな品種改良がされて、そのままで食べたほうがおいしい食材がいっぱいある。
イチゴに関しては、多分、子供の頃のあの味を引きずっているんだな。そして、新しい“文化”、AKBに対しては熱く語っている。古い習慣から抜けきれないことと新しいものに興味を示す好奇心と。

なぜだか笑えた。天下国家や世情を論じても、日々の「食べ物」については“無知”に等しいということ。

美味しいイチゴの産地にだって“取材”で行っただろうに。

機会あって、かれがまた郡山に来ることがあった時は甘い、美味しいイチゴをふんだに食べさせてあげよう()

きのうは「塾」。東北学を続けた。
東北の人は、それなりに東京のことを知っている。東京に友人や知人、そこに行った親戚がいる。
東京の人は、東北のことをよく知らない。イメージでしか捉えていない。そう「おしん」に代表されるような。

「東京」とは何か。誰を指すのか、何処を指すのか、何を指すのか。東京人とは、今や、多くが、全国から集まって来た人達の場所に過ぎないのだと言ってみた。

地方選出議員も、東京にいれば東京の感覚に染まる。当たり前のように。

だから「東北」という言葉で一括りにして言われたく無い。だから「東京」と言う言葉で一括りにして、都、中央を語るべきではないとも。
原発事故、東京電力が悪いと言う。そうだ。しかし、会社として一括りにするべきではない。昨日も、今日も、明日も、あの「現場」で働いている人達。その中には東電の社員も大勢いる。地元の人間も。その人達がなければ、あの場所は、事故処理は出来ないということ。

原発は高度成長期の“旬”のものだったのかもしれない。そして、それは何処にでもある、一年中味わえる“麻薬”と化してしまっていることに気づくのが遅れた・・・。そこにかけるのは練乳では無い。水なのだ。

ジャーナリストという人達は、いつの間にか、知らず知らずに味覚音痴に、見聞音痴になってしまっているのかもしれない。
イチゴが手に入ったら彼の家に送ってやろうかな。でも、千疋屋や紀伊国屋では美味しいイチゴ売ってるはずなんだろうに・・・

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